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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三十二章 攻撃

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904.逆恨みの告口

 礼拝堂の大扉が司祭の手で閉められ、誰も入れなくなった。


 老いた尼僧が説教壇の中央で声を張り上げる。

 「身重の方と乳幼児をお連れの方は、奥の集会室へ移動して下さい」


 奥に近い該当者から順に移動が始まる。

 押されて流産しては大変だ。ここでおむつを替えられても困る。集会室には、子連れで針仕事などをする者用に予備のおむつが置いてある。

 誰からも異論が出ず、礼拝堂に残る者は身を横にして彼らを通した。


 人が減って隙間ができ、空気が僅かに緩む。


 ラゾールニクのタブレット端末は、説教壇の上で何度も同じ曲を繰り返す。カリンドゥラの歌声が、締め切られた礼拝堂に響き渡り、荘厳な雰囲気に包まれた。

 尼僧とクフシーンカ、ラゾールニクは画用紙に歌詞を書き写し続ける。


 一枚完成させたラゾールニクが、クフシーンカの耳元で囁く。

 「店長さん、汚れたおむつ、ゴミ袋に詰めて人が来ない部屋に運んでくれないかな? 後で俺が洗うから」

 魔法で洗ってくれるらしい。

 有難いが、教会の中で魔法を使うことに反対する者は多いだろう。そもそも、彼が魔法使いであると知られればパニックが起きるかもしれない。


 クフシーンカが反応に迷っていると、魔法使いの青年は更に言った。

 「穢れをそのままにしたら、夜に魔が涌くかもよ? 外からは入れなくても、内から涌くのは止められないから」

 彼は、おむつかぶれから皮膚病になることを心配したのではなかった。


 クフシーンカはふと、あの日のアシーナを思い出した。


 忌まわしい記憶を振り払い、魔法使いの青年に感謝を示す。

 「ありがとうございます。では」

 「私の休憩室に置きましょう。何か必要なものはありますか?」

 尼僧も、彼が何者か薄々気付いているのだろう。声を潜めて聞いた。

 「えーっと、水と、段ボール箱にゴミ袋被せたのがあれば便利かな」

 尼僧が頷き、書き上がった歌詞を手に奥へ行く。


 「あちらは御寮人様(おりょうにんさま)にお任せしましょう」

 クフシーンカは、歌詞の紙をベンチの右手側の壁に貼った。前方の歌詞が見えなかった人々が右を向く。

 間を空けてもう一枚。

 かなりの人数が、旋律を憶えようとハミングで歌をなぞり、調子外れの声が重なり合ってカリンドゥラの声を追う。

 全員が見られるようにするには、もっと必要だ。

 説教壇を振り向くと、読み書きできる者が手伝ってくれていた。


 ……若い人の方が速く書けるわね。


 クフシーンカは、壇を離れたついでに外の物音を窺おうと、大扉に近付いた。

 付近の人々が、何とも言えない顔で扉を見ている。数人は扉に耳を当てて苦い顔だ。扉越しに、憶えのある声が聞こえた。



 「司祭様、こんな時まで私が半視力だからって差別なさるんですか?」

 「違います。ここはもういっぱいで、一人も入れないのです。アシーナも早く山へお逃げなさい」

 「そんな……魔物や魔獣がいっぱい居るのに……酷い。司祭様は私に化け物の餌になれっておっしゃるんですね」

 啜り泣きに司祭の溜め息が重なる。

 「アシーナは去年、あの事業を手伝わなかったから知らないだけで、山の中にも安全な道があります。今なら大丈夫です。道を知っている人の後に続いてお逃げなさい」


 啜り泣きに揺れる声が、批難に尖る。

 「じゃあどうして、教会に人を押しこんでるんですか? ホントに大丈夫なら、みんなで山に行けばいいじゃないですか」

 「教会に身を寄せるのは、お年寄りや足が不自由な方など、山に登れない方々です。アシーナは、早くお逃げなさい」

 「私だって山なんかムリです。入れて下さい! 一生のお願いです! 何でもしますから!」


 クフシーンカは、あの豪雨の日を思い出し、把手に掛けた手を離した。

 恐怖と不安に囚われた人々の中に、口から雑妖を吐き出すと知れ渡った少女を入れればどうなるか。


