899.教会の避難民
呪医にラゾールニクと呼ばれた金髪の青年が、タブレット端末をいじって司祭に向ける。
「これをなるべく大きい紙に書き写して、貼り出して欲しいんだ」
「これは……?」
戸惑う司祭に早口で告げる。
「歌詞。まだ決まってないとこはハミングで」
「これを歌えば、解放軍の攻撃を避けられるのね?」
クフシーンカが思いつきを口にすると、ラゾールニクは顔を輝かせた。
「流石、年の功だね。察しが良くて助かるよ。壁から遠い人用になるべくたくさん書いて配って、後、延長コード、ここまで引っ張って」
今は、質問の時間さえ惜しい。
老いた尼僧が奥へ必要な物を取りに行く。
司祭とクフシーンカは大扉の前で、助けを求めて殺到した人々を教会内とクブルム街道へ、声を限りに振り分ける。
「自力で山歩きできる人は、クブルム街道へ!」
「山道は星の道義勇軍と市民病院のお医者さんが守ってくれまーす!」
「ここ、もうすぐいっぱいだから!」
「女子供と歩けねぇ奴以外、お断りだ!」
子連れの女性や老人、怪我人たちも誘導を手伝ってくれた。
遠目にシーニー緑地を駆け上がる人の群が見えたが、ここからではどう頑張っても声が届かない。
「緑地へ行ってる人に、団地の方は危ないって教えてあげてー!」
理由を説明する余裕もない。
若く体力に自信のある男女に誘導を頼むが、彼らこそ、緑地へ向かった者たちを呼び戻す余裕などなかった。
入れてもらえないとわかるや、舌打ちして駆け去る者、どうにか入れてもらおうと、跪いて司祭に懇願する者、無理に入ろうとして杖で押し返される者。司祭を前にして口汚く罵る者が居ない分、元バラック街の住民は随分、お行儀よくなったものだが、礼拝堂の大扉付近は混乱を極めていた。
「入れてー! 入れてったらー!」
「私だって山なんか無理よーッ!」
「アソータ! こないだ堅パン分けたげたろ! そこ代わっとくれよ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「命の恩人を裏切るってんだね、人でなしのアソータ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
悲鳴と懇願、泣き声などが入り混じる。
クフシーンカは人の流れに押され、祭壇の近くに戻った。人いきれで息が詰まりそうだが、窓は開けられない。
祭壇では、尼僧とラゾールニクが、画用紙に油性マジックで歌詞を書き写していた。
「私も書きましょう」
「ありがとうございます。でも、もう場所が……」
説教壇は狭く、二人で描くのも画用紙を半分ずつはみ出させている。書き上がった物は、背の高い老人が後ろの壁にテープで貼り出していた。
できることがなくなり、クフシーンカは不安に襲われた。
……ここに逃げた人たちの食べ物は?
倉庫には備蓄があるが、それだけでは到底足りず、下手に出せば奪い合いになりかねない。水道の設備が無事なら、水は飲めるしトイレも使える。
「ポリタンクか何かありましたら、今のうちにお水を溜めておきましょう」
「わかりました。どなたか、水汲みを手伝って下さる方」
「はい! 私! 私やります。この子見てて下さい」
近くに居た女性が、抱いていた三歳くらいの男の子を説教壇の脇に立たせる。
ウィオラがしゃがんで男の子と手を繋いだ。
「お母さんのご用が済むまで、いい子で待ってようね」
途端に男の子の顔がくしゃりと歪む。
ウィオラは困って、母親を見上げた。
「あぁ、いいからいいから。泣くなら泣かせといてちょうだい。迷子にさえなんなきゃいいよ。さ、御寮人様」
母親と老いた尼僧が奥へ引っ込み、男の子が泣きだした。
「何だ坊主、こんくらいのことでいちいち泣いてんじゃねぇぞ」
松葉杖の男性が、栗色の小さな頭をくしゃくしゃ撫で回す。
男の子は目を丸くして口を引き結び、声の方を見上げた。笑顔の男性と目が合った瞬間、盛大に泣きだす。
「おいおい、余計に泣かしてどうすんだ」
「こう言うのはな、だっこしてやりゃ泣き止むんだよ」
壇の周囲に笑いが起こり、老人が男の子に手を伸ばす。
