890.かつての共存
ソルニャークが落ち着いた声で語る。
「リストヴァー自治区東部には、何もかも失った人々が、ロクな住居もない状態で定着しました。廃材などで作った小屋で身を寄せ合い、上下水道、電気、ガスのない世帯が九割以上を占めました」
「あんまりにも入植ペースが早くて、生活インフラの整備が、工場の寮と商店街の辺りしか間に合わなかったから……」
ラクエウス議員らリストヴァー自治区を開設した者たちとて、完全に無為無策だったワケではない。
「商店街に近い所から順に少しずつ説得して、バラックを除けてもらって、アパートを建てたけれど、経済的な事情で入居できない人も多くて……」
「こうなることを見越していたのか、富裕なキルクルス教徒の中には、自治区へ移住せず、信仰を偽ってネモラリス各地に残った者もいます」
「あなた、それをどこで知ったの?」
危うい質問だとは思うが、この対談を耳にする者は、誰でも同じ疑問を抱くだろう。ソルニャークも想定していたのか、答えはすぐに返った。
「工場に出入りする自治区外の業者です。普段はフラクシヌス教徒のフリをしている彼らは、不信心者固有のネットワークを形成し、社会的な地位や経済的な面で強固な繋がりを維持しています」
「フラクシヌス教徒のフリだなんて。信仰を何だと思っているのかしら」
「自治区で暮らす我々には、不信心者の気持など、わかる筈がないでしょう」
クフシーンカはそっと溜め息を吐いた。
「そうね。本当に必要なのは、不信心者への断罪ではなくて、信仰を明かしても殺されない世の中よね」
「そうです。国が分かたれると同時に人々の心も分かたれたのか、心が離れてしまったから国が割れたのか、定かではありません。ただ、かつては、実際に、異なる信仰を持つ者同士が、同じひとつのラキュス・ラクリマリス共和国の民として、共存できていたのです」
「えぇ。そうよ。歴史を繙けば、信仰の違いで諍った時代よりも、平和に共存した時代の方がずっと長いものね。それに、このラキュス湖地方で厳格に魔法や力ある民を排除するのは無理なのよ」
「何故ですか?」
今度はソルニャークが視聴者の疑問を代弁する。
クフシーンカは、壁際で湖の民と肩を並べて立つ司祭を見た。キルクルス教の聖職者の眼には、批難や驚き、嫌悪などはない。
「この辺りの人は大抵、霊視力を持ってるの、ご存知よね? 自治区の外……魔法文明圏の国々では、物質しか見えない半視力の人を“霊質が視えない弱者”として保護の対象にしているわ」
「自治区では、半視力への公的扶助は、特にありませんね」
「えぇ。アルトン・ガザ大陸のキルクルス教国がそうしないので、それに倣ったのでしょう。でもね、霊視力がある人には、力ある民の遺伝的な素因があると言うことが、最近の研究でわかってきたのよ」
「何ですって?」
彼が本当に驚いたのか、視聴者を代弁したのか定かではない。
クフシーンカは静かに頷いた。
「魔力とそれを使う能力の“作用力”。両方を備えた人が力ある民で、力ある民には半視力が居ないの。魔力も作用力もない人は、力なき民。力なき民には半視力の人も居るけれど、この辺りでは少数派ね」
「それでは、まさか、我々にも……」
「最後まで聞いてちょうだい。……魔力はあるけれど、作用力がない人も存在するわ。この人たちを力ある民と呼ぶか、力なき民と呼ぶか、意見が分かれるのだけれど、自力では魔法を使えない人たちよ」
ソルニャークがタイミングよく疑問を挟む。
「自力では、と言うと?」
「作用力がなくても、呪符や魔法の道具は使えるの。去年、自治区の東部を襲った大火の焼け跡には、たくさんの【魔道士の涙】が残されたわ」
ソルニャークと新聞屋が息を呑む。
「魔物が取り込んで魔獣にならないように、教会が回収して、厳重に保管して下さってるから、大丈夫よ」
「それは、つまり、バラック街の住人に、魔力はあっても作用力を持たない者が大勢居た、と言うことなのですね?」
