881.農村への手紙
警察署の駐車場に場違いな車が入ってきた。
二トントラックだが、荷台の後部には扉ではなく、頑丈な柵。二頭の去勢牛が頻りに鳴いて不安を訴える。家畜運搬車だ。
警官が助手席を降り、運転席に声を掛けた。農夫が降りるのに手を貸し、ふらつく身体を支えて署内に入る。
家畜運搬車を先導したパトカーは、すぐにどこかへ行ってしまった。
「話聞くの、無理っぽいですね」
「そうですね。出待ちするしかなさそうですね」
国営放送アナウンサーのジョールチが、小さく溜め息を吐いて街路樹の幹にもたれる。クルィーロは警察署の窓を見上げた。
今は「ヤーブラカ市のすぐ傍に魔獣が出た」との防災無線の緊急放送が止んで、静かだ。大通りは昨日まで、それなりの交通量があったが、今朝は人も車も数える程しか通らない。
警察が対応に当たっていると言っていたが、どうなっているのか、どこで応戦しているのか、全く情報がなく、却って不安を掻き立てられた。
クルィーロは、ズボンのポケットから手帳を取り出し、さっき書き写したばかりの呪文を読んだ。
薬師アウェッラーナが、ランテルナ島で買ってきた呪符の一枚にあった【真水の壁】だ。
一時的に壁を建てて身を守る【飛翔する蜂角鷹】学派の術だが、呪符の魔力にクルィーロの魔力を足したところで、鱗蜘蛛の攻撃をどこまで防げるのか。
回り込まれたり、飛び越されたりすれば、ないのと同じで、そもそも、広い場所ではあまり意味のない術だ。
鱗蜘蛛の四方を囲もうにも、呪符は三枚しかない。
四枚あっても、詠唱中に逃げられるか襲われるか。
四人同時に詠唱を終え、上手く囲めたところで飛び越えられる可能性が高い。
魔法戦士ではないクルィーロには、この呪符の有効な使い方がわからなかった。
……でも、まぁ、ジャーニトルさんや村の狩人さんとか、プロなら使いこなせるんだろうな。
アウェッラーナが呪符屋にもらった説明書には、発動の呪文しか書いていない。
どう言う使い方をすればいいか、わかっている客しか買わないのだろう。
天地の 間隔てる 風含む 仮初めの 不可視の壁よ
触れるまで 滾つ真水に 姿似て ここに建つ壁
呪文を読んでも、魔力をどう巡らせれば一時的にでも壁を建てられるのか、ピンとこない。
……俺って、魔法の才能ないんだろうな。
それでも、何もしないでただ待つよりはマシだ。
他所へ【跳躍】するには一旦、ヤーブラカ市を囲む防壁から出なければならないが、さっきの魔獣騒ぎで出られなくなってしまった。
今日は手分けして周辺の村へ行き、モーシ綜合警備株式会社が【急降下する鷲】学派の魔法戦士の派遣を検討している、と伝える予定だった。
ヤーブラカ市周辺の村にどんな狩人が居るか、彼らに鱗蜘蛛退治を手伝う意思はあるか、周辺の村々で負担額を決めて費用を出せるかなど、必要な情報と意向の確認ができなければ、二進も三進も行かない。
……村で聞いて、レーチカの本社へ伝えに行って、向こうで準備して、ジャーニトルさんに来てもらうのに最低でも三日は掛かりそうなのに。
巣を作らないタイプの鱗蜘蛛は行動範囲が広いとは聞いていたが、こんなに早く街のすぐ傍まで来るとは思わなかった。
数日前、放送の意向を聞きに村を訪れたみんなは、村へ直接【跳躍】できる程はっきり場所を憶えていない。
道々、見える範囲で【跳躍】を繰り返さなければならないが、着地点に鱗蜘蛛が居れば、ひとたまりもない。少なくとも、クルィーロには、襲われる前に再び呪文を唱えて逃げられる気がしなかった。
「各村宛に手紙を書いてきます。もし、私が戻る前に村の方が出てきたら、引き留めていただけませんか?」
「いいですよ」
ジョールチが、公園に停めた移動販売店のトラックに戻る。
……成程なぁ。
村人なら、自分の村には【跳躍】で帰れる。
口頭では伝え忘れが出るかもしれないが、手紙ならちゃんと渡して読んでもらえれば、その心配はない。彼自身は他の村を知らなくても、誰か他所の村へ【跳躍】できる村人に配達を頼んでくれるだろう。
……湖の民だけの村だから、電気ガス水道、電話、何もないって言ってたし、これしかないよな。
クルィーロは、インターネットどころか、電話すらないネモラリス共和国の通信インフラに泣きたいような気持になった。
……ラクリマリスってほぼ魔法文明国なのに、どうやってインターネットの設備を用意したんだ?
