911.復讐派を殲滅
魔装兵ルベルたちは、アーテルの首都ルフスの高級住宅街から、下町の廃ビルに拠点を移すことに決まった。一家惨殺の怨念から生じた穢れが魔哮砲に浄化され、雑妖が殆ど発生しなくなったからだ。
……フツーなら喜ぶコトなんだけどな。
それでは、魔哮砲の餌がなくなってしまう。黒くやわらかな使い魔が飢えては可哀想だと思い、ラズートチク少尉の案内に従って人混みに紛れる。
ルベルは、トレンチコートのポケットで魔哮砲を詰めた【従魔の檻】を握り、親指でそっと撫でた。
夕暮れの帰宅ラッシュでも、バスから吐き出された人々は、前を見るより手許のタブレット端末を見る者が多い。
ラズートチク少尉は、古ぼけた雑居ビルに入った。
人気はないが、廃ビルと言うには小奇麗だ。緑の非常灯が点る薄暗い階段を四階まで昇り、廊下の窓から薄暮の街を見下ろす。
仕事を終えた社屋が次々に灯を落とし、代わりに集合住宅の窓が明るくなった。
少尉の目が暗がりの一点を凝視し、小さく手招く。傍らに立ったルベルの肩を掴んで【跳躍】を唱えた。
草地だ。
大柄なルベルの腰まで雑草が生い茂り、隙間なく建てられた工事用の高い囲いが外界と隔てる。重機などはなく、解体途中のビルが黒々と口を開いていた。
少尉がビルに足を踏み入れると、無数の雑妖が左右に分かれ、道を空けた。
「解体作業中に死亡事故があってな。丁度このくらいの時間帯だったせいで、すぐに魔物が受肉したらしい」
「その魔獣は……」
「作業員を数人食い殺し、まだ、ここに居る」
「最近なんですね」
ルベルは廃ビルを見回した。
建具を取り外された廊下はガランとして、夕闇の部屋が影絵のように見えた。
外に居る時には暗いと思ったが、中から見ると窓枠の外の光は随分、明るい気がした。窓枠に縁取られた草地はよく見えるが、室内は塗りつぶされたように暗い。
「冬至頃の事故だ。誰が駆除代を持つかで揉めて、解体屋が取敢えず、囲いを三重にした」
「えっ? それだけで、まだ居るんですか?」
「ナメクジのように這うモノで、自重に耐えられず、壁を這い上がったりはできんらしい」
流石に【灯】は使えないが、まだ【暗視】を使うには明る過ぎる。
「いつ話がまとまって駆除屋が来るとも知れん。今夜はここで給餌して、日の出前にはランテルナ島に跳ぶ」
「了解」
魔装兵ルベルは立ち止まり、小声で【索敵】を唱えた。
術で拡大した視界で廃ビルを丹念に調べる。一階は雑妖しか居ない。二階に視線を走らせる。ここも雑妖が豊富だ。形の定まらない何者かが、互いの境界を失う程に密集し、一塊になって膝の高さで漂う。三階から五階も同様。壁の大部分が撤去された六階には鴉が居た。
「あれっ? 魔獣……居ませんよ?」
「地下はどうだ?」
ルベルは足下の更に下に【索敵】の視線を送ってみた。
「雑妖が……天井までぎっしり詰まってて、よくわかりません」
「地上だけでも、一発くらい撃てそうか?」
「時期によると思いますが、半月以内なら何とかなりそうです」
「では、一階から順に上がり、五階が終わったら移動。警戒を怠るな」
「了解」
日没と同時に【暗視】を掛け、【従魔の檻】から魔哮砲を出してやった。使い魔がご馳走の気配に不定形の身を震わせる。
……でも、好きにさせて魔獣と鉢合わせしたらマズいな。
魔装兵ルベルは力ある言葉で魔哮砲に命じた。
「俺の手の届く範囲で雑妖を食え」
魔哮砲の一部がルベルの左手首に巻き付いた。残りの部分が見えない手で引っ張られたように伸び、先端があっという間に廊下の突き当たりに達する。漂っていた雑妖が黒い紐に吸い寄せられ、接触した途端、溶けるように消えた。
「魔獣に襲われては厄介だ。呼び戻せ」
「は、はい! えーっと……」
咄嗟に上手い言い回しを思いつけず、言葉に詰まる。
確かにルベルの手に接しているが、こんなつもりで言ったのではない。どう言えば正しく解釈し、安全の為にルベルの傍にいつつ雑妖を食べるのか。
魔哮砲はどんどん細く伸びて角を曲がった。【暗視】と【索敵】は同時に使えない。
「早く呼び戻せ!」
