893.動きだす作戦
平日にも関わらず、区長は在宅していた。
クフシーンカと新聞屋、アルバイトのフリをした撮影係の青年は、顔馴染みの執事に愛想良く迎えられ、応接間に通される。
「店長さん、丁度いいところへ。つい先程、使いを遣ったばかりですよ」
「あら、では入れ違いになってしまいましたのね? 申し訳ないことを」
「いえいえ、自転車ですから、大した損はありませんよ」
区長がにこやかに言う。
クフシーンカは不快感を抑えて聞いた。
「私にご用と言うのはなんですの?」
区長は、お茶を出す使用人が退がるのを待って答えた。
「いやまぁ、何、例のアレですよ。今朝、インターネットで連絡を受けたのですがね、ネミュス解放軍が今日か明日にでも攻めて来るそうで」
「何ですって?」
クフシーンカが目を剥き、新聞屋と青年は言葉もなく腰を浮かせた。
区長が手振りで座るよう促し、にこりと笑う。
「まぁ、最後まで聞きなさい」
「い、いや、でも、早くみんなに報せねぇと」
「報せる? 東地区の住民にですか?」
「そ、そうだ! おい、バイト、ちょっと電話借りて本社に……」
新聞屋の焦燥と対照的に区長は落ち着き払って言った。
「新聞社へは、私の方からお伝えしましたよ。明日の朝刊には載るでしょう」
「朝刊? 号外じゃねぇのか?」
「号外? あぁ、攻撃が今日なら、夕方には出るかもしれませんね」
ソファを立った青年が、新聞屋と区長を見比べ、困った顔をしてみせる。
区長は鷹揚な笑みで、アルバイトの青年を座らせた。
「君も、まずはお茶を飲んで、落ち着きなさい」
「えっええっ、でも、みんなに報せて、戦えない人を早く逃がさないと……」
「逃がす? どこへ?」
「どこって……どっか、解放軍が来ないとこ?」
リストヴァー自治区に土地勘のない撮影係の青年が、本当に困ってクフシーンカ店長と新聞屋に泣きそうな目を向ける。
クフシーンカは膝で拳を握り、声の震えを抑えて言った。
「山へ……クブルム街道へ行ってもらいましょう」
「おやおや、店長さん、戦えない人を化け物が居る山へ送るのですか?」
区長が肩を竦め、紅茶を啜った。
クフシーンカの額に青筋が浮かび、言葉が出ない。
新聞屋が取り成した。
「まぁまぁ……あの山道、去年、みんなでキレイにしたから、明るい内は雑妖を視なくなりましたよ。あれからみんな、しょっちゅう薪や木の実を拾いに行ってますが、化け物に襲われた奴ぁ今ンとこ一人も出てんねぇんですよ」
「明るい内に戦闘が終わって、家に帰れると良いのですが、何せ、相手があることですからね」
区長が目を伏せて首を横に振る。
……アミエーラは、何日も掛けて街道を抜けて、ゾーラタ区の農家の人に助けてもらったと手紙に書いてたわ。
土砂に埋もれた【魔除け】の敷石は、地脈の力とアミエーラ一人の魔力で夜も彼女を守ってくれたのだ。
これから避難する者の中には、どれだけ「無自覚な力ある民」が居るのか。みんなの力を合わせれば、無事に朝を迎えられる可能性は上がるだろう。【魔除け】の敷石はゾーラタ区まで発掘が終わり、少なくとも、安全な道を見失うことはない。
朝晩冷え込むとは言え、真冬に避難することを思えば、まだ救いがあった。
……でも、こんなの星の標の人の前では言えないわね。
クフシーンカが答えられないでいると、星の標リストヴァー支部長でもある区長が聞いた。
「戦えない人とは、具体的にどのような人を想定しておいでですか?」
「そりゃ、決まってんじゃねぇか。女子供、病人、怪我人、年寄り……星の標の人らみてぇに戦いの心得がなきゃ、俺ら大の男だって、魔法使い相手なんてムリでさぁ」
新聞屋が当然のことを並べる。
区長は満足げに頷いてクフシーンカを見た。
「例えば、店長さん、あの山道をご自分の足で避難できますか?」
「私はもう、いつお迎えが来てもおかしくありませんから、教会でお祈りして過ごそうと思っております。でも、自力で逃げられる人だけでも、何とか」
「店長さんのようなお歳を召された方や、出産直後のご婦人、足が不自由な方。逃げられない人は、自宅か教会で祈りを捧げる他ありません」
