912.運び屋の仕事
夜明けを待って、ラクリマリス王国領北端の港町ノージに【跳躍】する。山中のクブルム街道から、文字通り、瞬く間に南の麓に降り立った。
昨年、自治区民の針子サロートカと二人で訪れた際には、クブルム山脈に面する北門が固く閉ざされ、呼べど叫べど開かれなかったが、今は開放されている。
石畳の道を荷車や軽トラックが、春野菜の収穫に次々と畑へ出て行く。
呪医セプテントリオーは、人と車の流れに逆らって門を潜った。
クブルム山脈を挟んだ北のネモラリス共和国領リストヴァー自治区では、フラクシヌス教「湖の女神派」のネミュス解放軍と、キルクルス教原理主義を標榜する星の標が、戦闘を繰り広げている。
首都クレーヴェルでクーデターを起こした解放軍の主力は、セプテントリオーと同じ湖の民の魔法使い。それも、元軍人や現職の軍人など魔法戦士が多いらしい。星の標は救援物資に紛れて密輸した銃火器で応戦し、双方に死傷者が出ているらしかった。
ノージ市民はそんなことを知る由もなく、大半の住民が薄い朝靄の中で微睡む。
呪医セプテントリオーは、クブルム街道に残してきた自治区民の期待を一身に背負い、運び屋フィアールカの姿を探した。
南へ少し歩くと、小さな広場が見えた。「跳躍許可地点」と大書された注意書きの看板が立つ。若葉が萌える秦皮の木の下で、彼女が手を振る。
呪医セプテントリオーは小走りで広場に入った。
「あら、呪医、おはようございます。彼、ノージはわかんなかったのね」
「いえ、ラゾールニクはあなたのメッセージを読んでいません」
「どう言うコト?」
同族の女性が、形のいい緑色の眉根を寄せる。
「端末を預かって、私が送信したのです」
「本人は?」
「教会で【頑強】の術を維持しています」
「よく入れてもらえたわね」
運び屋は緑の目を見開いた。
呪医はマントの下で白衣のポケットを探り、諜報員に託されたタブレット端末を出した。フィアールカは、慣れた手つきで機械の薄い板を撫で、諜報員ラゾールニクが残した記録を読んだ。
「農村地区まで攻めて行ったら、解放軍にも死者が出るみたいね。今、戦況ってどうなってるの?」
「クブルム街道へ逃れた自治区民を守っていたので……街道に上がってきた解放軍の部隊によると、工場地帯の戦闘でも、解放軍側に負傷者が出たようです。あの口振りでは恐らく、工場に居た星の標を全滅させたのではないかと思います」
運び屋が端末を返して聞く。
「その部隊はどうしたの?」
「指揮官に兵を退くよう、伝言を命じて穏便にお引き取り願いましたよ」
「ふうん。命令。まぁ、ウヌク・エルハイア将軍に心酔してる人たちなら、あなた様のご命令にも従うでしょうね」
呪医セプテントリオーはギョッとしてフィアールカを見る。
彼女はかつて、湖の女神パニセア・ユニ・フローラに仕える神官だったが、半世紀の内乱後にひとつの花の御紋を返上して、運び屋に転身した。
……この人も、私が何者か知っていたのか。
運び屋フィアールカは、何事もなかったかのように、肩掛け鞄から紙包みと使い捨てのマスクを取り出した。
「それ食べたら、指揮官が山道登って、あなた様にお目通り願わない内に戻りましょ。髭剃る時間はないから、隠してね」
「あっ……」
思わず顎を撫でた。顔の上半分はフードを被れば隠れるが、一晩放置した緑色の無精髭は誤魔化せない。若い自治区民は、湖の民を見たこともない筈だ。顎に青黴でも生えたのかと気味悪がられるだろう。
二人で隅のベンチに腰を降ろす。
サンドイッチを一口齧った途端、昨日の昼以降、何も食べていなかったことを思い出した。具は野菜と緑青入りのソースを馴染ませた揚げ物。陸の民が口にすれば中毒を起こすが、湖の民であるセプテントリオーは、疲れが吹き飛ぶような心地がした。
「あぁ、そうそう。ネモラリス憂撃隊。北ザカート市の拠点が壊滅したわ」
「んぐッ?」
喉が詰まった呪医に野菜ジュースの瓶が差し出される。
「ルフス神学校で爆弾テロがあったの、知ってる?」
呪医はジュースを口に含み、首を横に振った。
「聖職者コースのエリート神学生の大半が死傷したもんだから、ポデレス大統領はカンカンに怒ってるし、アーテルの国民感情は反ネモラリス一色よ。お隣のラニスタとアルトン・ガザ大陸のバルバツム連邦も救助隊とか組織して、結構オオゴトになってんの。それで、ネモラリス政府も憂撃隊はやり過ぎたからって、お払い箱にしたワケよ」
呪医は、どうにか野菜ジュースでサンドイッチを流し込んで聞いた。
「オリョールさんたち……ランテルナ島の穏健派がどうなったか、ご存知ありませんか?」
「なぁに? ゲリラの心配? 大した博愛精神ですこと。……あっちはまだ、政府軍の意向に従う素振りを見せてるから、今のところ放置よ。でも、時間の問題なんじゃないかなーなんて」
運び屋となったフィアールカは、人や物の他に情報も運ぶらしい。
呪医セプテントリオーは、今、開示された理由と目的について考えようとしたが、一睡もできなかった頭は空回りするだけで、何の判断もできなかった。
最後の一口を頬張り、屑籠に空き瓶と包装紙を捨てて立ち上がる。
「私も行くわ。呪医は救援物資を持って教会に行ったげて」
「わかりました」
呪医セプテントリオーは運び屋フィアールカと共に北門を出て、クブルム街道の朽ちた小屋に【跳躍】した。
☆昨年、自治区民の針子サロートカと二人で訪れた際……「604.失われた神話」「605.祈りのことば」参照
☆双方に死傷者が出ているらしかった……「902.捨てた家名で」参照
☆街道に上がってきた解放軍の一部隊の話……「902.捨てた家名で」「903.戦闘員を説得」参照
☆あなた様/私が何者か……「684.ラキュスの核」「685.分家の端くれ」参照
☆彼女はかつて、湖の女神パニセア・ユニ・フローラに仕える神官だった……「535.元神官の事情」と外伝「明けの明星」(https://ncode.syosetu.com/n2223fa/)参照