「は、はい! 戻れ! 身体全体、俺の足下に来い!」
軍用犬の引き綱並に細く伸びていた闇が、逆再生映像のように太くなりながら戻ってきた。夜とは異質な闇の塊が、泥のようにルベルの足に纏わりつく。
二人の衣服には、外から見えない部分に【魔除け】や【耐熱】など各種防禦の術が仕込まれ、雑妖や弱い魔物が避けて通る。こうしてぴったり身を寄せたのでは、給餌できない。
だが、命令の言葉が「安全な距離を保って雑妖を食え」では抽象的で、魔哮砲には理解できない。
「何て言えば……」
「そうだな……」
ラズートチク少尉は、十歩前に出て振り向いた。
「……身体全体が、お前からこの距離以上、離れないように言ってみるのはどうだ?」
「了解! ……彼の足下へ行け」
魔哮砲が力ある言葉の命令に従い、埃っぽい床を這う。
「この建物の中では、俺とお前の今のこの距離以上、身体全体が離れないように移動せよ」
ルベルは少尉に一歩近付いた。魔哮砲がその分、奥へ進む。
ホッとして少尉と並び、手近な部屋を覗いた。窓枠とガラスが外され、日当たりがいいらしく、雑妖は隅に少しこびり付いているだけだ。
魔哮砲が廊下の先で急かすように揺れる。二人は小走りに廊下の角を曲がった。
「今朝、司令本部でルフス神学校の件を報告したところ、ネモラリス憂撃隊をこれ以上は放置できんとのことで、北ザカート市の拠点に部隊が派遣された」
「えっ?」
ルベルは思わず足が止まった。
魔哮砲が部屋の入り口で伸び上がる。大股で部屋の前へ行ってやると、闇の塊は雑妖が詰まった室内に飛び込んだ。
「戦略上、以前から問題視され、掃討の準備は進められていたからな。基地の破壊が進んだ今、必要以上にアーテル人の恨みを買うテロを放置すれば、和平交渉の妨げになる」
「では、今も北ザカートで戦闘が?」
「今日の昼過ぎには片付いた。所詮は錬度不足の烏合の衆に過ぎん」
ラズートチク少尉は、早朝からついさっきルフスの拠点に戻るまで、ずっと【花の耳】の通信を切っていた。彼も、復讐心に憑かれたゲリラの掃討作戦に加わっていたのだろう。
ルフス神学校の爆発は一昨日。キルクルス教徒への復讐成功に沸く拠点を急襲したのだ。
ポデレス大統領の演説は、アーテル共和国の民に被害者意識を植え付け、ネモラリス共和国への攻撃を正当化するものだった。
確かに、ネモラリス憂撃隊を放置すれば、両国の国民感情は更に悪化し、和平交渉どころではなくなってしまうだろう。
……だったら、何でもっと早く叩かなかったんだ? こうなる前に拠点がわかった時点でゲリラを止めていれば!
ネモラリスの政府軍が、ゲリラの拠点を一カ所潰したと発表したところで、アーテル側が信じるとは思えない。
今更「ルフス神学校爆破事件を起こしたテロリストの集団を殲滅した」と発表すれば、却ってアーテル人の反発を招くかもしれなかった。
ネモラリス憂撃隊は犯行声明の類を出さず、黙々とアーテル本土を荒らし回っている。しかも、彼らとは別に、個人で報復活動に勤しむ力ある民も居た。
魔哮砲は、二階と三階の雑妖を瞬く間に平らげたが、それでもまだ足りないらしい。ルベルたちを招くように階段の前で揺れる。
「あぁ、はいはい。そんなハラ減ってたのか」
通じないとわかっていても、つい湖南語で話し掛けてしまう。魔哮砲はルベルが近付いた分だけ階段を昇り、雑妖を取り込んで魔力に変換した。
四階を片付け、五階に足を踏み入れる。
「ランテルナ島の拠点は、今のところ置いてある。連絡役の老婦人は、キルクルス教団に不満を持つアーテル人も引き入れておるので、当面は処遇を保留された。だが、まぁ、時期が来ればいずれ、始末せねばなるまい」
「ネモラリス人なのに、どうして……ホントに、復讐に囚われた人たちを、説得して止めさせることって、できないんですか?」
陸軍情報部の少尉は、若い魔装兵の問いに淋しげな微笑を返した。
☆アーテルの首都ルフスの高級住宅街/一家惨殺……「836.ルフスの廃屋」参照
☆ポデレス大統領の演説……「869.復讐派のテロ」参照




