882.歌を求める兵
クルィーロとジョールチが公園に戻ると、仮設住宅の自治会長と湖の民の男性が数人、トラックの前に集まっていた。
レノと葬儀屋アゴーニ、DJレーフとソルニャーク隊長が対応し、他のみんなは扉を半分閉めた荷台に居る。
「どうされました?」
国営放送アナウンサーの声にみんなが一斉にこちらを向く。
湖の民の肩にネミュス解放軍の腕章をみつけ、クルィーロはギョッとした。
レノが少しホッとした顔で、呼称をはっきり呼ぶ。
「ジョールチさん、解放軍の人たちが歌を教えて欲しいって言ってて、放送まで待って下さいって断ってるとこなんですよ」
「自治会長さんは、暇だったら一緒に呪符作んねぇかってお誘いだ。こっちが先ン来てたのに割りこまれたんだよ」
ネミュス解放軍の兵たちが、顔を見合わせて苦笑する。
呪符職人の女性は、アゴーニの説明に少し眉を顰めたが、否定はしなかった。
「アナウンサーさんと工員さん、おはようございます。鶏の生き血が手に入らなくなったので、できれば経験者の方か、力ある民の方にお願いしたいのですが」
「魔獣騒動でみんな不安がってるから、仮設に貼る【頑強符】を増やしたいんだとよ」
湖の民のアゴーニが、陸の民の自治会長の説明に言い足した。
「できる限りのお礼はさせていただきます」
大変な揉め事ではないとわかり、クルィーロは肩の力が抜けた。
アナウンサーのジョールチが耳に馴染んだ声で言う。
「歌に関しましては、明後日の放送までお待ち下さい。楽譜の原本が手許にありませんので。歌詞だけでしたら、市内の店舗に貼り出してあります」
「さっきも言いましたけど、レコードは一枚しかないし、『女神の涙』の歌唱は入ってないし、渡せないんですよ。明後日の本放送で録音して下さい」
DJレーフが、丁寧だが毅然とした態度で断る。ネミュス解放軍の者たちは顔を見合わせた。
ソルニャーク隊長が冷たく言い放つ。
「魔獣騒ぎで歌どころではないと思うが、解放軍は警察に協力して魔獣と戦ってはくれんのだな?」
「我々は駆除業者ではない」
「免許も許可証もないのに、勝手な手出しはできん」
「成程、難しいものだな。だが、街の守りを固めることは可能なのではないか? 例えば、彼女の仕事を手伝うなど」
自治会長が一瞬、顔を強張らせたが、表情を消してネミュス解放軍の反応を待つ。
「上と相談して出直すよ。邪魔したな」
リーダー格らしき一人が言うと、後の者は何も言わず、彼に従った。
解放軍が通りの角を曲がって姿が見えなくなると、場の空気が軽くなった。
「差し出がましいことを申しまして、恐れ入ります」
「いえ、そんな……あの人たちが暇を持て余さないように仕事を寄越すと言うのは盲点でした」
ソルニャーク隊長が詫びると、呪符職人の女性は含みのある言い方をして、彼らが去った方を見た。
レノが申し訳なさそうに頭を掻く。
「俺、経験者ったって、素材をすり潰したり、インク作りをちょっと手伝っただけなんで、多分、お役に立てませんよ」
「いえ、こちらこそ突然、厚かましいお願いをして恐縮です」
互いに頭を下げ、自治会長は公園内の仮設住宅が並ぶ区画へ引き揚げた。
クルィーロが荷台に上がると、アマナが木箱に座り、難しい顔で長机に向かっていた。父とピナティフィダ、エランティスも、何とも言えない顔で木箱に座って背を丸めている。
「解放軍の人たち、どっか行ったよ」
クルィーロが妹の肩に手を置くと、アマナは兄を見上げた。クルィーロと同じ色の目に涙が浮かぶ。
……えっ? おい、俺らが戻るまで、どんな脅しを?
