885.公開生放送中
アナウンサーのジョールチが、てきぱき指示して分担を割り振る。
「機材の操作はクルィーロさんにお願いします。オンエアまでに私のわかる範囲でご説明します」
「よろしくお願いします」
パドールリクは、運転席の屋根でアンテナを支える係、レノ、メドヴェージ、アビエースは、ニュースのオンエア中「FMラジオ 公開生放送中 お静かに」と大書した四つ切画用紙を掲げ、見物人が規制線内に入らないよう抑える係、他は合唱要員だ。
レノとメドヴェージも歌うが、老漁師アビエースはまだ歌を覚えていないので、みんなが歌う間も抑えの係をする。
「おはようございます」
「放送、今日ですよね」
仮設住宅の住民が瞳を輝かせて集まってきた。
「はい、あの、午後二時からなんで、まだまだですよ」
「生放送なので、立入禁止の線よりこちらに入らないこと、放送中はお静かにと言うのを皆さんにお伝え願えませんか?」
クルィーロとパドールリクが言うと、一瞬、白けた空気ができたが、仮設の住人たちは快く引き受けてくれた。
「わかった、みんなに言っとくよ」
「みんな楽しみにしてるから」
殆ど眠れなかったが、却って眼が冴え、全ての感覚が刺さるように鋭い。レノは数回、深呼吸して気持ちを切替えた。
レーフの為にも、この放送は成功させなければならなかった。
昼食後、薬師アウェッラーナが香草茶を淹れてくれたお陰で、少し不安が和らいだ。
休む間もなく、FMクレーヴェルのワゴンから支柱、黄色と黒の棒を降ろし、国営放送のイベントトラック周辺に並べる。アウェッラーナとアビエースが支柱の底に【操水】で水を満たし、重しにした。
メドヴェージが運転席から荷台を操作し、側面の片側を上げる。金属製の壁が、鳥のはばたきのように片翼を上げると、集まった人々がどよめいた。
本来は照明を吊り下げる部分にシーツを取りつけてある。即席の白いカーテンに目隠しされ、観衆には所帯じみた荷台の中が見えない。
少年兵モーフが空の木箱をひとつ降ろし、ジョールチがラジオを置いた。
「こちらは電波送信の確認用です。お手を触れられませんよう、また、この柵からこちら側へ立ち入りませんよう、よろしくお願いします」
レノたちが一斉に「お静かに」云々の画用紙を掲げると、人々は無言で何度も頷いた。
国営放送アナウンサーのジョールチが、マイクをオンにして口上を述べる。
「みなさま、本日はお忙しい中、お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。国営放送アナウンサーのジョールチでございます」
観衆が拍手しながら笑顔と挨拶の言葉を投げる。
ジョールチは、拍手が止むのを待って続けた。
「今回の放送では、ヤーブラカ市民のみなさまや、周辺の村々の皆様に重要なお知らせがございます。どうぞ、メモのご用意をお願いします」
観衆が顔を見合わせる。
「お越し下さった方々には、放送終了後に要点を印刷した紙をお渡し致します。それでは、首都圏の放送局有志によるFMラジオ公開生放送、最後までごゆっくりお聞き下さい」
ジョールチが手許のマイクを切り、素人合唱団の前に置いたスタンドマイクをオンにする。荷台から微かに合図の口笛が聞こえ、レノたちはレコードに遅れることなく、歌い始めた。
「穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える
涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる」
その隙にジョールチが荷台に上がる。
レコードがフェードアウトし、合唱団が口を閉ざした。
まずは、みんなの関心が高いヤーブラカ市周辺を脅かす魔獣のニュースだ。
国営放送アナウンサーの声が、灰色の鱗蜘蛛が出現し、付近の村では既に家畜に被害が発生したこと、軍や地元の駆除業者が動けないことなどをクーデター前と同じ調子で読み上げる。
