0009.薬師の手伝い
「お父さん、私、手当てのお手伝いに行くから、ごはん、もう少し待ってね」
もう日が暮れてしまった。
避難しようにも、どこへ行けばいいかわからない。
職場のアガート病院はもう避難を終えた頃だろう。
……みんなが船で湖に避難してたら、後でここへ迎えに来てくれるよね。
【跳躍】はよく知っている「場所」に移動する術だ。広大な湖のどこにいるかわからない船には跳べない。
怪我人の手当てを手伝い、報酬として食糧を分けてもらうことにして、アウェッラーナは一人で病室を出た。
増えた負傷者が壁際を埋める。廊下を見回したが、医療者の姿は見当たらない。怪我人を踏まないよう、慎重に階段を下りた。
玄関ホールで、怪我人を止血する看護師を見つけた。
アウェッラーナは、首から提げた【思考する梟】学派の徽章を襟から引っ張り出しながら声を掛けた。
「あの、私、薬師です。素材があれば、お薬作れるんですけど……」
「ありがとう! 奥の医局へ行って!」
疲れ切った看護師の顔が、パッと明るくなった。アウェッラーナは会釈して、看護師が指差す方へ向かう。
蹲る怪我人の間を爪先立ちで抜け、廊下の奥へ足を進める。白衣を纏った科学の薬剤師が、魔法薬の傷薬を負傷者に塗って歩いていた。
風向きが変わり、開け放しの玄関から焼ける街の黒煙が流れ込む。一階の人々が激しく咳込んだ。
アウェッラーナは涙を滲ませ、鼻と口を袖で覆って医局へ入った。薬師であることを告げると、事務員がその奥の調剤室へ通してくれた。
「ここも、魔法使いの薬師さんは二人居るけど、全然、手が足りなくて……」
調剤室も戦場のような有様だ。
床には様々な種類の植物油の空き瓶と、空になった一斗缶が散乱していた。
年配の事務員が次の一斗缶を開け、若い事務員が傷薬用の素焼きの壺を作業机のトレイに並べる。
年配の薬師たちは調剤室の奥で呪文を唱え、傷薬を作っていた。薬草と植物油が宙で混じり合い、素焼きの壺に注がれると緑色の軟膏になる。
科学の薬剤師が、完成した薬を乗せたトレイを持って出て行く。
「あの、私、アガート病院の薬師です。お手伝いします」
「助かる! 見ての通り、傷薬を作っている」
「これ……こっち来て、これで……」
男性薬師が安堵の色を浮かべ、女性薬師が開封済みの薬草を差しだす。
アウェッラーナは空き瓶を避けて、奥の薬師に近付いた。
調剤室に窓はないが、煙はここまで入り込んでいた。
三人の薬師は、時々むせながら、傷薬を作り続けた。
薬剤師と事務員が入れ替わり立ち替わりやってきて、空の壺を置き、薬を持って出て行く。
三人の薬師が休みなく作っても、作っても、作っても、まだ足りない。
怪我人は減るどころか、刻一刻と増えてゆく。
みんな疲れきり、薬師が唱える呪文の他は、無口になっていた。
怪我人の呻きと誰かを探す声、治療を求めて急かす叫びが、調剤室に届く。
アウェッラーナは目の前の作業に集中し、他のことは考えないようにした。
「元は根を張る仲間たち 土に根を張る仲間たち
油ゆらゆら たゆたい馴染め
緑の仲間と生命結い 溶け合い結ぶ生命の緒
基はひとつの生命の根 結び留めよ 現世の内に」
三人の術者がそれぞれ、力ある言葉で呪文を詠じる。
薬草と植物油を霊的に結合し、ひとつの傷薬に変える。
爆発音。
同時に起こった激しい振動で、アウェッラーナは現実に引き戻された。
二度目の爆発で、自分たちがどこに居るか、思い出した。
悲鳴。
銃声。
思い出したくもない恐怖が、アウェッラーナの身体を縛る。
「もうこんなところまで……」
「クソッ! 軍と警察は何をしてるんだッ!」
女性薬師が蒼白な顔で呟き、男性薬師が吐き捨てた。
連続する軽い銃声。
内戦中、数えきれない程、耳にした自動小銃の発砲音だ。
三度目の爆発音。
天井からパラパラと埃が降ってくる。
遠くで聞こえる悲鳴が減って行く。
「お……お父さん」
アウェッラーナの口から呻きが漏れる。奥まった調剤室には窓がない。
女性薬剤師が、アウェッラーナの肩に手を置いた。年配の薬師に顔を向け、震える声で言う。
「お父さん……ここの二階に、入院してるんです」
「どうやら、今は薬を作っても無駄らしいな」
また戦うのか、と男性薬師が溜め息を吐く。
女性薬師は、アウェッラーナの肩を軽く叩き、送り出す。
「ここはもういいから、お父さんを連れて逃げなさい」
「あ、あの、皆さんは……」
「俺たちは元々軍属だ。何とでもするさ」
男性薬師と年配の事務員が、口許をニヤリと歪める。
女性薬師が薬壺をひとつ、アウェッラーナの手に握らせた。
「ありがとう。元気でね」
アウェッラーナはこくりと頷き、父の病室へ跳んだ。