900.謳えこの歌を
ラゾールニクが説教台の下から出て立ち上がる。
「貼り出してもらったのは、『すべて ひとしい ひとつの花』って言うラキュス・ラクリマリス王国が、共和制に移行した百周年を記念して、民族融和を謳った曲の歌詞だ。制作中に半世紀の内乱が始まったせいで、未完成だけど」
青年の指がタブレット端末を撫でる。
穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える
澄んだ女声が、先程のクラリネットの旋律をなぞり、礼拝堂に響き渡る。
赤子たちが泣き止んだ。
懐かしい歌声にクフシーンカの目から涙が一滴零れた。
「……カリンドゥラ」
「そう。歌ってるのは、歌手のニプトラ・ネウマエ。内乱前はネモラリス島で、店長さんの近所に住んでたカリンドゥラさんだ。彼女は【歌う鷦鷯】学派を修めた魔法使いで、フラクシヌス教徒だけど、キルクルス教徒の男性と結婚した」
自治区民たちの息を呑む音がひとつに重なった。
涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる
「内乱前はそうやって、ラキュス・ラクリマリス王国とその続きの共和国の民として、共存できてた。ニプトラ・ネウマエが歌い手に選ばれたのは、民族融和を体現した人だからなんだ」
「そんなバカな!」
「ウソよ! そんなのあるワケない!」
「デタラメ言うな!」
若く敬虔なキルクルス教徒たちから怒号が上がる。
悲しい誓いと涸れ果てた涙
武器を手放し 歩む
ニプトラ・ネウマエがアカペラで歌う声が、罵声を縫って礼拝堂の外へ出る。
「内乱前に生まれたお年寄りは、知ってると思うけど、八十代後半より上の人って、もう居ないのかな? 内乱の前半生まれの人はどう? 田舎の方だと終わり頃までそんな感じだったらしいけど?」
二度とは戻らない 悲しみの日々 街を包んだ炎
心当たりのある者たちが、ハッとして、壇上のラゾールニクとクフシーンカを見た。だが、周囲を見回し、怒号を上げる者たちの勢いに怖気付いたのか、誰も何も言わない。
安らかに眠るがいい 共に手を取り合って
「誰に何と言われようと、過去の事実は動かせない。今、嘘だって否定してるあんたたちは、内乱前や内乱中の時代を知ってて言ってるのか? そうやって否定する人たちのせいで、信仰の異なる家族が数えきれないくらい何組もバラバラにされたんだ」
否定の言葉を叫んだ者の幾人かは、気マズそうに口を噤んで下を向いたが、更に語気を荒げる者の方が多かった。
「そんなモン信じられっか!」
「お前こそ、若造の癖に知った風な口きくんじゃねぇ!」
「大体、あんた何様よッ?」
清らかな空の青
友と夢見た 雲の晴れ間 風が戦いの終焉を知らせる
水汲みを終えた尼僧と母親が戻ってきた。母親が老人の手から我が子を受け取り、何度も礼を言う。
「これが、平和をもたらす歌なのですね?」
事情を知らない尼僧が聞く。
声を荒げていた者が、ひとつ深呼吸して怒声を鎮めて言った。
「御寮人様、違います。魔女が歌ってるんです」
「こんなの聞いたら耳が腐っちまう!」
「おい! お前! さっさと止めろ!」
悲しい誓いと涸れ果てた涙
罪を償い 歩め
老いた尼僧はゆっくり首を横に振り、背筋を伸ばして説教壇に上がった。
「歌の価値は、誰が歌うかで決まるものではありません。この詩に耳を傾けてご覧なさい」
