0091.魔除けの護符
「引越してるでしょうし、雲を掴むような話だけど、遠縁を頼りなさい。何の宛もないより、ずっといいから」
店長は、食卓に封筒を二通並べた。
一通はカリンドゥラの住所と宛名、もう一通は白紙だ。
「こっちはカリンドゥラさんの写真」
白紙の封筒から、古ぼけた写真を取り出して見せる。
セピア色に変色した写真には、三人の女性が写っていた。
「左はフリザンテーマ、真ん中は私、右がカリンドゥラさんよ」
アミエーラは、年老いた祖母しか知らない。よく似た姉妹は、確かに母の面影があった。つまり、アミエーラとも似ている。
「カリンドゥラさんは長命人種だから、今もこの姿のままよ。これを手掛かりに持ってお行きなさい」
「いいんですか? 大事な物なんじゃ……」
「いいのよ。写真は他にもあるし、思い出はずっと、ここにあるから」
店長は胸に手を当て、微笑んだ。
「あっちに着いたら、お店に電話してちょうだい。これ、今月のお給金」
「えっ? でも、あの、これ……」
新品の財布を差し出され、アミエーラは驚いた。
「退職金みたいなものだと思って。中身が少なくて申し訳ないけれど、銀行が払戻制限をしているから……」
「えっ? そんな大変な時に……店長さんの分は……」
「私は大丈夫よ。今のところ、一週間毎の制限で、来週になれば、また出せるようになるから」
半ば押しつけるように財布を渡され、アミエーラは有難さと申し訳なさで、何と言えばいいやらわからない。言葉の代わりに涙がこぼれ落ちた。
店長は何も言わずに針子を抱きしめ、その背をやさしく撫でる。
アミエーラが落ち着くと、店長は香草茶を淹れてくれた。
薬効のある香りを胸いっぱいに吸い込み、意識的に気持ちを鎮める。
「……すみません。何から何まで……感謝の言葉もみつからないくらいです」
「いいのよ。あなたのこと、孫みたいに思っていますからね」
そう言いながら、店長は手帳と手紙、写真をリュックのポケットに仕舞った。
店長が別のポケットから、今度は小さな布袋を取り出す。
親指くらいの袋で、長くて細い紐付きだ。袋の口を開け、逆さにして振る。
皺くちゃの掌に水晶が転がり出た。袋の半分くらいの大きさだ。
多面体にカットされた水晶は、文字のような規則性のある模様が刻まれ、窓から射し込む光に煌めいた。
「これ、ちょっと手に乗せてみて」
アミエーラは、魅入られたように食卓の上に手を伸ばした。店長がその掌に水晶を乗せる。
大粒の水晶は思いの他、冷たかった。
氷のようにひやりとして、掌からじわじわと体温を奪われるような感覚が広がる。代わりに、水晶が熱を帯び、ほんのり温かくなった。
とても腕のいい職人が手掛けたのだろう。
文字のような飾りが、朝の光を絡めて複雑な輝きを放った。
「やっぱり。あなたはフリザンテーマに似てるわ」
店長が、嘆息した。
アミエーラが店長を見ると、安心したような顔で何度も頷いた。
「水晶をご覧」
言われて、掌に視線を戻す。
水晶の輝きは、内部に淡い光を宿したせいだった。アミエーラが息を呑む。驚きと、その美しさに言葉もなく釘付けになった。
「それはね、【魔力の水晶】よ。魔力を持つ人が触れると、中にその人の力を貯めるの」
「魔力……」
「そう。その袋は、中が二重になってて、【魔除け】の呪文が刺繍してあるわ」
アミエーラの反応を待たず、早口に説明する。
「その袋に魔力を満たした【水晶】を入れておけば、呪文を知らなくても、雑妖や弱い魔物から護ってもらえるの」
店長はアミエーラの手から水晶を取り、袋に戻した。
「あなたの家にも、同じ物があったと思うんだけど……」
「いえ……知りません」
アミエーラが首を横に振ると、店長は立って食卓を回り込み、隣に立った。
「私が持ってても効果はないから、あなたが持ってお行きなさい」
「あの……でも……」
「フリザンテーマが拵えたものだから、孫のあなたにお返しするわ。くれぐれも自治区の誰かにみつからないようにね」
店長が布袋の紐をアミエーラの首に掛ける。
アミエーラはこくりと頷き、袋を襟の中に押し込んだ。
「さあ、すっかり明るくなったことだし、荷物を持って出発よ」
元気よく肩を叩かれ、アミエーラは席を立った。
☆フリザンテーマ……「0059.仕立屋の店長」「0090.恵まれた境遇」参照
☆【魔除け】の呪文が刺繍……「0068.即席魔法使い」参照




