901.外部との通信
黄昏の光の中、クブルム街道の坂を上り、あの日、最後に【癒しの風】で大勢を治療した広場に出た。
南のラクリマリス領と西の北ザカート市まで続く分岐だ。
タブレット端末を起動すると、アンテナの表示は二本。
呪医セプテントリオーはホッとして、諜報員ラゾールニクに教えられた絵を指先でつつき、画面を切替えた。
ラゾールニクが入力し、下書きの項目に入れてくれたメッセージは三件ある。何をどこへ送るか気になったが、充電が惜しかった。
教えられた通りに「送信ボタン」の絵をつつく。
一件はすぐに「送信完了」の表示が出たが、二件目は「送信中」のまま進まない。気は急くが、どうすることもできず、胃の痛みを堪えて見守る他なかった。
画面が薄暗くなり、血の気が引いた。
……途中で充電が切れたら、全く届かないのだろうか? それとも、手紙を半分に割いたような形で届くのだろうか?
こんなことなら、アミトスチグマに居る間に、ファーキルから使い方を教えてもらえばよかった、と後悔が首をもたげる。
呪医セプテントリオーは、今更嘆いても仕方がないことから意識を引き剥がし、画面から顔を上げた。
広場の隅で毛布に包まった一団が蹲っている。
一人が気付いて立ち上がった。
「センセイ!」
「新聞屋さん、ご無事だったのですね」
「はい。お陰さんで。女房が毛布やら食いモンやら掻き集めてくれたんで、この通り」
新聞屋の隣で妻らしき女性が会釈する。
調理服の男性、エプロンの上からコートを羽織った女性、小学生くらいの男の子も立ち上がった。
「ウチと近所の店も、仕立屋さんから聞いて、車に色々積んで来たんですよ」
「下の広場で、ウチは防寒着代わりの古新聞、菓子屋とパン屋と乾物屋は食いモンを来る人みんなにちょっとずつ配って、車が空になってから上がって来たんだ」
「それでもう疲れちゃって、ここで休んでたんです。他のみなさんは怖いからって、どんどん先へ行ったんですけど」
新聞屋の妻が街道の先へ目を遣る。
木々の隙間から見える人影は、随分小さくなっていた。
エプロン姿の女性が溜め息を吐く。
「人数が多いから、飴玉一個やドライフルーツ一個ずつで配っても、全然足りなかったんですよ。お水は時間がなくて用意できなかったし」
「水なら大丈夫ですよ。……あっ、その……魔法を使ってもよろしければ」
呪医セプテントリオーが遠慮がちに言うと、少年が両親の後ろに隠れた。
新聞屋が苦笑する。
「言ったろ? このセンセイは悪い魔法使いなんかじゃねぇ。今までずっと、自治区で大怪我した人たちを助けてくれてた市民病院のお医者さんだ」
「さっき、新聞屋さんから色々お伺いしました。湖の民なのに、私たちキルクルス教徒も助けて下さる有難いお人だって」
菓子屋の店長が恐縮する。
「お気になさらず。旧王国時代には、当たり前のことだったのですから」
「旧王国時代……ですか?」
新聞屋の妻が眉根を寄せる。
「はい。ラキュス・ラクリマリス王国時代は軍医として、魔獣駆除隊と共に各地に派遣され、被害者の治療にあたっていました。キルクルス教徒は力なき民ばかりなので、特に被害が大きく……」
「ちょっと待って下さい! 昔の人、魔法の治療を受けてたんですか?」
菓子屋の店長が割り込んだ。
「えぇ。一部、意識のない時に治療して、回復後に自殺する人も居ましたが、大抵の方はすんなり受け容れてくれましたよ」
呪医セプテントリオーが苦い記憶を語ると、大人たちは複雑な顔をした。
少年が、母親の後ろから顔だけ出して聞く。
「センセイ、軍隊だったから、魔獣やっつけられるんだ?」
「残念ながら、私は後方支援で、魔獣をやっつける魔法は使えません。……魔獣から身を守る魔法なら、少し知っていますよ」
呪医の説明に少年の顔色がめまぐるしく変わる。
「そろそろ日が落ちますし、後でここに【簡易結界】を掛けましょう。その前にどなたか、タブレット端末に詳しい方……」
「俺ぁ区長さんにちょっとだけ見せてもらったが、使い方まではなぁ」
新聞屋が頭を掻いて菓子屋を見ると、夫婦揃って激しく首を横に振った。
