884.レーフの不在
DJレーフが荷台を降りて、歩きながら軽く手を振る。
「ちょっと出掛けてくる。夕飯には帰るよ」
「どこ行くんですか? 一人で大丈夫ですか?」
レノが声を掛けたが、レーフは振り向かずに答えた。
「街ン中だから、鱗蜘蛛と鉢合わせする心配はないよ」
「そうですか。でも、お気を付けて」
レノは、力なき民の自分が、力ある民のレーフを心配するのは烏滸がましい気がして、それ以上言わずに見送った。
お茶の時間を少し過ぎた頃、アゴーニとジョールチが戻った。
「駆除代の寄付、許可が出たぞ」
「条件が厳しいので、どれだけ集まるかわかりませんが」
嬉しそうなアゴーニとは対照的にジョールチの顔は暗かった。
レノが、移動販売店プラエテルミッサの店長として聞く。
「どんな条件だったんですか?」
「おカネをモーシ綜合警備の口座に振り込んで欲しいそうです」
「えっ? 呪符とか【魔力の水晶】とか、モノの方が良くないですか?」
「受付場所の用意やその費用、人員の手配、目利きや運搬、それに防犯上のあれこれ……色々困るからですよ」
「呪符は、薬師の姐ちゃんが買って来てくれたのを使わせてもらうしなぁ。それと【祓魔の矢】と剣を予備の武器に」
アゴーニの発言に困惑が広がる。
武器は、壊れない限り減らないし、そもそもちゃんと使える者が居ないのでいいとして、呪符は発動の呪文を唱えられれば、誰でも使える上、使い捨てだ。
実質、移動販売店プラエテルミッサに駆除代を負担せよと言うに等しい。
……あっ、でも、本社と交渉してくれた日、そんな感じのコト、言ってたよな。
こちらで呪符と武器を出すと言ったから、引受けてくれたのかもしれない。
「戦い用の呪符があっても、私じゃ、魔法戦士の人みたいにちゃんと使えませんから」
交換用の魔法薬を作ったアウェッラーナが了承すると、誰からも異論は出なかった。レノも、巨大な蜘蛛の魔獣を前にして、とちらずに呪文を唱えて呪符の効果を発動できる気がしない。
「それでは、奥でモーシ綜合警備の件を原稿にまとめますね」
国営放送アナウンサーのジョールチが、荷台奥の係員室に入ってすぐ、肩越しに振り向いて聞く。
「レーフはどうしました?」
「ジョールチさんたちが行った後、ちょっとしてから、どこか行きました。夕飯には戻るって言ってましたよ」
レノが答えると、ジョールチは納得して原稿に取り掛かった。
ヤーブラカ市での第一回放送は、明日に迫っていた。しかも、ソルニャーク隊長のリストヴァー自治区でのインタビュー収録と重なり、葬儀屋アゴーニも【跳躍】で隊長を夏の都へ届ける為に抜ける。
いつもより人数が少なくなる上、ネミュス解放軍がどう反応するかわからない。
……気を引き締めてやんないとなぁ。
今朝は、ソルニャーク隊長たちが解放軍の下っ端を追い返してくれたが、明日はそうはゆかない。レノは移動販売店プラエテルミッサの店長として、なんとしてでも、みんなを揉め事から守ろうと心に誓った。
「DJの兄ちゃん、遅ぇな。どこほっつき歩いてンだ?」
メドヴェージが公園の入口を睨む。
トラックの荷台は、クルィーロが点した【灯】で明るいが、通りの街灯は帰宅ラッシュの時間を過ぎた今、節電の為に消されていた。
警察署や民家から漏れる光と月と星の灯で、辛うじて物の輪郭がわかる。
レーフは力ある陸の民だから、自分で【灯】を点すだろうが、日没後に公園前の大通りを行く者はなかった。
魚入りのスープはすっかり煮えて、モーフが物欲しそうに鍋を凝視する。
「店長さん、DJの兄ちゃん、どこ行くっつってたんスか?」
「ごめん、聞いてない。でも、街の中だから魔獣の心配はないって言ってたよ」
レノはなるべく明るい声を出し、不安を誤魔化した。
みんなが何とも言えない顔で公園の外を見る。
「冷めちゃうよ?」
「そうね。レーフさんの分は、後であっため直してもらおっか」
