891.久し振りの人
ラゾールニクが、布など擬装用の小道具を回収する。
クフシーンカ店長は、その間に別室へ着替えに行った。新聞屋も、椅子を台所に戻しに行く。
……大火の焼け跡から回収した【魔道士の涙】で教会の護りを固めたのか。
呪医セプテントリオーは何ともやり切れぬ思いで司祭を見た。
湖の民は問わず、キルクルス教の聖職者も、黙して語らない。
諜報員ラゾールニクが片付けを終え、新聞屋が戻った。
「もう日が傾いてきましたね。自治区の様子見んのは予定通り、また明日ってコトで」
「俺だったら、今からでもソルニャークさんに案内してもらえるから、大丈夫ですよ」
金髪のラゾールニクが屈託なく笑って言う。
「でも、ソルニャークさんは、あの火事の後、自治区に居なかったんだろ? 別の街みてぇに変わったんだ。案内はムリだよ」
新聞屋が顔の前でヒラヒラ手を振って苦笑した。
ソルニャーク隊長が目を見張る。
「そんなに変わったのですか?」
「えぇ。東教区は八割方、焼失しましたから……」
司祭が目を伏せる。
ソルニャーク隊長の顔が曇り、小声でキルクルス教の祈りの詞を唱えた。
新聞屋が、呪医セプテントリオーに明るい声を掛け、空気を変える。
「明日、朝刊配り終わってからでよけりゃ、センセイも一緒に車で回りますよ」
「いえ、私は……」
「それ被って窓から顔出さなきゃバレねぇって」
「ついでなんだし、見てけばいいんじゃない?」
新聞屋とラゾールニクに言われ、呪医は司祭を見た。
キルクルス教の聖職者が、軽く顎を引き、微笑を浮かべる。
「現在のリストヴァー自治区をご覧になって、もし、機会がございましたら、なるべく多くの人に、アーテルにも伝わりますように……開戦理由にされた“自治区の劣悪な生活環境”は解消された、と発表をお願いします」
「じゃあ、明日、車ン中から写真撮らせてもらえる?」
「勿論です。こちらこそ、よろしくお願いします」
ラゾールニクと司祭で話がまとまり、セプテントリオーも諦めて了承した。
「それでは、我々は一旦、戻ります。明朝、同じ時間にここで」
「今日はお疲れさまでした。お婆ちゃんによろしく」
ラゾールニクが小さく手を振って、呪医と手を繋ぐ。もう一方の手をソルニャーク隊長と繋ぎ、呪医セプテントリオーはアミトスチグマに【跳躍】した。
黄昏色に染まる夏の都の白い街を歩きながら、軽く明日以降の打合せをした。
「じゃ、そう言うことで、俺は今日のデータ預けて編集頼んで、ちょっと買物するんで、また明日」
「また明日」
幾つか確認した後、ラゾールニクが軽く手を振って商店街の人混みに分け入る。印象の薄い姿は、あっという間に人の群に紛れて見えなくなった。
「実際に侵入するまで半信半疑だったのだが、【跳躍】除けの結界は、自治区を完全に囲んでいる訳ではないのだな」
「どう言うことですか?」
ソルニャーク隊長の言葉に呪医セプテントリオーは思わず足を止めた。隊長が歩みを緩め、肩越しに振り返る。
「私は、星の道義勇軍の上層部から、自治区には防衛上の理由で【跳躍】除けの結界が巡らされていると教わった。ラクリマリスとの国境付近は特に厚い、と」
「クブルム山脈からラクリマリス領へ【跳躍】できましたし、自治区の内外への【跳躍】も、あの通り……あ、しかし、自治区とゼルノー市を隔てる壁の傍では、【飛翔】などの術は使えませんでした」
「では、私が聞いた結界云々の話は、魔術を知らぬ上層部の勘違いだったと?」
呪医は星の道義勇軍の小隊長に追い付き、肩を並べて首を横に振った。
「その人たちが、どんな情報をどう解釈して、隊長さんにどんな説明をしたのかわかりませんので、私には何とも言えません」
「魔法で侵入できるなら、ネミュス解放軍が自治区に攻め込んだ場合、住民が避難する時間がなくなる」
呪医は息を呑んだ。
「あ、いえ、しかし、私はあの仕立屋の店長さんから、実際、自治区に敷かれた魔術への防衛機構を教えていただきました。それで【跳躍】したのですよ」
「一部の有力者だけが知っていても、我々庶民には誤った情報が伝えられ、結界があるからと楽観した住民は、逃げ遅れるのではないか?」
「住民を山へ逃がす為に、土砂で埋もれたクブルム街道を発掘したのではありませんか?」
ソルニャーク隊長は、呪医の言葉を小声で反芻し、話題を変えた。
「あのご婦人に渡した服は、明日、忘れずに回収せねばな」