「現在、ヤーブラカ市警が、防壁内部への鱗蜘蛛の侵入を防いでいます。ヤーブラカ市民の皆様は、不要不急の外出を避け、なるべく門付近には近付かないよう、お願いします。また、国道十二号線は規制中で、許可車両以外は通行できませんので、ご注意下さい」
昨日の防災無線や新聞には載っていなかった情報も含む。
昨年始まった戦争で、ラクリマリス王国が湖上封鎖を実施、戦争当事国のネモラリス共和国とアーテル共和国は、物資の不足に喘いでいる。
新聞の印刷用紙やインクも例外ではない。ページ数が、開戦前の三分の一にまで落ち込み、情報は薄く、遅れがちになった。
それでも、発行できるならまだいい方で、体力のない地方紙は、数日毎に休刊日を挟んで辛うじて発行を続けるところや、政府の情報統制に逆らって無期限休刊したところもある。
今はまだ、完全に倒産した新聞社はないようだが、戦争が長引けば、いずれ会社そのものがなくなってしまうだろう。
先行き不透明な中、情報に飢えた人々は、一言一句聞き逃すまいと息を詰めて、アナウンサーの声に耳を傾けていた。
「ひとりの警備員が、ヤーブラカ市周辺を荒らす鱗蜘蛛の退治を引き受けました。知人に頼まれたと言う【急降下する鷲】学派の魔法戦士です」
ジョールチが、アゴーニとジャーニトルの件を他人事のように伝える。
観衆の顔が明るくなった。喜びを叫びそうな口を手で押さえ、隣の者と笑顔を交わす。
……「お静かに」って紙、要らなかったな。
レノは人々の自制心に感心した。
アナウンサーの声が、魔獣退治の専門家の情報を読み上げる。
「魔法戦士の彼は、レーチカ市に本社を移転したモーシ綜合警備株式会社に勤務する警備員です。開戦前は、医療産業都市クルブニーカの支社で、製薬会社に勤務する薬師の護衛として森に入り、魔獣狩りなども行っていました」
安堵した老婆がハンカチで目頭を押さえる。
「実績は申し分ありませんが、保険料や人件費などの必要経費は掛かります。魔法戦士の知人は、呪符や魔法薬など、魔獣退治に必要な物資は揃えられましたが、空襲でネーニア島を焼け出されて来た彼には、経費までは調達できませんでした」
途端に人々の顔が曇る。
離れた所に立つ者たちは隣と囁きを交わした。
アナウンサーのジョールチは、淡々と続ける。
「また、彼に窮状を訴え、警備員への口利きを依頼した村でも、経費の全額を賄うことは困難です。ヤーブラカ市周辺の村々では、既に家畜を食い荒らされ、多くの資産を失っています。魔法戦士の補佐をする狩人を派遣するだけで、精一杯なのです」
観衆が息を呑み、レノたちに注目する。移動販売店のみんなに緊張が走った。
「魔獣駆除の必要経費、その不足分の寄付をお願いします。モーシ綜合警備株式会社の駆除事業統括部長に取材致しましたところ、モーシ綜合警備では現在、物納は受付けできないとのことです。【無尽袋】が不足している為、口座への振込でのみ、受け付けております。寄付の受付口座番号は……」
銀行の支店名、口座番号、口座名義、振込手数料が寄付者負担になること、摘要欄に「ヤーブラカ鱗蜘蛛」と明記すること、寄付金が過剰に集まった場合は、寄付割合に応じて返金する為、匿名送金扱いにしないことなどをゆっくり、三度繰り返す。
寄付の目標額は、レノたちの実家……パン屋の椿屋が、一年で稼ぐ純利益の三倍を軽く超えていた。
やっぱりそんなこったろうと思ったと言いたげな皮肉な笑みや失望、カネさえあれば、あの恐ろしい化け物を退治してもらえると言う期待や希望、寄付できるカネがない貧しさを嘆く絶望、詐欺ではないのかとの猜疑が入り乱れ、誰も一言も発さないのに空気がざわついた。
ジョールチは続けて、ヤーブラカ市内で発生した事件や交通事故、火災、仮設住宅入居者への国の支援、就職情報、ボランティア情報など、社会面系の記事を読み上げる。
公開生放送の観衆は心ここに在らずと言った風で、レノには誰も「普通のニュース」を聞いていないように見えた。




