0092.情報のない街
朝食後、レノと少年兵モーフの報告を聞き、仲間たちは無言になった。
クルィーロは、魔法塾の講義でそんな話を聞いた覚えがない。学校でも教わらなかった。会社の先輩や上司、近所の年寄り、両親も、誰もそんな恐ろしい闇の塊について語ったことはない。
「普通の魔物なら、この世の生き物を襲う筈です」
薬師アウェッラーナが慎重に言葉を選んで言った。
今朝は大事をとって、運河へはアウェッラーナの他、ソルニャーク隊長と少年兵モーフ、レノも同行した。
念の為、周辺の見回りもしたが、人が隠れられそうな場所は、みつからなかったと言う。
「いずれにせよ、ここは引き払う。今後も夜間の警戒はしっかり行おう」
ソルニャーク隊長の言葉に誰からも異論は出なかった。
警戒するのはいい。それでみつけたとして、その先どう行動すればいいか、誰にもわからない。
昨夜は何もできなかった。
幸い、襲われずに済んだが、戦って勝てるとは思えない。
逃げた方がいいのか、逃げれば追われるのか。
情報が足りず、正体不明ではどうにもできない。
「じゃあ、そろそろ点けますよ」
そう言って、陸の民の少年ロークがラジオの電源を入れた。
昨日と同じ国営放送アナウンサーの落ち着いた声が、避難所情報を読み上げる。十分程度、ネモラリス島の情報が伝えられた。
続いて、ネーニア島。
北から順に救護所と避難所の位置、給水車の展開場所、食糧や日用品の配給、電気、ガス、水道の復旧情報などが、淡々と報じられる。
「軍の指示に従って、落ち着いて行動して下さい。みんなで一丸となって、この国難に立ち向かいましょう」
アナウンサーが締め括り、番組が政府広報に替わる。
女性の声で、被災した国民向けの各種手続き、その申請窓口の場所が、機械のように冷淡な声でゆっくりと伝えられた。
ロークが、みんなの顔を見回して聞く。
「もう、消していいですか?」
ソルニャーク隊長が頷くと、すぐに電源を切った。電池の数には限りがある。
リストヴァー自治区やゼルノー市、マスリーナ市など、ネーニア島中央部、ラクリマリス王国との国境付近の都市名が、全く挙がらなかった。
避難所すら開設できない程、破壊し尽くされてしまったのか。
クルィーロは周囲を見回して溜め息を吐いた。
自分たちは、まだ、生きている。
空襲当日は、対岸のセリェブロー区でも消防団が懸命に消火活動をし、逃げ遅れた市民の避難誘導をした。
昨日は暴漢も居た。
ゼルノー市民は死に絶えてなどいない。
何故、報道では国境近くの街に触れないのか。
「被害状況の確認で、軍の調査団が派遣される筈だ。誰か、見た者はないか?」
ソルニャーク隊長の問いに答えられる者は居なかった。
クルィーロは言われるまで気付かなかった。
軍も警察も消防も、誰ひとりとして、生存者の救助に来ない。
隣のマスリーナ市も絶望的な状態らしいが、首都クレーヴェルには、まだ無事な地区があるのがわかった。
クルィーロはアマナを抱きしめ、背中を軽く叩いてあやしたが、十一歳の妹は石のように表情を変えず、一言も喋らなかった。
レノの妹エランティスも、彫像のようになって兄にしがみつく。
寒さと睡眠不足、恐怖、不安……子供たちだけでなく、みんな一様に疲労の色が濃い。寒さをしのげ、ゆっくり眠れる安全な場所が欲しかった。
「んーっと、確認、いいですか?」
レノが、片手でエランティスの髪を撫でながら大人たちを見回す。
薬師アウェッラーナ、ソルニャーク隊長、メドヴェージ、クルィーロが頷いて先を促す。
「これから運河に行きます。クルィーロとアウェッラーナさんに【操水】の術で橋を作ってもらって、セリェブロー区へ渡ります」
レノはそこで言葉を区切り、魔法使いの二人を見た。
「うん、まぁ、頑張るよ」
「頼む」
クルィーロには全く自信がなかった。それでも、他に渡河手段はない。
このまま西へ行っても、ゾーラタ区の台地には運河と合流する天然のニェフリート河があるだけだ。そちらは、運河よりも流れが速いと聞いたことがある。
河口付近の方が流れが緩やかな分、水を操作しやすいだろう。
「セリェブロー区に渡ったらすぐ、魚を獲ってもらって、水を抜いて干物にしてもらいます」
湖の民アウェッラーナが、レノの目を見て頷く。水抜きなら、クルィーロでも手伝えるので一緒に頷いた。
「後はまぁ、セリェブロー区の状況次第ですが、通過して、マスリーナ市の港を目指します」
避難所の情報がない以上、安全に留まれる場所がある保証はない。明るい内に移動するのが得策だ。
「港が使えそうなら、ネモラリス島に渡る人と、このまま避難所……一番近そうなのは、キパリース市みたいなんで、そこを目指す人に別れる……のかな?」
レノの声が小さくなり、揺れる目がみんなを見回す。
「それは……行ってみるまで、わかりませんよ」
ロークが励ますように言った。
テロの初日、クルィーロたちの母はマスリーナ市に出勤した。会社に居るか、会社の人と一緒にどこかへ避難したかもしれない。
父は出張で、ネモラリス島にある首都クレーヴェルだ。
先に母の消息を尋ねてマスリーナ市内を捜す。みつかってもみつからなくても、その後は父を探しにネモラリス島へ渡る。
父がクルィーロたちを探しにネーニア島へ渡ることも考えられるが、行き違いになった場合の連絡手段はない。
……科学文明国みたいに、携帯電話とかあればなぁ。
そんなことを考えながら、仲間の事情を思い出す。
アウェッラーナの身内は漁師で、テロの初日はラキュス湖で操業中だった。ジェリェーゾ港に戻れなくなり、マスリーナ港に避難した可能性が高い。レノたちの母も、運が良ければ、そんな漁船に拾われたかもしれない。
ロークの家は、セリェブロー区にあると言っていなかっただろうか。
☆レノと少年兵モーフの報告……「0089.夜に動く暗闇」参照
☆空襲当日は、対岸のセリェブロー区でも消防団が懸命に消火活動……「0057.魔力の水晶を」「0060.水晶に注ぐ力」参照
☆昨日は暴漢も居た……「0083.敵となるもの」~「0086.名前も知らぬ」参照
☆【操水】の術で橋を作ってもらって、セリェブロー区へ……橋は空襲で落ちた「0056.最終バスの客」「0057.魔力の水晶を」、他の橋もダメだった「0072.夜明けの湖岸」参照
☆テロの初日、クルィーロたちの母はマスリーナ市に出勤……「0040.飯と危険情報」参照
☆父は出張で、ネモラリス島にある首都クレーヴェル……「0040.飯と危険情報」「0082.よくない報せ」参照
☆アウェッラーナの身内は漁師(中略)マスリーナ港に避難した可能性……「0043.ただ夢もなく」「0049.今後と今夜は」「0056.最終バスの客」参照




