903.戦闘員を説得
ネミュス解放軍の部隊長が、呪医セプテントリオーを鼻で笑う。
「ラキュス・ネーニア家の一員ともあろうお方が、何故、このような場所で陸の民風情を守っておられるのです?」
「ウヌク・エルハイア将軍は、人種や信仰などで分け隔てせず、力を持つ武人として、弱き者たちを守ってきた。その心がわからんのか」
隊長は大仰な動作で肩を竦めた。
交渉役が怯えた目で、隊長の背中とセプテントリオーを交互に見る。
後方に控える九人の困惑が、夜気を通して広場に伝わった。
隊長が上目遣いに呪医を見る。
「私ごとき下賤の者になど、お答え下さる義務はないとお考えですか?」
「私は開戦後、シェラタン当主とも話し合ったが……我々湖の民の心はバラバラになってしまったのだと痛感させられた。私は、私の信じる方法で、平和を望む民を守りたい。ただ、それだけだ」
「確かに、当主様は我々の前にはお姿を見せて下さらず、アル・ジャディ将軍は政府軍に留まり、陸の民……主神派のクリペウス首相らに与しておりますな」
「自治区を滅ぼしたところで爆弾テロはなくならん。クレーヴェルの状況を見てわからんのか?」
隊長は薄笑いを引っ込めたが、質問への答えは返さなかった。焚火の光を受けて揺らぐ水壁の向こうで、【急降下する鷲】学派の徽章が輝く。
……【光の槍】を撃たれれば、水の壁などないも同然だ。
呪医セプテントリオーは、怯えを気取られぬよう、背筋を伸ばして立つ。
後方の者たちが囁きを交わした。
交渉役が更に数歩退がって跪く。
「畏れながら申し上げます。あなた様は、自治区の他にも星の標の拠点を把握していらっしゃるのですね? 是非とも我らにご教示賜りますよう、お願い申し上げます」
隊長が振り向いたが、交渉役は顔を上げない。
「教えれば、自治区同様、無辜の民に多大な害を成そう。ウヌク・エルハイア将軍の膝元でさえ、隠れキルクルス教徒の疑いを掛けられ、無実の力なき民が迫害を受けているのだ。思い込みで私刑に処された者も居る。教えられよう筈がない」
「ご存知ないから、言えないのではありませんか?」
隊長が薄笑いを浮かべて部下を振り返る。
交渉役も、セプテントリオーの身分を信じたワケではなさそうだが、情報収集の為と割り切ったのか、慇懃な態度を崩さない。ネミュス解放軍の兵は態度を決めかね、表情を動かさなかった。
ロークとファーキルをはじめ、多くの同志が危険を冒して、ネモラリス共和国各地に散らばる星の標の拠点情報を集めている。
白衣のポケットには、諜報員ラゾールニクのタブレット端末がある。この手帳大の機械には、その全てが記録されているだろう。
……端末の使い方を知っていたとしても、彼らにだけはこの情報を渡せない。
ロークと国営放送アナウンサーのジョールチが取りまとめた情報を心の中で反芻し、末端の戦闘員にも開示できる部分を濾し取る。
「ネモラリス島内に散らばる拠点を潰しにかかれば、星の標の思う壺だ。奴らの狙いは、キルクルス教徒への弾圧を煽り、国際社会に人権侵害を訴え、正当な手段でバルバツム連邦を主体とする国連軍の武力介入を招じ入れることだ。大局を見て自重せよ」
交渉役が弾かれたように顔を上げた。隊長の顔から嘲りの色が消える。
呪医セプテントリオーは畳みかけた。
「直ちにここを去れ! 行って指揮官に伝えよ。ディケアと同じ轍を踏まぬよう兵を退けと!」
「あなた様の呼称をお伝えしても……?」
交渉役が怯えた目で聞く。
「構わん。その為に明かしたのだ。ラキュス・ラクリマリス王国軍でそれなりの地位にあった者ならば、私を知っている。国連軍の武力介入を招けば、ディケアの二の舞だ。呪医のセプテントリオー・ラキュス・ネーニアが、自治区から兵を退けと命じたと伝えよ」