「そうよ。でも、自治区では魔力の検査をしないから、本人も周りの人も知らないの。ここに魔法の道具が持ち込まれない限り、“悪しき業”なんて使えない人たちだったのよ」
「その人たちも、自治区でなら“悪しき業”を使わず、信徒として生きられるのですね?」
司祭が画面の外で深く頷く。
クフシーンカはタブレット端末を見詰めて言った。
「人種、信仰、政治的な信条、生まれつきの魔力の有無で人を分けても、その中間の存在の人たちをどう扱うか、困るでしょう?」
「どこまでを“同じ”者と看做し、どこから自分たちとは“違う”と排除すべきなのか……」
クフシーンカは、女学生時代にカリンドゥラとフリザンテーマが教えてくれたことを思い出した。
フラクシヌス教徒と一口に言っても、多くの信者を集める主神フラクシヌスと湖の女神パニセア・ユニ・フローラの他にも、安全と岩山の神スツラーシや、誓いの女神クリャートウァなどを信仰する少数派も居る。
先程ソルニャークから聞いた通り、湖の民にも、女神パニセア・ユニ・フローラ以外の神を信じる者がいるのだ。
「何度も何度も排除を重ねて、純粋な存在だけの集団を追い求めたって、能力や信仰心が全く均質な人の集団なんて作れないのよ」
「確かに、純化を進めれば進める程、僅かな差異が排除の根拠に繰り上がるだけで、キリがありませんね」
ソルニャークはかなり聡明な人物らしい。
クフシーンカは、映像には残らないとわかっていたが、笑みが零れた。
「違いを認めて、ウチはウチ、ヨソはヨソって割り切って、知らんぷりする思い切りのよさを取り戻せば、平和になるかもしれないわね」
金髪の青年が合図を送り、収録の終わりを知らせる。
カーテンの隙間から漏れる光は、いつの間にか黄昏の色に変わっていた。
☆リストヴァー自治区東部には、何もかも失った人々が、ロクな住居もない状態で定着……「026.三十年の不満」「027.みのりの計画」「156.復興の青写真」「276.区画整理事業」「539.王都の暮らし」参照
☆商店街に近い所から順に少しずつ説得して、バラックを除けてもらって、アパートを建てた……「625.自治区の内情」参照
☆富裕なキルクルス教徒の中には、自治区へ移住せず、信仰を偽ってネモラリス全土に残った者もいます/不信心者固有のネットワークを形成……「042.今後の作戦に」「129.支局長の疑惑」「340.魔哮砲の確認」「546.明かした事情」「569.闇の中の告白」「654.父からの情報」~「658.情報を交わす」「691.議員のお屋敷」~「696.情報を集める」「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」参照
☆異なる信仰を持つ者同士が、同じひとつのラキュス・ラクリマリス共和国の民として、共存/平和に共存した時代の方がずっと長い……「359.歴史の教科書」「370.時代の空気が」「585.峠道の訪問者」、神々の祝日「310.古い曲の記憶」参照
☆魔法文明圏の国々では、物質しか見えない半視力の人を“霊質が視えない弱者”として、保護の対象にしている……「485.半視力の視界」、保護の対象「860.記された呪文」参照
☆霊視力があると言うことは、力ある民の遺伝的な素因がある……「431.統計が示す姿」~「435.排除すべき敵」「559.自治区の秘密」「560.分断の皺寄せ」「590.プロパガンダ」「860.記された呪文」参照
☆誓いの女神クリャートウァ/女学生時代にカリンドゥラとフリザンテーマが教えてくれた日……「555.壊れない友情」参照
☆岩山の神スツラーシ/湖の民にも、女神パニセア・ユニ・フローラ以外の神を信じる者がいる……「240.呪医の思い出」「263.体操の思い出」「272.宿舎での活動」参照