一人残されたクルィーロは、警察署の玄関から目を離さず、考えたところで何がどうなるワケでもないことを考え続けた。
街は静まり返っても、昼前にはいつも通り、食事を用意する匂いが漂いだす。
警察署から、先程の農夫が一人で出てきた。
アナウンサーのジョールチはまだ戻らない。
クルィーロは、慌てて駐車場に駆け込んだ。
「すみません。ちょっと待って下さい」
「何だ、あんた?」
湖の民の農夫が訝しげにTシャツの上から魔法のマントを羽織った陸の民の青年を見る。
クルィーロは何と言って引き留めるか考えていなかった。頭が真っ白になりかけたが、どうにか言葉を絞り出す。
「あの、おじさんって、この近くの村の人ですよね?」
「ん? あぁ、まぁな。あんたは?」
「俺、移動放送局の手伝いをしてる者です。俺たちも、鱗蜘蛛のせいでどこにも行けなくて」
農夫は運転席の扉に掛けた手を放し、クルィーロに向き直った。
「俺も、コイツらを屠畜場に連れてった後、どうしようか困ってるんだ。お巡りさんは、二、三日ならここにトラック置いてもいいって言ってくれたけど、あの化け物がどっか行ってくれンことにゃ乗って帰れんだろ」
「あー、そうですよね。おじさんは【跳躍】で帰れるけど」
クルィーロは、トラックを容れられる【無尽袋】を用意してもらった時の苦労を思い出し、心の底から農夫に同情した。
「あぁ、全く、三日経ってもダメなら、トラック、他の駐車場へ移動させにゃならんが、料金も馬鹿にならんしなぁ」
「そうですよねぇ。それで、一緒に放送の手伝いしてる人が、知り合いの警備員さんに鱗蜘蛛どうにかしてもらえないか、レーチカまで頼みに行ってくれたんですよ」
「何だってッ? 強いのか?」
「強いですよ。【急降下する鷲】学派で、レサルーブの森で薬師さんの護衛や魔獣狩りしてた人なんで」
「来てくれるのか?」
農夫が声を上ずらせて聞いた。
クルィーロは少し申し訳ないような気持ちで答える。
「それが、その人はいいって言ってくれたんですけど、警備会社が色々条件出してきて……」
「条件? 足下見て、料金吹っ掛けられたのか?」
サイドミラーにアナウンサーの姿が映り、クルィーロは振り返った。
「ジョールチさん!」
「お待たせしました」
「あっ! あんた、こないだのアナウンサーさん」
「その節は、お世話になりました」
……あ、南西の村の人なのか。
数日前、放送の意向調査でクルィーロの父とジョールチが訪れた。これなら話が早いとホッとする。
クルィーロは、農夫に改めて話した。
「会社が出した条件って言うのが、呪符とか必要な消耗品は、会社が出さないこと、サポート要員は村で用意すること、警備員さんの人件費と保険料は前金で半分出すことだって」
「えぇッ? 村にゃカネも呪符もないから困ってんのに!」
農夫が声を震わせた。
ジョールチが落ち着いた声で言う。
「呪符と傷薬は、我々が用意しました。料金については、今度の放送で寄付を呼掛けてみます。ヤーブラカ市民も困っていますから、少しは集まるかも知れませんが、全額は無理でしょう。そちらでも呼掛けをお願いします。魔法戦士のサポートは、あなた方の村の狩人さんにお願いできませんか?」
「ウチの村は無理ですよ。歳で引退して、息子さんは先に亡くなったし、孫はまだ修行中だから、あんなの絶対無理ですよ。俺だってアクセル全開で逃げるだけで精一杯で」
農夫が声と肩を落とした。
「警察やご近所の村は如何ですか?」
「警察の特殊部隊は、ここらじゃカイラーが一番近いんですけど、お巡りさんが、自分とこの管轄だけで手いっぱいだって断られたって言ってましたよ。俺は他所の村はよく知らんので……」
ジョールチが五通の封筒を差し出して言う。
「警備会社が出した条件を書きました。お手数ですが、村長さんにお渡しいただけませんか?」
「返事はどこの誰に?」
「私たちはそこの公園に放送のトラックを停めさせていただいております。鱗蜘蛛が片付かない限り、どこへも行けません」
農夫は封筒を受け取った。
「先に屠畜場へ行かにゃならんので、あの、でも、必ず、必ず村長に渡します」
「よろしくお願いします」
クルィーロはジョールチと声を揃えて言い、家畜運搬車を見送った。
☆防災無線の緊急放送……「877.本社との交渉」参照
☆薬師アウェッラーナが、ランテルナ島で買ってきた呪符……「857.国を跨ぐ作戦」参照
☆一時的に壁を建てて身を守る【飛翔する蜂角鷹】学派の術……「486.急造の捕獲隊」「487.森の作戦会議」参照
☆トラックを容れられる【無尽袋】を用意してもらった時の苦労……「333.金さえあれば」「342.みんなの報告」「354.盾の実践訓練」「412.運び屋と契約」~「414.修行の厳しさ」「421.顔のない一人」「422.基地情報取得」「443.正答なき問い」「444.森に舞う魔獣」「458.戻らない仲間」「477.キノコの群落」~「479.千年茸の価値」「491.安らげない街」、【無尽袋】の説明「403.いつ明かすか」参照