声に出さず父を振り返る。
困った顔で子供たちを見るだけで、何も言ってくれなかった。
「あのお歌は……」
アマナが口を開いた。ゆっくり深呼吸して、震える声を抑えて言う。
「戦争、やめて欲しくて歌ってるのに」
彼らネミュス解放軍は、キルクルス教徒が住むリストヴァー自治区を攻撃する作戦で、軍歌に採用する為、楽譜を欲しがって来たのだ。
少年兵モーフが蔓草を頻りに揉む。手の中でささくれた繊維が白く毛羽立った。モーフたたちが商店街で鉢合わせしなくても、放送を聞きつけて来ただろう。
断れば何をされるかわからない。
警察の手伝いをして、仲良くしているなら、彼らの犯罪に目を瞑る警官が居るかもしれなかった。
……まぁ、逆に折角、仲良くなった警察を敵に回さないように大人しくしててくれるかもしれないけど。
自分に言い聞かせ、クルィーロは声もなく涙を流す妹を抱き締めた。
モーフは宙の一点を凝視して蔓草をこねくり回すが、何の形にもならない。順調に籠を編み進めるメドヴェージの目は、手許ではなくモーフを見ていた。
薬師アウェッラーナは、薬草の山を前にして固く目を閉じている。
「奴らに楽譜を渡しちゃダメだ」
アウェッラーナの隣で、兄のアビエースが声を上げた。
アマナが、老いた漁師の言葉に顔を上げ、手の甲で目を拭う。
「さっき、アナウンサーさんも言ってくれたろ。歌詞は店に貼り出してもらったんだ。知りたきゃ自分たちの手で書き写して、あの挽歌の意味をしっかり噛みしめればいい」
「でも……」
「一枚で済むと思うのか? 何人居るんだか知らないが、人数分寄越せって言われたら、何もかも放り出して総出で書くのか?」
アウェッラーナを遮って一息に言う声は静かだが、ずしりと腹に堪える。
クルィーロは堪らず言った。
「でも、もし、何かされたら……」
「そうやってビビるから、つけ込まれるんだ。DJの兄ちゃんが言った通り、大事な商売モンだから渡せねぇの一点張りで押し通しゃいいんだ」
運転手が漁師に加勢した。
アマナが父を見る。会社員だった父は、娘が泣き止んだのを見て言った。
「支部の偉い人はきっと、私たちと揉めるのをイヤがるんじゃないか?」
「どうしてっスか?」
アマナより先にモーフが聞いた。
「今の政府……クリペウス政権を倒すには、国民の支持が必要だからだよ」
「国民のシジ?」
モーフが首を傾げる。
「うん。彼らが幾ら神政復古と魔哮砲の破壊を訴えたところで、国民に信用されなければ、どうにもならないからね。例えば、『魔哮砲を壊すって言ってるけど、こっそり隠し持つつもりなんんじゃないか』って疑ってる人は、彼らに協力しないだろう?」
「そう言うモンなんスか?」
「仮に上手く政府を倒せても、武力だけで国民を抑え続けるのは無理だ。現に隠れキルクルス教徒や星の標が、コソコソ活動してるだろう?」
星の道義勇軍の少年兵モーフは、苦い顔で頷いた。
「クレーヴェルの戦闘で大勢の人が大変な目に遭わされたし、命からがら脱出した人があちこちに居る。都民の苦しみを知った地元の人の信用を得るのは、なかなか難しいんだけど、彼らは今のところ上手くやってる」
「それで何で……?」
「折角、地元の人と信頼関係ができつつあるのに、ジョールチさんと一緒に居る私たちと揉めたら、今までの苦労が水の泡だ」
ジョールチを「ラジオのおっちゃん」と慕うモーフは、こくりと頷いた。
「支部の偉い人が、その辺をちゃんと考えられる人なら、後で謝りに来るんじゃないかな?」
父の説明でクルィーロは、ペルシーク市のネミュス解放軍支部長を思い出した。あのくらい冷静に話ができる人物ならいいが、あの下っ端の同類だったら、との懸念が胸の奥で渦を巻く。
「私、言うコト聞かなきゃ腕を折るぞって言われたって、書かないよ」
アマナがきっぱり言い切った。
「お、おい、アマナ……」
クルィーロは思わず妹の両肩を掴んだ。みんなが心配して見守る中、アマナはクルィーロの眼を見て言う。
「あのお歌は、おっきいお兄さんの地元のお祭のお歌なんだよ? もし、あの人たちの戦いに利用されるって知ったら、あのお兄さんも村の人も悲しむよ」
「……そっか。そうだな」
すっかり忘れていた。
クレーヴェルの港公園で出会った赤毛の男が、故郷の夏至祭の歌だと教えてくれた。その後、ラジオで針子のアミエーラたちが歌うのを聞いたが、クーデターで放送局が乗っ取られて途中になった。
放送では、ウーガリ山脈のアサエート村の歌だと言っていた。
「あのお兄さんたち、元気かな?」
「きっと大丈夫だ。強そうだったもん」
大男と連れは、クルィーロが知らない猛禽類の徽章を着けていた。
☆女神の涙……歌詞「531.その歌を心に」、挽歌「536.無防備な背中」参照
☆クレーヴェルの戦闘で大勢の人が大変な目に遭わされ
最初の報道「600.放送局の占拠」「610.FM局を包囲」~「614.市街戦の開始」参照
放送局とDJレーフ一家の被害「662.首都の被害は」参照
避難民のアンケート「675.見えてくる姿」参照
首都では道路や医療機関が使えない「714.雑貨屋の地下」~「720.一段落の安堵」参照
☆命からがら脱出した人があちこちに居る……「651.避難民の一家」~「653.難民から聞く」参照
☆ペルシーク市のネミュス解放軍支部長……「833.支部長と交渉」参照
☆おっきいお兄さんの地元のお祭のお歌/クレーヴェルの港公園で出会った赤毛の男が、故郷の夏至祭の歌だと教えてくれた……「577.別の詞で歌う」~「579.湖の女神の名」参照
☆ラジオで針子のアミエーラたちが歌う/クーデターで放送局が乗っ取られて途中……「599.政権奪取勃発」「600.放送局の占拠」参照
※クルィーロが知らない猛禽類の徽章=飛翔する蜂角鷹学派の徽章