叫んだ訳ではないが、尼僧の強い声は礼拝堂の隅々にまで届いた。礼拝堂の前列に詰めかけた者たちが、前の壁に貼り出された歌詞を見る。
これから共に歩む……
「自分とは信仰や考えが異なる人々を全て取り除こうとするのでは、ネミュス解放軍や星の標の人たちと同じになってしまいます。お集まりのみなさんの中にも、身内やお友達が星の標に異端の烙印を捺され、殺された方がいらっしゃるのを存じております」
正面切って星の標に異を唱えた尼僧に恐怖と驚愕、怯えと同意が混じり合った眼差しが向けられる。
憎悪と悲しみの鎖を断って
「声を荒げ、時には暴力を以て異なる信仰や考えを取り除こうとする限り、戦いは終わりません」
尼僧の言葉を噛みしめる沈黙の中で、最後の一節が高らかに謳い上げられた。
共に 咲かせよう ひとつのこの花を
歌声が消えた途端、悲鳴に近い叫びが上がった。
「今、そこに、湖の女神の狂信者が来てんのに!」
「こんな歌なんかで止められるワケないでしょ!」
「聖者様! お助けを!」
「この闇を拓く智恵の光を!」
赤子が泣きだし、礼拝堂が恐怖と喧騒の坩堝と化す。
ラゾールニクが群衆に負けじと声を張り上げる。
「区長さんが言ってたよ。魔法使いの人たちが、自治区の一般人をネモラリスの民として、自分たちと同じ人間だと思ってるなら、無差別攻撃なんかしないし、戦えない人には手出ししないだろうって」
「魔法使い共は、現に、俺らを虫ケラ扱いしてんじゃねぇか!」
「きっと皆殺しにされるわ! 聖者様、お助け下さい!」
怒号と悲鳴がますます大きくなった。
「お静かに」
戸口に立つ司祭の一声で、女性たちが自分の口を押さえ、男性たちが扉に向き直る。司祭が一同を見回して言う。
「市民病院の呪医は、湖の民の魔法使いでフラクシヌス教徒ですが、これまで何度も自治区から救急搬送された重傷患者を助けて下さいました」
「でも、そのせいで友達の一家は皆殺しにされたのよ」
「放っておいてくれた方がよかったのに」
礼拝堂から上がった声に幾つもの頭が縦に揺れる。
「問題を取り違えてはなりません。救ったのは誰で、殺したのは誰でしたか? 本当に悪しき行いをしたのは、どちらだと思いますか?」
司祭の問いが礼拝堂内と、入れずに外を屯する人々の耳と心を打つ。
「でも、ここじゃ、星の標の言うコト聞かないと、あぁやって殺されるんだ!」
「正しいとか間違ってるとか言っても、殺されたんじゃなんにもなりゃしない」
「仕方ないじゃない! 皆殺しにされるより、怪我人を見殺しにした方がマシなんだから!」
叫びに頷く頭が増える。
司祭が現実を口にした。
「大聖堂を擁するバンクシア共和国は、星の標を国際テロ組織に指定しています。彼らは異端の信仰と暴力で、このリストヴァー自治区を支配しているのです」
「んで、ネミュス解放軍の目的は、自治区の星の標を潰すことだ。市民病院の呪医は、湖の民だけど、解放軍が動いたって聞いて、みんなが戦闘に巻き込まれないように、避難させる為に駆け付けてくれたんだよ」
人々は壇上の青年をチラリと振り返り、すぐ大扉の司祭に向き直った。
「花の色は違っても、同じひとつの花壇に植えて咲かせることができます。花の色が異なると言う理由で、取り除いてよいものでしょうか」
司祭の問いに答える声は上がらなかったが、穏やかな声が力なき群を諭す。
「信仰は私たちひとりひとりの心の内にあるものです。他と比べて優劣を競うものでもなければ、他を排除する理由にしていいものでもありません。みなさんの胸の内で大切に育む信仰の花は、ひとつひとつが、すべてひとしく尊いものなのです」
