877.本社との交渉
モーシ綜合警備株式会社の駆除事業統括部長は、警備員ジャーニトルがハンカチで目許を拭うのを無言で見守る。
運び屋フィアールカが話を進めた。
「彼の免許は今、どうなっているんですか?」
「有効ですよ。住所変更の手続きは必要ですが、まだ期限内ですからね」
「じゃあ、鱗蜘蛛、殺ってもらっていいんだな」
葬儀屋アゴーニがホッとして言うと、黒髪の部長は警備員の若草色の髪を見て言った。
「難民キャンプの食糧事情は、あまりよろしくなかったようですね」
「ん? あぁ、三食ある日は少なかったみてぇだな。でも、この冬、餓死する奴ぁいなかったぞ」
レサルーブの森での狩りとアーテル本土での略奪、それに老婦人シルヴァがどこからか買い付けた食糧で、武闘派ゲリラの拠点ではそれなりに食べられた。
両方の食糧事情を知るアゴーニは、難民キャンプにだけついて語った。
若い湖の民の髪色が薄いのは、銅が足りないからだ。
「戦争などで戦える人材が減り、弊社と致しましては、ジャーニトル君の復帰は喜ばしいことです」
言葉を選んでいるのか、部長の物言いは何とも歯切れが悪かった。
フィアールカが単刀直入に聞く。
「彼をヤーブラカ市に派遣していただけないんですか?」
「先程も申し上げましたが、我が国では現在、魔獣に対抗し得る人材が不足しております。弊社も同業他社も、自治体からの出動要請に応えるだけで精一杯……いえ、それさえも、魔法戦士の手が足りないんです」
部長の切実な声に警備員が顔を上げた。泣き腫らした眼が三人を見回す。
「報告書で見た限り、ジャーニトル君の実績は申し分ありません。但しそれは、万全の体調で臨んでのことです」
「貴重な魔法戦士に危ねぇ橋渡らせらんねぇってのかい? そりゃねぇよ。何の為に頑張って説得したと……」
「俺、やります」
ジャーニトルが力強く宣言した。
アゴーニとフィアールカが顔を見合わせて笑みを零す。
統括部長は、湖の民の警備員に困惑の眼差しを注いだ。
「空襲の後、アゴーニさんたちにずっと助けてもらって、言い尽くせないくらい感謝してるんです。僭越ですが、ヤーブラカの鱗蜘蛛退治を復帰の条件にさせて下さい。お願いします」
ジャーニトルは低頭したが、部長は首を縦に振らなかった。
「魔法戦士だけでなく、呪符など駆除に必要な物資も不足しています。個人的には君の気持ちを理解できますが、会社の経営判断として、資金回収の見込めないハイリスクな現場には、人も物資も出せないのですよ」
「得物と呪符の用意ならできてんぞ」
アゴーニの加勢にジャーニトルが顔を上げ、部長が渋面を作る。
葬儀屋は、部長が聞くより先に薬師が調達してくれた呪符の名称と枚数を並べ、移動販売店プラエテルミッサが持つ武器を告げた。
ジャーニトルが緑の瞳を輝かせる。
「それだけあれば……」
「君の人件費はどうするのですか?」
部長の詰問に警備員が言い澱む。
会社の業務として行う場合、魔獣との戦闘に巻き込まれた第三者の生命、身体、財産への補償の為、保険料も掛かる。個人契約では、大口の法人契約より一件当たりの掛け金が高くなり、保険料の負担が重い。
ジャーニトルが個人的に無保険で引受けた場合、彼が放った【光の槍】の流れ弾で万一のことがあれば、莫大な借金と過失致死傷の責任を全て個人で背負わなければならなくなる。
「幾ら掛かるんだい? あの辺の村ぁ全部回りゃ、兄ちゃん一人の人件費と保険料くらいあンじゃねぇか? 村の狩人にも手伝ってもらやぁ何とかなんだろ」
「狩人の方は保険の対象外ですよ」
部長は尚も渋る。
葬儀屋は苦笑した。
「家はまた建てりゃいい。村の連中も命懸ってんだ。言えばヘソクリ掻き集めるだろうさ」
ジャーニトルは強い意志を漲らせた目で部長の返事を待つ。
本社の駆除事業統括部長は、若い警備員から目を逸らした。
「復帰の意志はあるんですね?」
「はい!」
「少し預らせて下さい。上と相談します。そうですね……今日の午後四時頃には回答します」
湖の民三人が口々に礼を言うと、黒髪の部長は表情を崩すことなく告げた。