隊長が同じ色の瞳で呪医を見詰める。
解放軍の兵が、隊長とラキュス・ネーニアの家名を称する呪医の出方を見守る。
魔物の群が、夜の無言を行き交う。
まだこの世の肉体を持たぬモノたちは、ヘタな粘土細工のように形を変えながら、木々の間を流れてゆく。
隊長が右手を胸に当て、頭を垂れた。
「御意」
顔を上げ、背後に手振りで合図する。隊員たちは一斉に【跳躍】を唱え、何処かへ姿を消した。
跪いていた交渉役が立ち上がり、右手を胸に当てる。
「あなた様のお言葉、必ずやクリュークウァ支部長カピヨーにお伝え致します」
「ご無礼の段、平にご容赦下さい」
交渉役と隊長も【跳躍】で去った。
呪医セプテントリオーは水壁を【無尽の瓶】に収め、きっちり蓋を閉め直して白衣のポケットに片付けた。部隊の【灯】を失い、不意に暗くなったクブルム街道に背を向ける。
自治区民たちは、ネミュス解放軍の部隊が姿を消しても、広場の隅で石像のように固まって動かなかった。
「残っていれば、古新聞を一枚いただけませんか?」
呪医が声を掛けると、新聞屋はバネ仕掛けの人形のような動きで立ち上がり、荷物を漁った。他の者たちが恐ろしげに見守る中、朝刊一部を表彰状のような手つきで呪医に捧げる。
「一枚で大丈夫ですよ」
一枚だけ取って残りを返し、薪に円錐形になるように巻きつける。薪の一方の端が、新聞スカートの裾の中に収まるように形を整え、【灯】を点けた。
即席のランプシェードに遮られ、淡い光が足下だけを照らす。
「焚火を消します。決して光を上に向けないように気を付けて下さい」
「は、はいいぃッ! 畏まりました!」
呪医セプテントリオーは苦笑を咳払いで誤魔化した。
「私が貴族だったのは旧王国時代までで、今の我々はシェラタン当主も含めて、みなさんと同じ庶民ですよ」
「へっ? い、いや、でも、その、湖の民の偉いお人なんですよね?」
「あいつら、掌返してあんな……ねぇ」
新聞屋と妻が頷き合う。
「二百年近く前のことですよ。それより、彼らが戻って来るといけません。ひとまず西の小屋へ」
荷物と薪を掴んで一斉に立ち上がり、【灯】を持つ新聞屋を先頭に移動を始めた。呪医は【無尽の瓶】をそっと開け、焚火を消して最後尾をついて行く。
クブルム街道の両脇は、大人の肩の高さまで土砂が積もり、下からは光が見えないだろう。
……あの部隊は、どこまで私を信じてくれただろう。
半分以上、嘘だと思ってくれても構わない。セプテントリオーが何者であるか、信じろと言う方が無理な相談だともわかっている。
ただ、信じる信じないは別として、国連軍の介入を阻止する為、これ以上の市街戦が発生しないよう、あの情報をそのまま、指揮官に伝えてくれさえすればよかった。
極度の恐怖と緊張に晒され、慣れない夜の山を行く力なき民の足取りは重い。
呪医セプテントリオーは、口を開けた【無尽の瓶】を手に背後を守って歩く。
明けない夜などないと知っている。
それでも、小屋も夜明けも遠かった。
☆シェラタン当主とも話し合った……「684.ラキュスの核」「685.分家の端くれ」参照
☆ネモラリス共和国各地に散らばる星の標の拠点情報……「624.隠れ教徒一覧」「654.父からの情報」「694.質問を考える」~「696.情報を集める」「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」「808.散らばる拠点」参照
☆奴らの狙いは(中略)国連軍の武力介入を招じ入れること……「724.利用するもの」「803.行方不明事件」「893.動きだす作戦」参照
☆ディケアと同じ轍……「727.ディケアの港」「728.空港での決心」参照