「だったら、司祭様が解放軍と区長さんたちに言って、戦いを停めとくれよ」
どこからか声が上がり、人々は固唾を飲んで司祭を窺った。
「そのつもりです。私はこの扉の外で待ちます。もし、星の標やネミュス解放軍の方々が来られたら、説得します」
「でも、西教区の前の司祭様は星の標に……!」
「司祭様も早く中へ!」
「誰だッ? さっき司祭様をけしかけた奴ぁ!」
礼拝堂が再び騒がしくなったが、司祭が両開きの扉を半分閉めると、水を打ったように静まり返った。
「この歌の詩は、元々三行しかなかった。でも、今回の戦争で、難民になった人や難民を支援する色んな国の人、ネモラリスだけじゃなくて、ラクリマリスやアーテル、アミトスチグマ、もっとずっと遠くの国の人、色んな立場の色んな信仰の人たちが、戦争を終わらせて平和を取り戻したいって気持ちだけで繋がって、ここまで作り上げたんだ」
「俺らとは関係ねぇとこで、知らねぇ間にできた歌だ」
説教壇前に立つ老人が、「それがどうした」と言いたげな目をラゾールニクに向ける。
「確かにじいさんの知らない間にできた歌だけど、自治区とは関係ない歌なんかじゃないよ。あの冬の大火を逃れて自治区の外へ出た人たちも、作詞に関わってるんだ」
「そんなバカな!」
「信じる信じないで水掛け論してる場合じゃないんだけど、今言ったコトは事実だ。この曲はネモラリス島の市民楽団とかが演奏して、FMラジオでも流してて、インターネットでも公開してる。ラクリマリスやアミトスチグマの神殿でも、難民支援の慈善コンサートで何度も、有名な歌手が歌ってたから、自治区の外じゃかなり広まってるし、ネミュス解放軍も知ってると思うよ」
ラゾールニクは、気色ばむ群衆が口を挟む暇もない程の早口で捲し立て、不敵な笑みを浮かべて礼拝堂を見回した。
人々の猜疑の視線が、自治区外の情報に詳し過ぎる青年に針山のように突き刺さるが、ラゾールニクはどこ吹く風で続ける。
「俺が何者かって? 俺は情報屋さん。このタブレット端末を使って情報収集してるんだ。タブレット端末が何かわかんない人は、後で区長さんか新聞屋の店長さんにでも聞いてくれ。区長さんはこれと似たような端末を持ってるし、新聞屋さんは区長さんに見せてもらったコトあるから」
ラゾールニクが端末を掲げて群衆に見せる。
「知ってる。区長さんがその何とかって機械で、バンクシアの大聖堂に助けを求めて下さったお陰で、寄付がいっぱい集まったのよ」
「ねぇ、それでアーテルかどこかに助けを求めてちょうだいよ」
猜疑が懇願に変わった。
「残念ながら、自治区内じゃムリで、クブルム街道まで行かないと電波が届かないんだ」
「だったら、こんなとこ居ないで山へ行っとくれよ!」
「あんた、見たとこ元気そうじゃないか」
ラゾールニクはみんなに見えるよう、ゆっくり首を横に振った。
「さっき、俺が聖典に書かれた古い詞で教会の護りを固めたの、見たよね? この壇が力の要で、俺が長時間離れたら、ここのみんなを守れなくなるんだけど、いいのか?」
引き攣った顔が、半分閉じた大扉に向けられる。
司祭が大きく頷くと、あちこちから絶望の声が上がった。
「だから、俺は予備の端末を市民病院の呪医に預けたんだ。電波届くところまで行ったら、メッセージを送信して欲しいって」
「助けが来るのね?」
人々の顔が希望に輝く。
……一体どこに連絡を?
