875.勝手なハナシ
少年兵モーフは気マズい沈黙をどうにかしたかった。
だが、湖の民の爺さんを慰められそうな言葉がみつからない。
……「俺の身内はみんな死んだけど、おっちゃんは薬師のねーちゃんも、他の奴も生きてんだし、俺よりマシだろ」……? いやいやいやいや、俺が不幸自慢してどうすんだよ。
モーフは、隣で浅く腰掛けた漁師の爺さんをこっそり窺った。
膝に肘を置き、両手で顔を覆って背中を丸めた形で石像のように動かない。
泣き止んでくれたのはよかったが、少年兵モーフには、薬師のねーちゃんの兄貴をどうしていいかわからず、途方に暮れた。
木の下に五人掛けのベンチが置いてあるだけのちょっとした休憩所だ。
自治区を出てからすっかり見慣れた秦皮の木は、新芽が春の陽を照り返してキレイだが、まだ葉が小さくて木陰ができる程ではない。
道行く人は、背を丸めて動かない爺さんをチラ見するだけで、誰も彼もが足早に通り過ぎた。
商店街の道には、同じ形式の休憩所が点々とあり、買物や病院から帰る人が思い思いに過ごしているが、モーフたちのベンチには誰も寄りつかない。
漁師の緑色の髪には半分くらい白髪が混じり、ソルニャーク隊長やラジオのおっちゃんよりかなり年上に見えるが、歳は薬師のねーちゃんと大して離れていないと言っていた。
……薬師のねーちゃんって、長命人種で、ホントはねーちゃんじゃなくて婆さんだったんだな。
ぼんやりそんなことを考え、まだ配り終えていない歌詞の束に目を遣る。
一番上は、臨時放送の日時と番組内容の予定。
二枚目以降が歌詞だ。「この大空をみつめて」「みんなで歌おう」「女神の涙」「すべて ひとしい ひとつの花」を歌う順番通りに並べて五枚一組でクリップ留めしてある。
今日は朝から、漁師の爺さんと二人でヤーブラカ市内の商店街を訪ね歩き、放送予定表を貼り出してくれるよう、一軒ずつ頼んで回っていた。
薬師のねーちゃんは、DJレーフを連れてランテルナ島に跳んだ。ソルニャーク隊長への返事を聞きに行くついでに、レーフにも地下街チェルノクニージニクの場所を憶えてもらうと言っていた。
それで、モーフは薬師のねーちゃんの兄貴と組むハメになったのだ。
店主との交渉は、すっかり慣れたモーフがして、漁師の爺さんは了解した店の名前と業種、放送の要望などを手帳に控える役だ。
割と順調だったのに、さっき靴屋でイヤな連中と出くわしてケチが付いた。
「アナウンサーさん、無事だったのかい。クーデターからこっち、声を聞かなくなったから、てっきり……」
店主のおっさんが急に黙った。
少年兵モーフは客が来たのかと思い、商売の邪魔にならないように脇へ退く。
入ってきたのは、湖の民の若者二人だ。左肩に白地に青で花と水滴が描かれた腕章。少年兵モーフは思わず身体に力が入った。
……ネミュス解放軍!
若者たちが店主に気安く話し掛ける。
「よぉ、親父さん」
「変わりないかい」
「へぇ、お陰さんで、助かっとります」
「それは?」
一人が目聡く店主の手許を指差す。靴屋は紙束を差し出した。
「FMの臨時放送ですよ。歌と物価や何かと難民キャンプの様子を伝えてくれるそうで……」
「へぇー」
紙束をパラパラ捲り、手を止める。
モーフは何を言われるのかと身構えた。
「この『女神の涙』ってのは?」
「えっ? さ、さあ……?」
店主のおっさんが若者の顔色を窺いながら、老漁師をちらちら見る。
解放軍の若者は、薬師のねーちゃんの兄貴を一瞥し、隣で紙束を抱えたモーフに視線を定めた。
「君がこれ配ってんの?」
少年兵モーフは、余計なことを言うまいと無言で頷く。
「これ、放送予定の歌?」
「女神様を讃えるいい歌だな。作詞作曲、誰か知らない?」
紙束を持つ若者に頷き、もう一人には首を横に振る。
「知らないかー。放送で言うかな?」
「さぁ? 知ってどうするんスか?」
「それがわかれば、レコード探しやすくなるから。これ、もらっていい?」
断るのも不自然な気がしたが、モーフの一存で了解していいものかわからず、隣を見上げた。老漁師は顔を強張らせて何も言わない。
モーフは仕方なく頷いた。
「これ、お店に貼る奴だから、一個だけッスよ」
放送の日時や範囲が、ネミュス解放軍に知られるのは、よくないような気がしたが、どの途、これを貼ってくれた店に行けば同じことだ。
「おっ、ありがとよ。実はもうすぐ自治区へ行くんだ」
「この歌を聞けば、士気が上がるだろうな」
