897.ふたつの道へ
ラゾールニクとセプテントリオーが何者か知る三人が、困惑した目を見交わす。
「司祭様、窓って奥の部屋にもあるよね?」
「鉄格子がありますから、大丈夫だと思います」
「うーん……ま、いっか。どうせもう呪符ないし。呪医とソルニャークさん、山道の先導よろしく。俺は、ここを守る」
「一人でこの人数をか?」
ソルニャーク隊長が、説教壇の他は人で埋め尽くされた礼拝堂を見回す。クフシーンカ店長、プラエソー、ウィオラも壇に上がり、ここもいっぱいだ。
諜報員ラゾールニクが、コートのポケットから【無尽の瓶】を出し、呪医セプテントリオーの手に握らせる。
「学校のプール一杯分くらいかな。それとこれ。電波入るとこまで行ったら、送信ボタンよろしく」
タブレット端末と太陽光の充電器も寄越され、マントの下で白衣のポケットに入れる。
諜報員が、露草色の瞳で湖の民の水草色の瞳を覗き込む。
「セプテントリオー様、俺は今回、仮にあなた様が医師ではなく、ここに土地勘をお持ちでなかったとしても、ご同行をお願いしていました。これ以上、無辜の民の命が失われませんよう、何卒、お守り下さい」
言い終えるなり、右手を胸に当て恭しく頭を垂れる。呪医セプテントリオーの胸に苦い物が込み上げた。喉の奥で声が引っ掛かる。
「あなたは、私が何者か、知って……」
「そりゃもう。逆に商売柄、知らない方がヤバくない?」
諜報員ラゾールニクは顔を上げ、いつもの調子でニヤリと笑った。
面食らう司祭たちを置いてけぼりにして、ラゾールニクが場を仕切る。
「ソルニャークさん、クブルム街道は知ってるよね?」
「あぁ。ここからの道順もわかる筈だ」
「じゃあ、ソルニャークさんが住民を先導して、呪医は殿よろしく。別に、ドンパチやってるとこ行って、止めてくれなんて言わないよ。でも、もし、そっちに行ったら、そん時はよろしく」
湖の民の呪医は、苦い思いを飲み下して頷いた。
老尼僧が人波を掻き分け、説教壇に近付く。
「お薬、あんなにたくさん、ありがとうございます」
返されたリュックは膨らんでいた。
「司祭様、お断りもせずに持ち出して申し訳ございません」
革のホルスターに収まった拳銃を差し出す。司祭は受取ってソルニャーク隊長に手渡した。
「いえ、よく気が付いて下さいました。ありがとうございます。……銀の弾丸が入っています」
隊長がホルスターから抜き、リボルバーを動かして装填を確認する。
「六発。了解」
コートを一旦脱ぎ、慣れた手つきでホルスターを装着した。
司祭が説教壇の中央に立ち、群衆に呼び掛けた。
「みなさん、お静かに」
数回繰り返すと、赤子の泣き声以外、聞こえなくなった。
「こちらの方が先程、星道記に記された古い祈りの詞で、聖者様の“正しき業”のお力を高めて下さいました。教会はより一層、堅固になりましたが、教区のみなさんを一人残らずここでお守りするのは不可能です」
ざわめきと困惑、不安、焦りが礼拝堂に満ちる。
「星の標は武器を執り、ネミュス解放軍と戦うことを選びました」
司祭の声に再び場が鎮まる。
「区長たち星の標の幹部は、一部の工場と農村地帯に武器を蓄え、迎撃の準備を整えています。恐らく、団地地区が主戦場になることでしょう」
礼拝堂内の空気が凍りついた。
ネミュス解放軍が、リストヴァー自治区の中枢が団地地区だと知っていれば、そこを目指すだろう。
……しかし、先にここを襲われたら?
セプテントリオーの不安を他所にラゾールニクの横顔は落ち着き払っていた。
司祭の説明が続く。
「自力で山を歩ける方は、クブルム街道へお逃げ下さい。星の道義勇軍のソルニャーク隊長が先導し、市民病院のセンセイも、みなさんをお守り下さいます」
これまでとは別の種類のざわめきが、高い天井に反響した。
司祭が声を張り上げる。
「昨年、クブルム街道で癒された方々は、こちらのセンセイをご存知の筈です。お二人と聖者様のご加護を信じて、街道へお逃げ下さい」
心当たりのある者たちがハッとして、壇上でもフードを被ったままの無礼な不審者に注目する。
……水で壁を作れば、足止めくらいはできるだろう。
セプテントリオーはフードを取らず、一歩前に出て声を発した。
「このまま扉を閉められなければ、誰も助からないかもしれません。みなさんの背後は私がお守りします。可能な方は一緒に山へ行きましょう」
あちこちで顔が明るくなる。
……声を憶えていてくれたのだな。
人が動き始めた。
尼僧が扉へ声を掛ける。
「右側通行ー! 右側通行で! 押さないで、順序よく進んで下さい!」
ウィオラが、夫の肩をそっと押して身を離した。
「あなたも行って」
「離れ離れなんてダメだ! お前たちも一緒に……」
「ムリよ。足手纏いになるわ」
ウィオラがプラエソーを見上げ、大扉に目を遣る。
出て行く者は多いが、外にはまだ、入りきれない弱者が大勢待っている。
「生きてればまた会えるから、行って」
「いっぱいになったら、解放軍の連中が入れないようにガッチリ閉めるから」
ラゾールニクが口を挟むと、ウィオラは夫の手を取り、蒼白な唇で言った。
「私は、この人たちと聖者様を信じる。あなたも、信じて行って」
「誰ひとりとして解放軍の手には渡しません」
「必ず守る」
「俺、ここへの攻撃を避けられるネタ持ってんだ。そっちは頑張って逃げてくれよな」
不審者のセプテントリオー、テロリストのソルニャーク、他所者のラゾールニクの言葉にキルクルス教の司祭が深く頷く。
「共に無事を祈りましょう」
若い夫婦が固く抱き合い、それぞれの道へ別れる。
「星の道義勇軍のソルニャークだ! 山へ行く者は私に続け!」
隊長が拳銃を抜き、高々と掲げて先導する。
クフシーンカ店長の声が、プラエソーの背中を押した。
「ウィオラとおなかの赤ちゃんは、私たちが必ず守るから、どうか、あなたも生き延びて」
「店長さん……お願いします。ウィオラ、俺、絶対……絶対に戻るから!」
プラエソーは妻の返事を待たず、人が減った通路を小走りに行く。
「じゃ、呪医、送信ボタン、忘れずによろしく」
「はい。ラゾールニクさんも、どうかご無事で」
湖の民の呪医は振り返らず、キルクルス教の教会から出た。
☆セプテントリオー様/私が何者か……「684.ラキュスの核」「685.分家の端くれ」参照