クフシーンカは傍らの青年を見たが、今、その質問を口に出すのは憚られた。
「だから、この歌をみんなで謳って欲しいんだ」
「何でこんな時に歌なんか……!」
当然の疑問だ。
「ネミュス解放軍は、徒歩の魔法使いだ。爆撃機で、地上の声が届かない高いとこから爆弾を落とすワケじゃない。自分たちも知ってる『平和を願う歌』が聞こえる場所をいきなり攻撃すんのって、気分的に難しいと思うけど、どうかな?」
「でも、ホントに歌くらいでやめてくれるのかねぇ?」
老婆が首を捻る。
「そうよね。でも、何もしないよりは、気が紛れていいんじゃないかな?」
近くに立っていたウィオラが言うと、周囲の人々がぎこちなく頷いて、壁に貼り出された歌詞を見上げた。
「イチかバチかやってみようじゃないのさ」
「どうせ俺らにできることなんざ、なんもねぇしよ」
「歌ったくらいで攻撃を避けてもらえンなら、儲けモンだよな」
次々と上がる同意の声に頷いて、ラゾールニクが再び端末を撫でた。
人々がカリンドゥラの歌声に耳を傾ける。
魔女の歌だと罵った者たちは、苦い顔をしただけで何も言わなかった。
「ラゾールニクさん、みなさんをよろしくお願いします」
「わかりました。司祭様もご安全にー!」
ラゾールニクが大きく手を振ると、司祭は残りの扉を閉めた。
☆『すべて ひとしい ひとつの花』って言う(中略)未完成だ……「220.追憶の琴の音」「268.歌を探す鷦鷯」「549.定まらない心」参照
▼「すべて ひとしい ひとつの花」の歌詞制作途中
☆歌手のニプトラ・ネウマエ(中略)カリンドゥラさんだ。……「374.四人のお針子」「540.そっくりさん」「548.薄く遠い血縁」「554.信仰への疑問」参照
☆彼女は【歌う鷦鷯】学派を修めた魔法使いで、フラクシヌス教徒だけど、キルクルス教徒の男性と結婚した……「090.恵まれた境遇」「260.雨の日の手紙」「555.壊れない友情」参照
☆田舎の方だと終わり頃までそんな感じだったらしい……「888.信仰心を語る」「889.失われた平和」参照
☆区長さんが言ってた……「893.動きだす作戦」参照
☆自治区から救急搬送された重傷患者を助けて下さいました……017.かつての患者」「369.歴史の教え方」「529.引継ぎがない」「551.癒しを望む者」「552.古新聞を乞う」参照
☆皆殺しにされるより、怪我人を見殺しにした方がマシ……「018.警察署の状態」「026.三十年の不満」「551.癒しを望む者」、「560.分断の皺寄せ」「561.命を擲つ覚悟」「591.生の声を発信」「859.自治区民の話」参照
☆星の標を国際テロ組織に指定……「560.分断の皺寄せ」、「338.遙か遠い一歩」「369.歴史の教え方」「492.後悔と復讐と」参照
☆前の司祭様は星の標に……「557.仕立屋の客人」参照
☆この歌の詩は、元々三行しかなかった。でも(中略)ここまで作り上げた……元々三行「220.追憶の琴の音」「275.みつかった歌」、ここまで作り上げた「305.慈善の演奏会」「348.詩の募集開始」「349.呪歌癒しの風」「378.この歌を作る」「510.小学生の質問」「511.歌詞の続きを」「515.アイドルたち」「516.呼掛けの収録」「647.初めての本屋」「659.広場での昼食」「774.詩人が加わる」上の図も参照
※ あの冬の大火を逃れて自治区の外へ出た人たち……針子のアミエーラ、星の道義勇軍のソルニャーク隊長、メドヴェージ、少年兵モーフのこと。
☆あの冬の大火……「054.自治区の災厄」参照
☆ネモラリス島の市民楽団とかが演奏……「305.慈善の演奏会」「525.眠れない夜に」「572.別れ難い人々」「580.王国側の報道」参照
☆FMラジオでも流して……「785.似たような詞」「789.臨時FM放送」「819.地方ニュース」「885.公開生放送中」参照
☆インターネットでも公開してる……「280.目印となる歌」「289.情報の共有化」~「291.歌を広める者」「324.助けを求める」「525.眠れない夜に」「572.別れ難い人々」参照
☆難民支援の慈善コンサートで何度も、有名な歌手が歌ってた……「540.そっくりさん」「572.別れ難い人々」「813.新しい年の光」参照
☆区長さんがその何とかって機械で(中略)寄付がいっぱい集まった……「276.区画整理事業」「562.遠回りな連絡」参照