「いずれにせよ、駆除免許の住所変更など役所の手続きには数日掛かります。くれぐれも早まった真似はしませんよう、お願いしますよ」
「はい」
ジャーニトルが素直に応じると、部長は僅かに目尻を下げた。
「正式な配属先が決まるまで、ジャーニトル君は本社預かりで、住所はこの近くの宿舎になります。荷物は……?」
「これで全部です」
湖の民の青年は小振りのリュックサックを掲げてみせた。難民キャンプの住人が古着を解いて拵えたものだ。僅かな着替えの他は何もない。
「わかりました。宿舎には話し合いが終わってから案内させます。昼とお茶の時間は、これでしっかり食べて下さい」
部長は背広の内ポケットから小袋を出し、大粒の【魔力の水晶】を数個、警備員の手に握らせた。
スープを食べ終えたモーフは、感心してマグカップを置いた。
……ブチョーって奴、スゲー太っ腹だなぁ。
荷台の外はすっかり暗く、警察署の窓から漏れる光の下を歩く者はない。
DJレーフとクルィーロが、空いた食器を【操水】で集めて洗った。小さい妹たちがお茶の用意を手伝う。
薬師のねーちゃんが術でお茶を淹れ、みんなにカップが回った。
「おっ、ありがとよ。それでな、村の狩人の学派と実績が充分で、村の連中が前払いで半分出すっつーんなら、今回に限って、あの兄ちゃんを特別に派遣してくれるってよ」
「許可証の件はどうなりました?」
ラジオのおっちゃんが聞く。
少年兵モーフは、キョカショーなんて黙ってればわからないと思ったが、大人たちがこんなに気にするところを見ると、ないのがバレたら大変なことになるのだろうと思い直し、神妙な顔で続きを待った。
「あの辺だと、チェルニーカとオバーボクの支社が、ヤーブラカの東一帯の許可証を持ってんだとよ」
「では、大丈夫ですね」
「手伝いの狩人は何人居る?」
ラジオのおっちゃんは一安心とばかりに言ったが、ソルニャーク隊長は険しい顔で聞いた。
葬儀屋のおっさんが頭を掻く。
「俺が聞いた限り、学派を聞きそびれた奴が一人だな。実績なんざ知らねぇ」
他の村へ行った者たちは、無言で首を横に振った。
レノ店長が恐る恐る言う。
「ゲリラ辞めて仮設に居る人も、呪符を使えば戦えますよね?」
「相手が悪ぃや。【鎧】を着らんねぇ奴は、最悪、養分になっちまわぁな」
「でも、魔法なら遠くからでも……」
「魔法にゃ射程距離ってモンがある。術の種類と術者の魔力によっちゃ、ちったぁ伸ばせねぇこともねぇが、大抵の呪符は自力でやるより短いんだ」
旧ラキュス・ラクリマリス王国時代、軍に協力した経験を持つ葬儀屋の言葉は重かった。
「そうだな……最低でも【鎧】着て【飛翔】して蜘蛛の野郎にゃ届かねぇとこから【光の槍】ぶっ放せるくらいでねぇと」
ピナが、肩を落としたレノ店長を気遣う。
少年兵モーフは、こんな時にもやさしいピナに安心した。
翌朝早く、薬師のねーちゃん以外の魔法使い五人が、村へ連絡しに行く準備をしていると、隣の警察署がやけに慌ただしくなった。
サイレンを鳴らさず、パトカーが何台も連なって大通りを一方向に走る。
「何だ何だ?」
メドヴェージが公園を出て警察署の方へ回った。
仮設住宅の住民たちも何事かと訝しみ、不安な面持ちで出てくる。
運転手のおっさんが戻らない内に、公園の真ん中に立つ背の高いスピーカーが吼えた。
「先程、東門付近の道路に魔獣が出ました。市民のみなさんは決して防壁の外へ出ないで下さい。東地区にお住まいの方は、ただちに屋内へ退避して下さい。現在、警察が対応に当たっています」
防災無線はサイレンと緊急放送を交互に繰り返した。
☆薬師が調達してくれた呪符の名称と枚数……「857.国を跨ぐ作戦」参照
☆移動販売店プラエテルミッサが持つ武器……「443.正答なき問い」「533.身を守る手段」「851.対抗する武器」参照
☆他の村へ行った者たち……「850.鱗蜘蛛の餌場」参照
☆ゲリラ辞めて仮設に居る人も、呪符を使えば戦えます……「853.戻ったゲリラ」参照
☆旧ラキュス・ラクリマリス王国時代に軍に協力した経験を持つ葬儀屋……「648.地図の読み方」「649.口止めの魔法」参照




