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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三十二章 攻撃

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906.魔獣の犠牲者

 振り向くと、山の()を朝の気配が這い上がろうとしていた。

 どうやら、ネミュス解放軍は出直して来る気はないようだ。

 呪医セプテントリオーは、まだ星々が瞬く方へ向き直り、リストヴァー自治区から逃れる人の群の殿(しんがり)を守る。


 クブルム街道を守る【魔除け】の敷石から、土砂や落ち葉が取り除かれていたお陰で、一行は道に迷うことなく歩みを進められた。

 疲れ切った一行を前へ前へ、西へと追い立てたのは、自治区を襲ったネミュス解放軍の恐怖だ。武器も魔力も持たぬ彼らには、魔法使いの軍勢に対抗し得る手段がない。

 呪医セプテントリオーが確認できただけでも、昨夜、クブルム街道の東端で遭遇した部隊は、魔法戦士の【急降下する(ワシ)】学派の隊長と、自ら戦い得る武器職人【飛翔する(タカ)】学派の交渉役が居た。

 彼らが本気で戦う気なら、傷を癒す【青き片翼】学派を修めたセプテントリオーでは、強い魔力を持つとは言え、己の身を守ることさえ覚束なかっただろう。

 道々思い返し、危うい賭けだったと冷や汗を拭う。



 街道に(うずくま)る人影が見えてきた。

 毛布など、まともな寝具や防寒具を持ち出せた者は居ない。古新聞に(くる)まり、身を寄せ合って微睡(まどろ)む男性たちが、忍ばせた足音に目を覚ましてこちらを見た。誰も何も言わず、膝の上に顔を乗せて寝直す。

 新聞屋の夫婦を先頭にしたのは正解だった。


 呪医セプテントリオーはフードを深く被り直し、街道に点々と横たわる人の群にソルニャーク隊長を探した。


 林業組合の朽ちた小屋には、ブルーシートが掛かっている。ロープでコンクリートブロックに固定され、半分近く落ちた屋根と壁の代わりに風を防いでいた。

 小屋が建つ作業場は、孫生(ひこばえ)が伸び放題だった切り株が取り除かれ、すっきりしていた。中央にはコンクリートブロックを積んだ(かまど)があるが、火を入れておらず、雑妖がうろつく。クブルム街道に近い端で、数人の男性たちが焚火を囲んでいた。


