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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第三十二章 攻撃

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895.逃げ惑う群衆

 正午のサイレンではない。

 運転席の時計は、まだ十時を過ぎたばかりだ。

 幾つの工場が鳴らすのか、低く高く、混じり合い、重なり合って、サイレンがリストヴァー自治区に響き渡る。


 道行く人々が、東岸の工場群へ不安な眼差しを注ぐ。

 新聞屋のワゴンが大して行かない内に、大量の社用車が対向車線を流れ始めた。

 どの車も定員以上に工員を乗せ、幌も何もないトラックの荷台にまで人を満載し、一様に恐怖を貼りつかせた顔が無数に運ばれてゆく。


 「遅かったようだな」


 ソルニャーク隊長の視線の先に人の群がある。

 歩道から溢れ、空き地や仮設住宅の敷地を突っ切って押し寄せる。ワゴンの前を走る軽トラが停まり、新聞屋が急ブレーキを掛けた。

 クフシーンカ店長が助手席の窓を開けて叫ぶ。

 「クブルム街道へ! 山へ逃げて!」

 恐怖に凍った人々の口からは悲鳴さえ出ず、誰かが「邪魔だ」「退()け」などと叫ぶ声がヤケに耳につく。


 クフシーンカ店長は群衆に向かって何度も叫ぶ。

 その声は耳と心に届いたのか、届かないのか、人の動きは変わらなかった。


 逃げ惑う人の群に子供の姿はない。

 「学校、どうしやす?」

 「もう対策を協議するなんて、のんきなこと言ってる場合じゃないよね」

 新聞屋の引き攣った顔が振り向き、諜報員ラゾールニクが現況を確認するように応えた。


 「店長さん、店長さーん!」

 女性の高い声が近付いて来る。

 クフシーンカ店長が助手席の窓から身を乗り出して叫ぶ。

 「ウィオラー!」

 ウィオラと呼ばれた若い女性が、押し寄せる人波を半ば溺れながら掻き分け、連れの男性に手を引かれてワゴンに近付く。

 新聞屋がエンジンを掛け直し、クラクションを鳴らした。

 「おい、兄ちゃん、乗せてやってくれ! そのコ、おめでたなんだ」

 ラゾールニクが後部扉を開け、まだ腹が目立たない妊婦を引っ張り上げる。


 呪医セプテントリオーは、ソルニャーク隊長の足下にしゃがんで座席を空けた。

 「プラエソーも、とっとと乗って閉めろ!」

 新聞屋の怒鳴り声に続いて、乱暴に扉が閉まる音がした。

 クフシーンカ店長が叫ぶ。

 「教会へ!」

 新聞屋がクラクションを鳴らしながらワゴンを旋回させる。

 「大きい道、(ふさ)がってるんで、横道から行きやす!」

 「急いで!」

 のろのろ動いていた車がタイヤを軋ませ、急に速度を上げた。群衆の怒声にクラクションで応じ、強引に走りだす。



 知らない男の声が、(せき)を切ったように状況を語る。

 「み、湖の民の軍隊が! 軍隊が、()しき(わざ)で検問所ふっ飛ばして! 悪しき業で、あっという間に門が壊れて! それで、俺、社宅に戻ってウィオラ連れて、とにかく湖の民から逃げねぇと! 新聞屋さん、これ、もっとスピード出ねぇのか? 工場がどうなったかなんて知らねぇ。何せ、湖の民の奴らが攻めて来たんだ!」


 ソルニャーク隊長が、ずれたフードをそっと直してくれた。

 「ネミュス解放軍の規模や指揮官などは?」

 「わかんねぇ! 何もわかんねぇけど、とにかく、湖の民の奴らが攻めて来たんだ! 早く! 早くどっか逃げねぇと!」

 「て、店長さん……これから、どうすれば……」

 細い声が震える。

 新聞屋にプラエソーと呼ばれた青年の声が、懸念を語る。

 「ウィオラは、悪阻(つわり)が酷くて寝込んでたのに、山なんて逃げらんねぇよ。()しき(わざ)で殺されるより、化け物に食われた方がマシってんなら別だけどさ、俺は、俺はウィオラも、俺の子も、化け物の餌になんかしたくないんだ! 助けて……助けてくれよ!」