区長が、芝居がかった仕草で目を伏せた。
「でも、腕力と体力に自信のある男の人がおんぶすれば、何とかなるんじゃないんですか? 俺だって、店長さん一人くらいなら……」
「いいえ。それでは、あなたが逃げ遅れてしまうわ。私のことはいいから、若いあなたは早くお逃げなさい」
金髪の青年の申し出は有難いが、彼には魔法でここを脱出して、ネミュス解放軍の暴挙を外部に伝えて欲しかった。
「みんながみんな、店長さんのように覚悟できる立派な人間なら良いのですが、逃げる人の足を引っ張り、戦う我々の足手纏いになる人も大勢居ることでしょう」
「た、戦う? 魔法使いの軍団相手に?」
新聞屋の声が裏返る。
区長は落ち着き払って頷いた。
「そうです。これは、信仰を懸けた聖戦なのです。魔法使い共が我々を虫ケラではなく、同じネモラリスの民として、人間扱いする気があるなら、戦えない人々を手に掛けることはないでしょう。どこにも逃げる必要はありません」
「いや、でも……ホラ、あれ、戦闘に巻き込まれたら……」
青年が顔色を失う。
魔法による攻撃がどのようなものか、よく知っているのだろう。
……よく言うわ。自分たちの家族は去年の内にアーテルやネモラリス島へ逃がした癖に。
ゼルノー市のグリャージ港が仮復旧した。
リストヴァー自治区向けの救援物資や工場用の資材、出荷などで貨物船が出入りし、ゼルノー市の復旧工事に当たる船も毎日、通う。
星の標リストヴァー支部の幹部たちは、妻子を貨物船に便乗させてトポリ市へ送った。そこから航空機でディケア共和国を経由してアーテル共和国へ、或いは魔道機船で、レーチカやリャビーナなど、ネモラリス島内でも隠れ信徒が多く住む都市へ送り届けた。
その情報は、弟のラクエウス議員と共に武力を用いず平和を目指す同志たちが集め、昨日の手紙で知らせてくれた。
レーチカとリャビーナの支部に潜入した同志が、「星の標はバルバツム連邦を主力とする国連軍の武力介入を呼び込む為、ネミュス解放軍を煽ってリストヴァー自治区を攻撃させようとしている」との情報も掴んでいた。
その同志はその後、アーテルに潜入し、幹部の子供らが逃れたことも報告していた。
……解放軍……ウヌク・エルハイア将軍は、まんまと乗せられてしまったのね。
現役を退いたこの三十年の間に何があったのか知らないが、もう、半世紀の内乱中、正々堂々と戦い、非戦闘員を無差別に守ってくれた彼ではなくなってしまったのだろう。
「それでは、区長さんたちが、私たち弱い者を守って下さるんですのね?」
「勿論、そのつもりですとも。フラクシヌス教の狂信者共は、悪しき業を用いて我々を苦しめることでしょうが、せめて一矢報いて楽土へ召されてみせますよ」
……悪しき業を用いる者を殺せば楽土へ召されるなんて、聖典のどこにも書いてないのに。とんだ自己紹介ね。
異端の教えを盲信する区長に笑顔を繕って席を立つ。
「東教区の司祭様にお伝えしてきますわね。ご武運を」
「ありがとうございます。我々が、一条の光となってこの闇を拓きましょう」
三人は誰も紅茶に手を付けず、区長宅を後にした。
☆自分たちの家族は去年の内にアーテルやネモラリス島へ逃がした/アーテルに潜入し、幹部の子供らが逃れたことも報告……「724.利用するもの」「786.束の間の幸せ」「796.共通の話題で」参照
☆ゼルノー市のグリャージ港が仮復旧した……「527.あの街の現在」「789.臨時FM放送」参照
☆レーチカとリャビーナの支部に潜入した同志……ロークのこと。
レーチカ「691.議員のお屋敷」「694.質問を考える」~「696.情報を集める」参照
リャビーナ「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」参照
ディケア「727.ディケアの港」「728.空港での決心」
☆「星の標はバルバツム連邦を主力とする国連軍の武力介入を呼び込む為、ネミュス解放軍を煽ってリストヴァー自治区を攻撃させようとしている」との情報……「724.利用するもの」「803.行方不明事件」参照