「えっ?」
「あそこに星の標の拠点があるって情報を掴んだんだ。自治区を叩けば、爆弾テロがなくなる。安心して暮らせるようになるよ」
少年兵モーフは頭が真っ白になった。
顔から血の気が引くのが、他人事のようによくわかる。倒れそうな足を踏ん張って、どうにか声を絞り出した。
「で、でもっ、あの、あの辺って立入禁止で……」
「そんなの政府軍の奴らが勝手に言ってるこった」
「俺らにゃ関係ない」
ネミュス解放軍の二人は笑って取り合わない。
改めて見たが、二人とも【鎧】と言う程には呪文がない普通の服で、徽章を提げていなかった。
「で、でも、マスリーナにでっかい化け物が居て、俺ら、全力で逃げて……」
「ん? ネーニア島から逃げて来たのか。可哀想にな」
「自治区の連中はのうのうと居座ってるし、マスリーナのデカブツは政府軍が魔哮砲で倒したから大丈夫だよ」
一人がモーフの頭を撫でると、もう一人は安心させようと笑顔を向けた。
店主のおっさんが渋い顔をする。
「その魔哮砲のせいで、アーテルに戦争吹っ掛けられたんじゃないか」
「まぁな。だから、俺らが頑張ってんだ」
「俺らが必ず、平和を取り戻してみせるさ。この歌でみんなの士気が上がる。ありがとうな」
「い、いつ……行くんスか?」
モーフは何とかして情報を引き出そうと、質問を捻り出した。
「もうすぐだ。まぁ、色々と準備があるからな。この放送よりは後になるけど」
「偉い将軍も行くんスよね?」
「いいや。ウヌク・エルハイア将軍の指示を待ってらんないって有志だけだ」
「まぁ、反対する奴なんて居やしないさ」
二人は下っ端なのか、口が軽い。
モーフは心配する体で引き留める為の質問をする。
「でも、将軍に怒られないッスか? 勝手なコトすんなって」
「ちゃんと戦果を上げれば許して下さるさ」
「必ずこの国に平和を取り戻すから、応援よろしくな!」
ネモラリス共和国を平和にすることと、同じ国のリストヴァー自治区をウヌク・エルハイア将軍に断りもなく攻撃することが、モーフの頭の中で繋がらない。
モーフが質問を思いつく前に、二人は店主のおっさんと一言二言交わし、行ってしまった。
老漁師がふらふら店を出て行く。
「あっ……! おっちゃん、ありがとよ。これ、貼っといてくれよなっ」
モーフは靴屋に歌詞セットをひとつ渡して店を飛び出した。
ネミュス解放軍は、商店街の人混みに紛れて見当たらない。
薬師のねーちゃんの兄貴は、声を殺して泣いていた。
……まぁ、あんなコトがあったんじゃあなぁ。
解放軍に殴りかからなかっただけでも上出来だ。
少し離れた木の下にベンチをみつけ、老漁師のごつごつした手を引いて座らせた。
少年兵モーフは、泣き止んだ湖の民に思い切って声を掛けた。
「俺、字ぃあんま知らねぇから、忘れねぇ内に控えて欲しいんだけど……」
老いた漁師は肩を震わせ、ゆっくり息を吐いて顔を上げた。日焼けした皺だらけの手を上着のポケットに入れる。
モーフはペンと手帳が出てきたのを見てホッとした。
「勝手に自治区を攻撃しようとしてる奴らが居る。いつ行くか決まってねぇけど、この放送より後。将軍は行かねぇ。後、えーっと、何だっけ……」
少年兵モーフは、さっき聞いたことの何が、ソルニャーク隊長たちに必要か考える。その間にも、湖の民の爺さんは黙々とペンを走らせていた。
モーフには字が難しくて何が書いてあるのか読めないが、何となく、言った以上のことを書いてくれたような気がした。
爺さんの邪魔しないよう、モーフは道行く人に目を向ける。
ヤーブラカ市の防壁外では、灰色の鱗蜘蛛が跳ね回り、次々と家畜を襲っているが、市内の商店街はまるで関係ない他所の出来事のように賑っていた。
☆歳は薬師のねーちゃんと大して離れていない/薬師のねーちゃんって、長命人種で、ホントはねーちゃんじゃなくて婆さん……「002.老父を見舞う」参照
☆「この大空をみつめて」……歌詞は「170.天気予報の歌」参照
☆「みんなで歌おう」……歌詞は「275.みつかった歌」参照
☆「女神の涙」……歌詞は「531.その歌を心に」参照
☆「すべて ひとしい ひとつの花」……歌詞は「774.詩人が加わる」参照
☆あんなコトがあった……「825.たった一人で」~「827.分かたれた道」参照
☆ヤーブラカ市の防壁外では、灰色の鱗蜘蛛が跳ね回り、次々と家畜を襲っている……「849.八方塞の地方」参照