「じいさん、大丈夫かよ? 腰、傷めんじゃねぇか?」
「膝を悪くして山にゃ登れんが、腰はしっかりしとるわい」
皺深い手がひょいと抱き上げ、男の子の背を軽く叩きながら身体を揺らす。ウィオラがおろおろ見守る中、泣き声がだんだん小さくなり、指しゃぶりを始めた。
「ホラ見ろ、ざっとこんなモンよ」
老人の得意げな顔に脂汗が滲む。松葉杖の男性が苦笑した。
「ホラ見ろ、降ろした方がいいんじゃねぇか?」
「いや、これ、もう座んのも無理じゃねぇか?」
老人が扉へ顎をしゃくる。
救いを求める者が礼拝堂にぎゅうぎゅう詰めで、長椅子に座れた者以外はぴったり密着して身動きひとつ取れない。
「これ、司祭様に、外に貼って下さいって回してくれ」
ラゾールニクが、説教壇の前で赤子を抱いた女性に歌詞の画用紙を渡す。荒れた手から隣の老人、皺だらけの手から顔色の悪い男性と、伝言と共に次々と大扉へ送られる。
画用紙の裏に丸めたテープがくっついているのが見えた。
司祭の手に歌詞が渡る。
振り向いた司祭は、悲痛な顔で外へ出た。
「みなさん、これ以上は入れません! クブルム街道へお逃げ下さい!」
「お願いします! この子だけでも、何とか!」
小さな子供だけを入れたのでは、圧し潰されてしまうかもしれない。
司祭が首を横に振ると母親は泣き崩れ、母につられて子供も泣きだした。
大きな教会ではない。
弱者を全員収容するなど、誰の目にも不可能だとわかる。
突然、クラリネットが鳴り響いた。
説教台のタブレット端末だ。
いつの間にか延長コードに繋がり、小型のスピーカーまで付いていた。
クラリネットの哀調を帯びた旋律が、礼拝堂の高い天井に当たり、救いを求める人々に降り注ぐ。初めて耳にした筈だが、どこか懐かしさのある曲だ。
人々の戸惑いが場に満ちる。
「司祭様ー! この曲、聞こえますかー?」
「聞こえます」
ラゾールニクの問いに司祭のよく通る声が返った。
壇上の青年が大きく手を振って了解を伝え、小声で何事か呟く。説教台の下に潜って何やらごそごそした後、彼の声は何故か外から聞こえてきた。
「ネミュス解放軍は、リストヴァー自治区に土地勘がないし、今回は、ウヌク・エルハイア将軍に内緒で来た連中だから、人数はそんなに多くない筈だ」
入り切れない人々に驚きと動揺が広がる。声の主を探して見回す者も居るが、ラゾールニクは説教台の下に隠れていた。
「だから、工場、教会、役所、警察署、放送局なんかの目立つ建物が狙われやすいと思うんだ。奴らの目的は、星の標の支部を潰して、ネモラリス島で起きてる爆弾テロを止めることらしい」
クフシーンカの足下で話しているのに、ラゾールニクの声はここではなく、礼拝堂の外から聞こえる。
……これも、何かの魔法なのね。
「爆弾作ってそうな工場、武器がある警察、キルクルス教の教会、アンテナとかあって一目でわかる放送局は特にヤバい。区長さんたちはヤル気満々で武器持って待ち構えてるから、団地や畑の方に行ったら戦闘に巻き込まれる」
学校も大きくて目立つ建物だが、彼は触れなかった。
質問しようにも、発言者が見当たらず、外の人々が辺りを見回し、司祭に縋るように注目する。
「ですから、クブルム街道や、工場などから遠いなら、自宅の方がマシかもしれません」
「教会の方が危ないってホントですか?」
「だったら、俺らも山に……」
「あんたの足じゃムリよ」
出て行こうとする若者の肩を老婆が掴む。
教会を出ようとする人の流れをラゾールニクの声が止めた。
「扉を閉めれば、聖者様の“正しき業”で守られて、ちょっとやそっと魔法の攻撃を受けたくらいじゃビクともしない。職人さんたちが聖典に載ってる通りにきちんと建ててくれたから」
クラリネットの音が止み、教会が静まり返る。
赤子の弱々しい泣き声が幾つも重なるが、誰もが口を閉ざしたまま、礼拝堂の入口に立つ司祭に視線を注いでいた。
☆彼の声は何故か外から聞こえてきた/ラゾールニクの声はここではなく、礼拝堂の外から聞こえる/何かの魔法……【声投げ】の術「278.支援者の家へ」参照