呪医が諦めて端末を見ると、新聞屋はおっかなびっくり画面を覗いた。
「センセイ、何を送ってるんです?」
「ラゾールニクが用意してくれたメッセージです。電波の届く場所に着いたら送るように頼まれたのですが、急に画面が暗くなってしまって……」
まだ「送信中」の表示が出ている。
「あぁ、そいつぁ、しばらく触ってねぇと節電でそうなるらしいんで、故障じゃねぇそうですよ」
「そうでしたか」
少し安心したが、送信中に余計なことをしてどうにかなっては困るので、どの途、待つしかない。手帳型のケースを閉じ、白衣のポケットに戻した。
広場を囲む南の斜面に手を伸ばして小枝を拾う。
サロートカとの旅を思い出し、土砂に埋もれたままの南方面の街道に這い上がって、薪になりそうな枝を拾い集めた。ある程度集めては、広場に落とす。
夕日に照らされた木々の影が長く伸び、雑妖が濃くなってゆく。汚い霧のように漂う存在は、呪医の周囲を避けて通った。
五人が広場の中央に薪を移し、焚火の形に組む。
疲れ切った男女十数人が、広場に上がってきた。
質素な袋の把手には、丸めた毛布を挟んでいる。
「司祭様が、教会はもういっぱいだから、山道か、いっそのこと家に居た方がマシだって言うから……」
「食べられる草、摘みながら来たんだ。半分くらい食ってもいいから、火に当たらせてくれよ」
「はははっ。人数増えたからって冷えるモンじゃあんめぇし、気にすんな」
新聞屋が手招きする。
呪医は更に三束拾って渡し、彼らに見えない所へ移動した。
土の地面に円を描いて【炉】で火を熾す。
ふと気になって、端末を見た。いつの間にか表示が「送信完了」に切替っている。安堵のあまり膝から力が抜けそうになったが、残りの一件も送信し、【操水】で水抜きした枝に火を点けた。
すぐに【炉】を消して広場に戻る。
新聞屋に火種の枝を手渡し、土砂のせいで一段高くなった道から飛び降りた。
「ひっ」
後から来た女性が悲鳴を呑み込んだ。フードが外れたことに気付き、呪医は時が停まったような沈黙の中で、立ち尽くす。
「この人は、市民病院のセンセイだ。悪い魔法使いなんかじゃねぇ」
「あ、あぁ、司祭様がおっしゃってた人ですか」
新聞屋の説明で、場の空気が緩んだ。
肩の力が抜けた所で、白衣のポケットが震えた。ギョッとして手を入れる。端末がひとりでに震えているのだ。
……ファーキル君の端末も、よく机の上で動いていたな。
画面には「送信完了」の表示の他に「着信あり」の表示が出ていた。
恐る恐る指先でつついてみると、新着メッセージの画面に切替った。
了解。明日の朝、開門と同時に出発するわ。
ノージ市の北門に行くから、救援物資、取りに来てちょうだい。
場所わかんなかったら、呪医に行ってもらって。彼なら知ってるから。
同志たちに急いで調べてもらたんだけど、今のとこ政府軍に動きはナシ。
真っ先に詰所の兵を殲滅して外部との連絡を遮断したみたいね。
明日の朝になれば、工事の船がグリャージ港に着くから、その時に通報されるかもしれないけど、政府軍が動けば、三つ巴の戦いになって却って被害が大きくなるでしょうから、私からは軍に情報提供しないでおくわ。
わかってるでしょうけど、危なくなったら呪医と隊長の首根っこ捕まえて跳ぶのよ。
詳しい話はまた明日、ノージでしましょう。
差出人は運び屋フィアールカだ。
……あれっ? 私をラゾールニクだと思って?
どうやら、教会に残ったラゾールニクが持っているのが予備の端末で、こちらは彼がいつも使っているものらしい。
呪医セプテントリオーは、返事の仕方がわからず途方に暮れた。
☆あの日、最後に【癒しの風】で大勢を癒した広場……「556.治療を終えて」参照
☆ウチと近所の店も、仕立屋さんから聞いて……「894.急を知らせる」参照
☆一部、意識のない時に治療して、回復後に自殺する人も居ました……「369.歴史の教え方」「551.癒しを望む者」「561.命を擲つ覚悟」「591.生の声を発信」参照
☆サロートカとの旅……「583.二人の旅立ち」~「585.峠道の訪問者」参照