 「あの、ソルニャークさんは……」

 「そっちで寝てるよ」

 「さっき見張りを代わったとこだ」

 「起こしちゃ悪いよ」

 「そうですか。ありがとうございます」

 呪医セプテントリオーは、見張りたちと囁きを交わして、作業場に足を踏み入れた。雑妖の群が白衣の【魔除け】に蹴散らされ、木立の間に逃げ込む。

 ここ数日は天気がよかったらしく、地面は乾いていた。

 見張り以外の者たちは、焚火ができる作業用の広場ではなく、【魔除け】の敷石に守られた街道の上で眠っていた。


 「小屋は女子供専用だ。おっさん、こっちで火に当たれよ」

 ぶっきらぼうな声が呪医を呼び止める。

 「私は、市民病院の呪医(じゅい)です。この広場全体に【簡易結界】を施せば、焚火を増やして安全に暖かく過ごせますよ。……魔法を使ってもよければ」

 焚火の炎が作る濃い陰影が、迷いと困惑を深く見せる。

 共に逃れて来た者たちが、先程拾った(たきぎ)を広場の端に置いた。


 ……隊長が寝ている時に解放軍の件を話せば、パニックが起きるな。


 呪医セプテントリオーが、新聞屋たちに釘を刺す。

 「状況の説明は、みなさんが目を覚ましてからにしましょう」

 「そうですね。何回もおんなじハナシすんのは面倒でございましょう」

 新聞屋が呪医に向ける表情は、まだぎこちない。


 賛成の声はなかったが、反対の声も出なかった。

 呪医は薪を一本拾い、土の地面に内と外を隔てる線を引き始めた。


 ……ネミュス解放軍……クリュークウァ市の支部長が物の道理を解する人物なら、クブルム街道には上がって来ないだろう。


 セプテントリオーは、指揮官が戦略の素人ではないことを祈り、【簡易結界】の準備を続ける。


 視界の端、小屋の西側の木立で何かが動いた。


 呪医の足が止まる。

 異変を察した見張りたちが、フードの顔を向ける方を見遣る。新しい焚火を作っていた菓子屋たちの手が止まった。

 空の色は薄くなってきたが、木立の間はまだ見通せない。人々の目が、小枝を踏み折る音を追う。人間の三倍くらいの何かが、木々の間を這っていた。


 「ッ! てっ、敵襲ー! 起きろーッ!」

 「ば、化け物だーッ!」

 雑妖ではない。この世の肉体を備えたモノが、下生えや落ち枝をヘシ折りながら近付いて来る。

 人々が飛び起き、辺りを見回す。

 女性たちがブルーシートを(めく)って顔を出した。

 「出るな! 引っ込め!」

 燃える枝を手にした男性が小屋に叫ぶ。


 セプテントリオーは【操水】の術で【無尽の瓶】の水を引き出した。水塊を宙に漂わせたものの、どんな魔獣かわからなければ、次の動きを決められない。

 昇り始めた朝日に恐怖と焦燥が露わになる。

 ソルニャーク隊長が、拳銃を手に作業用の広場に駆け込む。

 「隊長!」

 「掩護(えんご)を頼む」

 「掩護……どうすれば?」

 「あれの動きを止められるか?」

 「水で浮かせてみます」

 寝起きとは思えない指示に従い、呪医は木立に水塊を突入させた。軽トラの荷台一杯分くらいの水が、芋虫のようなモノと地面の間に滑り込む。力ある言葉で更に命じ、水そのものを地面から引き離す。


 梢の上に朝の光が射し、若葉を透かして降り注ぐ。


 老人の上半身に巨大な芋虫が続き、その背には老婆の半身が背泳ぎの浮彫のようにくっついていた。

 でたらめに生えた人の腕が宙を掻く。頭部を成す老人に表情はない。口がぐにょりと広がり、人間を丸呑みできそうな虫の口吻が突き出た。


 「あいつに食われたら、婆さんみたいになっちまうのか?」

 工員プラエソーが、火の()いた枝を手に後退(あとずさ)る。

 芋虫の胴が蠢く度に老婆がぐにゃりと捻じれる。


 魔獣の移動は阻止できたが、動きまでは止められない。水中でのた打ち、身をくねらせて術から逃れようと足掻く。セプテントリオーは水に命じ、中心へ向かう流れを作って逃がすまいとする。

 魔獣が流れに(あらが)い、老人の頭と腕一本、体節の一部が脱した。ソルニャーク隊長が撃鉄を起こし、両手で拳銃を構える。

 誰のものかわからない腕が太い枝を掴み、魔獣の半身がずるりと水を抜ける。


 夜明けの山に銃声が響いた。


 銀の弾丸が老人の額を撃ち抜いたが、一滴の血も流れない。貫通した弾が幹に食い込んだ。(うつ)ろに空いた穴から白い線虫のようなモノが無数に這い出し、水に混じる。


 ……まさか、幼体? あれがこの世の生き物に侵入してはマズい。


 「水よ、熱く(たぎ)れ!」


 セプテントリオーは力ある言葉で命じ、魔獣を包む水を沸かした。熱湯程度でどうにかできるとは思えないが、呪医であるセプテントリオーには、咄嗟に他の攻撃手段を思いつけなかった。