ピナがティスに頷き、マグカップにスープを注ぐ。手際良くアルミホイルで蓋をして、係員室の机に置いた。
「彼は大人で、魔法使いだ。この状況でわざわざ危険を冒すことはあるまい」
ソルニャーク隊長の落ち着いた声で、みんなは何となく安心して食べ始めた。
夕飯の後片付けが終わっても、レーフは戻らない。
みんなで、モーシ綜合警備株式会社がコピーした振込先の口座番号と寄付の注意書きを切った。A4一枚に同じ文章が四回ずつ印字してある。百枚くらいあったが、みんなで切り分ければあっという間だ。
ジョールチが、何度も公園の入口まで見に行ったが、二十二時を過ぎた辺りで諦めた。
……もっとちゃんと、行き先を聞いとけばよかった。
レノは後悔で寝付けず、毛布の中で何度も寝返りを打ちながら、湖の女神パニセア・ユニ・フローラにDJレーフの無事を祈り続けた。
空が白み、雀の囀りと同時に目が醒める。いつの間に寝てしまったのか。
レノは公園のトイレを借りたが、他に誰も利用者が居なかった。公園の外へ出てみたが、大通りには家畜や生野菜を運ぶトラックさえなく、鳩や雀が我が物顔で戯れる。
……何で、一人で行かせてしまったんだ。
レノがついて行けば、足手纏いの力なき民を守る為、レーフは無茶をしなかっただろう。
夕べは食事をきちんと摂れたのか。
安全な場所で眠れたのか。
今、どこに居るのか。
無事なのか。
朝日に胸を焼き焦がされるような気がして、レノは目を閉じた。
「お兄ちゃん、ごはん」
「あ、ご、ごめん」
ティスに呼ばれてトラックに戻る。
奥の係員室に入ってみたが、金髪のDJの姿はなかった。ピナが置いたマグカップは、昨夜のまま机にある。
「勿体ないから、これ、俺がもらうよ。俺の分の干し林檎、ティスとアマナちゃんで分けろよ」
「お、悪いな。俺、あっためるよ」
妹たちが明るい声で礼を言い、クルィーロが【操水】の術で念入りに加熱してくれた。
小麦価格の高騰で、ここしばらくは、五日に一回しかパンを焼けない。朝は、この辺りでは安いドライフルーツとお茶だけで済ますことが増えた。
……いつまでこんな生活が続くんだろ。
熱いスープを吹き冷ましながら、レノは泣きたいような気持ちになった。
「じゃ、行ってくらぁ」
「あ、待って下さい」
薬師アウェッラーナが葬儀屋アゴーニを呼び止めた。一回分ずつ包んだ薬包紙を掌で山盛りにして見せ、リュックサックに入れて渡す。
「すみません、この熱冷ましで、何かお野菜を買ってきていただけませんか?」
「お安い御用だ。俺ぁアミトスチグマに跳んで、隊長さんを呪医とスパイの兄ちゃんに届けたら、買物してすぐ戻る」
「お二人とも、お気を付けて」
ジョールチが翳りのある声を掛ける。
ソルニャーク隊長は、泣きそうなモーフの肩を軽く叩き、穏やかな微笑をみんなに向けた。
「我々は大丈夫だ。必ず戻る」
「今日、放送すんだろ。DJの兄ちゃんもその内ひょっこり戻るって」
アゴーニが軽い調子で言って、レノの肩にポンと手を置く。そのぬくもりに胸が詰まり、レノは何も言えなくなった。
「ご安全にー!」
クルィーロとメドヴェージが声を揃え、少年兵モーフが手を振る。漁港へ向かう二人の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
「さて、既に放送の日時を告知してしまいましたし、レーフがいつ戻るかわからないのでは、延期の日取りもできません」
「どうしても、今日、放送するんですか?」
ジョールチの淡々とした発言に、パドールリクとクルィーロの親子が不安を露わにした。
……レーフさん、戻れないってわかってたから、俺たちに放送機材の使い方を?
レノは口を開けば涙がこぼれそうで、出掛かった言葉を飲み込んだ。
☆本社と交渉してくれた日、そんな感じのコト、言ってた……「877.本社との交渉」参照