「そうですね。すっかり忘れていました」
呪医セプテントリオーは今日一日、大したことをした気がしなかったが、何故か疲れ切っていた。
隊長に指摘されるまで、服のことなど完全に記憶から飛んでいた。
……あの司祭の言葉、どこまでが本心なのだろうな。
初対面のキルクルス教司祭が、湖の民であるセプテントリオーを易々と受け容れたことが信じ難い。この疑念こそが不和の芽だと知りつつ、彼を完全には信じられない自分を抑えられなかった。
夕飯の席にソルニャーク隊長を迎え、軽い挨拶に続いて旧交を温める。
「みんながどうしてるか、アゴーニさんが時々来て教えてくれるんですけど、直接会えて嬉しいです」
「私も、元気な顔を見られてよかった。君は、少し背が伸びたか?」
ソルニャーク隊長が、ファーキルに笑顔を返した。そう言われてみればそんな気がする。
……ずっと一緒に居ると却ってわからないものだな。
「センセイ、ご無事でよかったです」
「あの、店長さん、お元気でした?」
「えぇ。お陰さまで。明日はあのマントを着て自治区の様子を車から見せていただくことになりました。店長さんは、相変わらずお達者でしたよ」
呪医セプテントリオーは、針子の二人に笑顔を向けた。
ファーキルが話に加わる。
「後で動画の生データ見ます? 顔は映ってませんけど、声は聞けますよ」
針子たちは、呪医に向けたのとは違う種類の笑顔をファーキルに向けた。
「儂も見せてもらって構わんかね?」
「どうぞどうぞ、ラクエウス先生のお姉さんの動画なのに、ダメなワケないじゃないですか」
エレクトラとアステローペが、難しい顔で黙々と食事を進める。
タイゲタが眼鏡の奥で薄笑いを浮かべた。アルキオーネも気付いたらしいが、談笑する自治区民四人とファーキルをチラリと見ただけで、何も言わない。
……針子の二人を取られて面白くないのか。
セプテントリオーは苦笑した。
仲のいい針子の二人が、彼女らが加われない話題で、「知らないおじさん」と盛り上がる。
五人には、共に旅したことやリストヴァー自治区のことなど、共通の話題がたくさんあるが、平和の花束の四人はそのどちらも知らなかった。
女主人のマリャーナは、アサコール党首らと難民キャンプの運営について語る。
……この食卓を囲む者は、本当に何もかもバラバラなのだな。
集った理由は、ラキュス湖南地方に平和を取り戻す為。一人一人を見れば、少しずつ接点はあるが、何事もなければ、まず出会うことさえなった人々だ。
……これも、パニセア・ユニ・フローラ様が結んだ水の縁なのだろうか。
この場に居る者たちは、人種、国籍、出身地、性別、年齢、職業、信仰、魔力の有無の違いを越えて、縁を繋いでいる。
この繋がりがどこまで広がれば、信仰などの違いで分断された人々が、かつてのように隣人として、共に手を取り合って暮らせる日が来るのか。
常命人種の彼らの寿命が尽きる前にその日を迎えられるのか。
……いや、私たちの手で、一日も早く実現させるのだ。
呪医セプテントリオーは、ひとつの食卓を囲む人々の姿に決意を新たにした。
☆開戦理由……「078.ラジオの報道」「144.非番の一兵卒」「162.アーテルの子」「259.古新聞の情報」「568.別れの前夜に」「635.糸口さえなく」「724.利用するもの」参照
☆自治区には防衛上の理由で【跳躍】除けの結界が巡らされていると教わった……「067.事故か報復か」参照
※隠れキルクルス教徒や呪医が耳にした噂……「491.安らげない街」「492.後悔と復讐と」、「558.自治区での朝」参照
※実際、自治区に敷かれた魔術への防衛機構(自治区の有力者の情報)……「559.自治区の秘密」参照
※ネーニア島のクブルム街道には結界があると言う噂……「537.ゾーラタ区民」「550.山道の出会い」参照
※実は、ネーニア島内の国境には【跳躍】除けの結界がない(軍の情報)……「394.ツマーンの森」参照
☆自治区とゼルノー市を隔てる壁の傍では、【飛翔】などの術は使えませんでした……「530.隔てる高い壁」「559.自治区の秘密」参照
☆土砂で埋もれたクブルム街道を発掘……「419.次の救済事業」「420.道を清めよう」「442.未来に続く道」「453.役割それぞれ」「480.最終日の豪雨」「550.山道の出会い」参照




