910.身を以て知る
エレベーターでひとつ上がる。ここも、大部屋に数人ずつ収容されていた。詰めかけた身内が神学生の不幸を嘆く。
個室はひとつを除いて面会謝絶だ。
救急車のサイレンが近付いて来る。
……セプテントリオー呪医だったら、あっという間に治せちゃうのにな。
魔法を排除した結果が、これだ。
生存者の何割が元の身体まで回復し、何割がここで息を引き取るだろう。
共に旅した少年と同じ「ファーキル」の名札が掛かった病室をノックする。
期待の籠もった弱々しい声が応えた。
「父様? 母様?」
「いえ、すみません。ロークです」
「えっ? ロークさん? あ、開いてます。どうぞ」
喜びと驚きが縒り合わさった声が招く。
病室には神学生のファーキル・パークシルス一人きりだった。
頭から顔の半分までが包帯に覆われ、両目が塞がっている。点滴が繋がった手も包帯だらけだ。消毒薬の匂いに微かな血臭が混じる。掛け布団の下がどうなっているのか、想像したくない。
「ロークさん、ご無事だったんですね? よかったです。僕の実家は、ストラージャ地方のずっと南で凄く遠いんです。テロ対策の都市間移動規制もありますし、連絡は行ったと思うんですけど、まだ誰も来なくて、司祭様や刑事さんに何度も同じことを聞かれたんですけど、何が起きたのかちっとも教えて下さらなくて、不安で心配で、みんなはどうなったんですか? ご無事ですか? あぁ、スキーヌムさんがどこへ行ったか、ご存知ありませんか? 冬休み明けから行方不明で、司祭様もクラスのみんなも心配して」
神学生ファーキルは、安堵と不安を一息にぶちまけ、咳込んだ。
咳が鎮まるのを待って、水差しで口を湿らせてやる。
「ナースコール、押しましょうか?」
「い、いえ、大丈夫です。それより、差支えなければ、色々教えて下さいませんか?」
「えっと……何から話そうかな?」
ロークは少し考え、明るい話題を出してやった。
「もう一人のファーキル君、ファーキル・ラティ・フォリウス君は、君よりも軽傷で大部屋に居ますよ。ご家族とお話ししてらしたので、お見舞いは遠慮したんですけど、廊下からちらっと見た感じ、座って話していましたから、命に別条なさそうでした」
「そうなんですか。あの子も助かったんですね。教えていただけて嬉しいです」
苦痛に歪んだ口許が僅かに綻んだ。
このファーキルからは、何の情報も得られなさそうだが、これだけで帰るのは不自然だ。居場所を探られないよう、同じ嘘を吹き込む。
「さっき、ウルサ・マヨル君のお見舞いをした時にも話したんですけど、俺はあちらの国の事情で居られなくなって、スキーヌム君に伝言をお願いしたんですよ。ニュースで神学校が大変なコトになったのを知って、大急ぎで来たんですけど、飛行機の時間があるから、あんまり長居は……」
「あっ、お引き留めしてごめんなさい。僕のことはお気になさらず、間に合うようにお帰り下さいね」
「ギリギリまで居ますよ。……爆弾テロらしいんですけど、犯人とか、詳しいことはまだ全然わからないのです。却って不安になるから、気を遣って教えて下さらなかったんじゃないんでしょうか」
神学生ファーキルは、包帯の下の目で見ようとするのか、ロークに顔を向けた。
「いえ、教えて下さってありがとうございます。僕……今まで、星の標のニュースを特に何も思わないで聞き流していました。でも、爆弾テロってこんな……ランテルナ自治区の魔法使いの人たちは、ずっと、こんな……」
育ちのよさそうな神学生が、声を詰まらせる。
ロークは彼の傷だらけの手を両手で包み込んだ。熱があるのか、妙に熱い。
「礼拝堂が完全に崩壊して、今も救助活動が続いています」
神学生ファーキル・パークシルスが、嗚咽を堪えて頷く。
ロークは、ニェフリート運河の畔で空襲の炎に炙られた夜を思い出した。
楔となる言葉をみつけ、身を以て同じ苦痛を味わうまで、魔法使いへの迫害を聞き流していた神学生の心に打ち込む。
「まだ、犯人が何者なのかわかりませんけど、もし、ネモラリスの魔法使いの仕業なら、アーテル軍が先に仕掛けた空襲への報復ですよ。今朝の新聞には、複数の種類の爆弾……星の標が使うような手作り爆弾じゃなくて、アーテル軍の基地から盗まれたものらしいって専門家の推測が載っていました」
「魔法使いなのに、悪しき業じゃなくて、わざわざ基地から盗んでまで、アーテル軍の爆弾で……」
神学生ファーキルがふっつり黙る。
……戦争がどんなものか、思い知ればいい。
神学生の手を離し、丸椅子から腰を上げる。
「そろそろ時間なので」
「いえ、わざわざお見舞い、ありがとうございました」
見えぬ目をロークの声に向け、無理に微笑む。
ロークは春物のコートを鞄に掛け、ジャケットに着替えた。【化粧】の首飾りで別人になり、襟の中に魔法の道具を隠す。
「もう来られないと思いますが、ファーキル君たち、みんなの一日も早い回復をお祈りしますね。さようなら」
「ありがとうございます。ロークさんも、お元気で」
ロークは階段で一階まで降り、何食わぬ顔でルフス中央病院を去った。
※ 共に旅した少年と同じ「ファーキル」の名札=キルクルス教社会では、「松明」を意味する「ファーキル」はありふれた名で、神学校の同級生にも二人居る……「803.行方不明事件」参照
☆テロ対策の都市間移動規制……「802.居ない子扱い」参照
☆爆弾テロ/ランテルナ自治区の魔法使いの人たちは、ずっと、こんな……「386.テロに慣れる」「387.星の標の声明」参照
☆ニェフリート運河の畔で空襲の炎に炙られた夜……「056.最終バスの客」~「071.夜に属すモノ」参照
▼ストラージャ地方はアーテル西部。アクイロー基地があるラングースト半島南西部ストラージャ湾沿い。神学生のファーキル・パークシルスは、そのずっと南、スクートゥム王国との国境付近出身。位置の参考「417.空軍の最前線」