 取り乱した男性は、むやみに口数が多かった。


 「噂程度で、まだウラが取れてないんだけど、今回来たネミュス解放軍は……」

 ラゾールニクが落ち着いた声で話し始めると、プラエソーは息を呑んで黙った。

 「ここに星の(しるべ)の支部があるって情報を掴んで、ウヌク・エルハイア将軍の命令を待ち切れなくて、勝手に動いた連中らしいよ。ネモラリス島でちょくちょく起きてる爆弾テロを止めたいらしい」

 「あんた、何でそんなハナシ……」

 プラエソーの声に不信感が滲む。


 諜報員ラゾールニクは落ち着いた声で応えた。

 「俺、情報屋だから。それで、さっき区長ンとこ行ってたんだけど、星の(しるべ)のみんなはヤル気満々で、畑ン中で銃持って待ち構えてるから、あっちに逃げるのだけは絶対にダメだ」

 プラエソーの声が沈む。 

 「そっちもか……ウチの隣の工場、星の(しるべ)の武器庫があるんだ。隣は工員みんな星の標だから、今頃きっと……」

 「おめえさんとこは?」

 「ウチは、俺が知ってる奴ン中にゃ居ないよ」


 「では、最初の戦場は工場と商店街だな」

 ソルニャーク隊長の声が、新聞屋とどこかの工員らしきプラエソーの遣り取りに加わる。

 「工員の部隊がどの程度の時間を稼げるか不明だが、今の内にできるだけクブルム街道などへ……」

 「だからッ! 山はダメだっての!」

 「私たちの事業で清めたから、少なくとも日がある内は大丈夫よ」

 クフシーンカ店長が、苛立つ工員を(なだ)めに掛かるが、打てば響く勢いで焦りと疑問が返った。

 「夜は? 星の(しるべ)がどんだけ武器持ってっか知らねぇけど、魔法使いの軍隊相手に(かな)うワケねぇだろ! 大体、あいつらに俺らと星の(しるべ)の見分けなんざ、つくワケねぇ! 誰彼構わず皆殺しにして回るに決まってんだ! もう……もう、おしまいだ。何もかも……」

 「プラエソー……」

 ウィオラの(いた)わりを含んだ声が、涙声で捲し立てる夫を(たしな)める。


 工員プラエソーが懇願した。

 「店長さん、俺、ウィオラたちだけでも助けてやりてぇんだ! 俺はどうなってもいい! なぁ、何かいい知恵出してくれよ! あんた、偉い星道(せいどう)の職人さんなんだろ?」

 「取敢えず、今はみんなで教会へ行きましょう」

 クフシーンカ店長は、静かな祈りのように行き先を告げた。



 ワゴンが停まった。

 「お願いします。お二方のお力で、私たちをお救い下さい」

 先に降りたクフシーンカ店長が、後部座席の扉を開けて頭を下げる。諜報員ラゾールニクは、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で自分を指差した。

 「えっ? 俺?」

 「私もですか?」

 呪医セプテントリオーはフードを下に引き、顔を半分以上隠して身を起こした。


 「お願いします」

 クフシーンカ店長とソルニャーク隊長の声が重なり、セプテントリオーは、自分の魔力で一度に何人【跳躍】で運べるか、考えかけてやめた。


 ……彼らは敬虔なキルクルス教徒だ。自治区外のどこへ連れて行けばいいのだ?


 「すんません、すんません! 俺、女房を!」

 全員降りた途端、新聞屋がアクセルを踏み込み、団地地区の方へ走り去った。



 東地区の教会にはまだ、ネミュス解放軍進攻の報が届いていないらしく、辺りは静かだ。

 粗末な(ほうき)で歩道を掃くおばさんが、怪訝(けげん)な顔で一行を見回し、一番話しやすそうなウィオラに声を掛けた。

 「ウィオラちゃん、悪阻(つわり)どう? 少しはマシになった?」

 「い、いえ、今、それどころじゃなくって」

 「軍隊が、湖の民の奴らが攻めて来たんだッ!」

 「えぇッ?」

 おばさんは、工員夫婦からクフシーンカ店長に視線を移した。

 仕立屋の店長が頷く。

 「自力で山を歩ける人は、クブルム街道へ逃げて」


 おばさんは箒を放り出し、仮設住宅が並ぶ区画へ走って行った。

※ウィオラと工員プラエソー……結婚式「786.束の間の幸せ」参照

 この工員、かなり前から登場している割に、名前は今回が初出。

 この夫婦の馴れ初めから結婚までは「294.弱者救済事業」「372.前を向く人々」「373.行方不明の娘」「405.錆びた鎌の傷」「406.工場の向こう」「418.退院した少女」「420.道を清めよう」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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