 ……教会で犠牲者を出すなんてとんでもない。


 ここへ逃れてきた人々には、戦う力は勿論(もちろん)、逃げる力さえなく、他にどこにも行き場がないのだ。

 肩を叩かれ、振り向く。ラゾールニクが大扉に手を掛けた。

 「ここ、もうガッチリ閉めるから、最後にもう一回、司祭様に声掛けてみよう」

 止める間もなく扉を開く。

 礼拝堂内からカリンドゥラと避難者の歌声が流れ、外の光景が目に飛び込む。


 司祭とアシーナは、緑色の髪の集団を前に沈黙していた。

 全部で三十人くらいだろうか。服装はまちまちだが、揃いの腕章を左肩に巻いている。白地に描かれるのは、青い花と水滴。クフシーンカの遠い記憶が甦った。


 ……あれは、湖の女神の花。


 水滴は、「涙の(うみ)」とも称されるラキュス湖を表すのだろう。

 湖の女神パニセア・ユニ・フローラを信奉する湖の民。初めて目にしたが、あれこそが、クーデータを起こしたネミュス解放軍の旗印に違いない。

 解放軍の兵は、誰一人として武器を(たずさ)えておらず、中には女性の姿もあった。仲間と囁き交わし、今のところ攻撃する気配はない。



 最初に気を取り直したのは、ラゾールニクだった。

 「遅かったか……司祭様!」

 「私に構わず、閉めて下さい」

 司祭は振り返らずに言い、一歩前へ出た。

 アシーナが蒼白な顔を湖の民の集団に向け、じりじりと道の方へ移動する。教会の敷地から真新しいアスファルトの道までが、遙か彼方に感じられた。


 「教会に助けを求めて来られたのは、お年寄りや乳幼児、その母親、身体の不自由な方など、戦うことも遠くへ逃れることも叶わぬ弱い人々ばかりです。お引き取り下さい」

 静かな声が堂々と告げる。

 部隊長らしき年嵩の男性が前へ出た。彼が口を開くより先にアシーナが駆け寄って捲し立てる。

 「そうです! ここには私たち弱者しか居ません! 星の(しるべ)は山です!」

 「山だと?」

 「山の中に昔の道が残ってて、そこに武器を置いてるんです! 早く行かないと武器を取って戻ってきます!」

 「アシーナ……あなたは何故、そのような嘘を()くのですか?」

 司祭の声には怒りではなく、深い悲しみと、理解の範疇を超える者への恐怖が滲む。咎めたのでもなければ、責めているのでもない。本当に、何故こんなことをするのか質問したのだ。

 初対面の湖の民たちも、この二人のただならぬ様子に戸惑う。


 「司祭様は、星の(しるべ)が怖いからって信仰を曲げてまでそうやって(かば)うんですね! 私、もうこんなのイヤなんです! 解放軍のみなさん! 星の標は今も大勢、山へ向かってます! 異端者をやっつけて私たちを助けて下さい!」

 アシーナは目に涙を浮かべ、真摯に誠実にネミュス解放軍の部隊長に訴える。

 隊長は、金髪の少女が指差すクブルム山脈へ目を遣り、キルクルス教の聖職者に視線を戻した。仮設住宅の隙間から、山へ向かう人の群がちらちら見える。


 「今日の作戦には【()かし水鏡(みかがみ)】を持って来ておらんが、一応、どちらの言い分も聞かせてもらおうか」

 「先程、あなた方が戦った相手は、恐らく、マレーニ染業の従業員です。同社は社長兼工場長を筆頭に、全従業員が星の(しるべ)の構成員で、工場内には密輸した武器弾薬を蓄えていました」

 「戦闘の前に教えていただきたかった情報ですな」

 隊長が薄く笑う。

 兵の一部は大扉の隙間から中を窺い、細く流れるカリンドゥラの歌声に耳を傾けていた。

☆外からは入れなくても、内から涌くのは止められない……「716.保存と保護は」参照

☆あの日のアシーナ……「483.惑わされぬ眼」参照

☆子連れで針仕事などをする……「294.弱者救済事業」「311.集まった古着」参照

☆去年、あの事業……「442.未来に続く道」参照

☆あの豪雨の日……「480.最終日の豪雨」~「485.半視力の視界」参照

☆【明かし水鏡】……「564.行き先別分配」「596.安否を確める」「597.父母の安否は」「623.水鏡への問い」参照

☆マレーニ染業……「896.聖者のご加護」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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