889.失われた平和
金髪の青年が手を振って合図する。
クフシーンカとソルニャークと呼ばれた自治区民は、対談を中断した。
「二人ともお疲れさん。ここでお昼にしよう。司祭様、一旦帰ります?」
「いえ、仮病で休みましたので、今日の私は人目につく訳には参りません。昼食は持参しましたので、お気遣いなく」
司祭が苦笑すると、金髪の青年はニヤリと笑った。
新聞屋に注目が集まる。
「俺は、支援事業の件でしょっちゅう出入りして、長居するのもみんな知ってるから、今更だな。女房の奴が上手いこと誤魔化してくれるさ」
「台所って窓あります?」
撮影係の青年が、クフシーンカに向き直る。
金髪の下にあるのは、取り立てて特徴がなく、明日には忘れてしまいそうな印象の薄い顔だ。
「えぇ、あります。でも、カーテンや目隠しの類は付けていませんよ。中庭に面した窓で……そうね、団地のベランダ、上の階から見下ろせば、窓辺に立った人は見えるかしらね」
「じゃ、ちょっと細工させてもらいますね」
青年はそう言って、クフシーンカの返事も待たずに寝室を出て行く。
自治区民たちは呆気にとられて見送った。
「恐らく、窓に【幻術】を掛けて誰も居ないように見せかけるのでしょう。店長さんの今日の服装も、知られてはいけませんから」
司祭と新聞屋が、湖の民の説明に目を剥く。クフシーンカは理由を聞いて諦めが付いた。
新聞屋が恐る恐る聞く。
「センセイも、できるんですか?」
「いえ、私は学派……学んだ術の系統が全く異なりますので、そのような術の存在は知っていますが、呪文を知りませんし、呪文だけ教えてもらっても、魔力の巡らせ方がわからないので、使えませんよ」
「ほぉー……そう言うモンなんですかい」
新聞屋がみんなを代弁するように感心した。
撮影係の青年が戻り、ソルニャークと二人で中身が詰まったリュックを台所へ移動する。
「俺らの分は、サンドイッチと堅パンと缶詰持って来たから、ここに居る間、水だけもらえるかな?」
「お水だけでいいの? 香草茶でよければ、お茶も出せるけど?」
「ありがと。俺らが食べる分以外は、店長さんへの手土産」
登山家が使うような大きなリュックサックだ。
クフシーンカは、魔法使いたちの気遣いに微笑を返した。
高齢のクフシーンカは以前もらった保存用の介護食、司祭と新聞屋、外国からの訪問者は、それぞれ持参したサンドイッチなどの軽食で手早く昼食を済ます。
「お土産、以前の分がまだたくさんありますから、教会の備蓄にさせていただいてもよろしいかしら?」
「俺は別に、お婆ちゃんの好きにすればいいと思うけど?」
撮影係の言葉に湖の民の呪医とソルニャークが頷き、司祭が恐縮した。
「よろしいのですか?」
「あんまりたくさんあっても、期限までに食べきれないでしょ」
いつ寿命が尽きてもおかしくない年齢だ。
自分一人で抱え込んで、遺品となってから分配されるより、教会に預けた方がお互い気分がいい。
「あ、そうだ。忘れてた。ラクエウス議員とアミエーラさんとサロートカさんから、手紙預かって来たんだ」
撮影係の青年が、介護食の詰まったリュックを漁り、封筒を取り出す。クフシーンカは三通の封筒を押し戴き、何度も礼を言って食卓に置いた。
気は逸るが、まずは証言の収録だ。小道具をセットした寝室に戻る。
「じゃ、行くよー」
金髪の青年が軽く合図し、二本目の撮影が始まる。
ソルニャークが口を開いた。
「都会の人が、戦いを逃れて村に来てから、状況が変わりました」
「どんな人が来たの?」
「仕事や進学で村を出て、都会で結婚した人たちです。本人だけでなく、家族ぐるみ、結婚相手の親戚も連れて来て、内乱の終わり頃には人口の比率がひっくり返りました」
「まぁ……食べ物とか、大変だったでしょう?」
「それは、どこも同じでしたから……ただ、当時は政治的な信条も強かった主神派や女神派、キルクルス教徒でも排他的な宗派の人たちが入って来て、力ある民の子と遊んでいるのが大人にみつかると、叱られるようになり……」
ソルニャークが、言葉を探すように視線を彷徨わせ、目を閉じた。
沈黙の間も、三脚で固定されたタブレット端末が、記録を続ける。
深い吐息に続いて瞼が上がり、冷たく重い言葉が置かれた。
「遅れ馳せながら、都会と同じ状況になりました」
後のことは、想像に難くない。
「湖の民が多いネモラリス島を脱出し、ネーニア島を転々とし、両親は平和になる二年前に現在の自治区の近くで土地を手に入れ、営農を再開しましたが、やっと手に入れた小さな畑は、内乱の炎で蹂躙されました」
クフシーンカは声を掛けようとしたが、唇が震えるだけで言葉にならなかった。
ソルニャークの唇が、画面の外で淋しげな笑みに歪む。
「家族が一人も欠けることなく、内乱の終結を迎えられましたから、我が家は運がよかったのです」
ソルニャークの声は静かで、決して大きくはなかったが、腹に重く響いた。
「キルクルス教徒用に作られた自治区へ素直に移住したのは、信仰を守ることに価値を置き、信仰を理由とした迫害から逃れたかった人々です」
「えぇ。そうね。信仰によって住む所を分ければ、もうあんなことにはならないと思った人たちが力を尽くして、和平が成立した時に国が分かれたのよ。ラクリマリス王家は、キルクルス教徒を完全に締め出して、ランテルナ島やネーニア島の北部に追い出してしまったけれど、ネモラリスとアーテルはそれぞれ、少数派の為の自治区を設けたの」
クフシーンカは自分たちの失敗を苦い思いで噛みしめた。
☆都会と同じ状況/自治区の近くで土地を手に入れ、営農を再開……「046.人心が荒れる」「059.仕立屋の店長」参照
☆後のこと……「059.仕立屋の店長」「090.恵まれた境遇」「091.魔除けの護符」参照
☆キルクルス教徒用に作られた自治区へ素直に移住した……「026.三十年の不満」「018.警察署の状態」「019.壁越しの対話」参照
☆自分たちの失敗……「214.老いた姉と弟」「044.自治区の生活」「064.自治区外の目」参照