 「人間の部分は、捕食された犠牲者で、魔獣の本体ではありません」

 「芋虫の部分に当てねばならんのか」


 老人の胴に連なる芋虫の体節からは、成虫のような脚と幼虫の吸盤のような脚が不規則に生えていた。幼虫の吸盤が幹に取りつき、水流に抗う。

 熱湯程度では、何の痛痒も感じないらしい。


 二発目は、熱湯からはみ出した芋虫の胴に当たったが、銀の弾丸は柔らかそうに見えた身に弾かれ、地面にめり込んだ。

 人々は燃える枝で加勢するどころではなく、作業場の反対側へ後退る。


 ソルニャーク隊長が、魔獣から目を放さずにリボルバーを操作し、銀の弾丸を一発だけ取り出す。

 「これは、何とかの矢のように魔力を籠めて威力を上げられないのか?」

 「なんとかのや……【祓魔(ふつま)の矢】ですか?」

 呪医も魔獣を見詰め、水を操りながら摺り足で隊長に近付く。

 手を触れた瞬間、弾が魔力を帯びて淡い光に包まれた。刻まれた呪印には、見覚えがあった。


 「これは【結籠火輪(むすびこむかりん)】! 【急降下する(ワシ)】学派の攻撃魔法です」

 ソルニャーク隊長が、魔力を帯びた弾を装填する。


 「水よ、二手に分かれよ」

 力ある言葉の命令で、魔獣を包む水が頭部と体節の端に移動する。熱湯から解放された芋虫の胴が激しくくねり、取り込まれた老婆が捻じれる。

 ソルニャーク隊長が呼吸を止めて照準を合わせる。

 どうにかして魔獣の動きを止められないかと、口の中に熱湯を流し込むが、この世ならぬ生き物は相変わらず、でたらめに手と脚が生えた胴を狂おしい激しさで動かし続ける。


 銃声が轟いた。


 魔力を帯びた弾は、老婆の下にある芋虫の胴にめり込んだ。

 貫通せず、虫の胴が膨張を始める。


 「なっ……何だ?」

 「お、おい、みんな、逃げろ!」

 プラエソーが火の()いた枝を落としてへたり込み、新聞屋が叫ぶ。


 ……まさか、私の魔力を吸収……いや、違う。


 魔獣の身が元の数倍に膨れ上がり、破裂するかと身構える。

 ソルニャーク隊長が撃鉄を起こしたが、その必要はなかった。唐突に魔獣の色が失われ、灰となって崩れたかと思うと風に消える。

 セプテントリオーは、地に落ちた線虫を土ごと【操水】で掻き集めた。灰に濁った水が、透明度を取り戻しつつ木々の根元を這い回り、落下した線虫を一匹残らず捕える。


 「日輪(にちりん)の小さき欠片(かけら) 舞い降りよ 輪の内に 灯熱(あかりほとぼり) 火よ()きよ」


 枝を拾い、地面に円を描いて【炉】を(おこ)した。水に呑ませた灰と線虫を即席の焼却炉に()べる。水の中身を全て円内に捨て、力ある言葉で繰り返し命じ、この術の限界まで火力を上げた。

 「熱く 熱く 炎よ踊れ! 熱く 熱く 炎よ踊れ……」



 「な、何で急に灰になっちまったんです?」

 新聞屋が恐る恐る呪医と隊長の傍へ寄った。

 ソルニャーク隊長が答える。星の道義勇軍は、自治区東部のバラック地帯で魔獣狩りも行っていたと言っていた。

 「弾が、魔獣の“存在の核”にかすめたのだろう」

 「存在の核……?」

 「現世(うつよ)幽界(かくりよ)、冥界……三界(さんかい)で肉体と幽体の芯を貫く“存在そのもの”だ。魔物は本来、幽界(かくりよ)の住民だ。肉体と幽体を同時に破壊されるか、存在の核を傷付ければ、現世(うつよ)にも幽界にも居られなくなり、冥界に送られる」

 「えーっと、死ぬってコトですかい?」

 「そう言うことだ。これで当分、この世には出て来られん」

 人々に安堵が広がり、女性たちがブルーシートの端を僅かに持ち上げ、小屋から顔を出す。



 線虫の(なり)をした魔獣の幼体を全て焼き尽くした時には、完全に夜が明けていた。

☆芋虫のようなモノ/老人の上半身に巨大な芋虫が続き、その背に老婆の半身……「180.老人を見舞う」「537.ゾーラタ区民」参照

☆工員プラエソー……「895.逃げ惑う群衆」参照

☆何とかの矢/【祓魔の矢】……「413.飛び道具の案」「414.修行の厳しさ」「533.身を守る手段」参照

☆【結籠火輪】……使用例「233.消え去る魔獣」参照

☆弾が、魔獣の“存在の核”にかすめた……「233.消え去る魔獣」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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