873.防げない情報
針子のアミエーラは、お茶のワゴンを食堂に返し、一人になった途端、どっと疲れが出た。
……ホントだ。思ったより疲れてるのね。
昨日、呪文の刺繍がひとつ仕上がったが、今日はボランティアの職人が来ない日なので、続きはできない。
何もする気が起きないが、部屋で休むのは気が引ける。
ファーキルに頼んでインターネットのニュースでも見せてもらおうと、パソコンの部屋に足を向けた。
「あ、あれっ?」
さっき練習を終え、別れたばかりの呪医とスニェーグが、ファーキルを挟んで横並びに座って何かしていた。
「どうされました?」
「ちょっとだけ、ニュースを見せてもらおうと思ったんですけど、お邪魔でしたら、また今度に」
アミエーラが一礼して、戸を閉めようとするのをファーキルの声が引き留めた。
「丁度、ニュース見てるとこなんです。アミエーラさんもどうぞ」
返事をするより先に作業机の向かいに回り、椅子を引っ張って来る。大人二人が少しずつずれ、ファーキルの隣に椅子を置いた。
「えっと、じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔します」
アミエーラは、呪医とファーキルの間に腰を落ち着けた。
「ラクエウス先生にもお話ししたんですが、この件、ネモラリスでは全く報道されていないのですよ」
ファーキルの横からスニェーグが手を伸ばし、ノートパソコンを指差した。
タブレット端末の何倍も大きい画面には、国際ニュースの記事が表示されている。「ネモラリス軍、魔哮砲を回収」との見出しにギョッとした。
息をするのも忘れて本文に目を走らせる。
ラクリマリス王国軍の発表だ。
ツマーンの森で腥風樹の捜索に当たった部隊が、ネモラリス軍の幹部と魔装兵を発見した。
腥風樹捜索隊の隊長らが、遠距離から【索敵】の術で監視を続け、ネモラリス軍の者が【流星陣】で魔哮砲を捕え、【従魔の檻】に収容するまでの様子を確認した、とある。
記事のクレジットは時流通信社。
この戦争には、直接の利害が絡まない日之本帝国のニュース供給会社だ。
「ネモラリス軍の人が帰った後、その場所の草や落葉を持って帰って、【鵠しき燭台】に掛けた動画もありました」
ファーキルに頷いてみせたが、あまりのことに声もない。
手袋のニュースと同じなら、ネモラリス共和国への風当たりが強くなるのは火を見るより明らかだ。
……そっか。ラクリマリスは、別にネモラリスの味方ってワケじゃないのね。
難民は助けてくれるが、クリペウス政権と、その意のままに動くネモラリス政府軍を快く思っていないのだろう。
よく考えれば、魔哮砲がネーニア島のラクリマリス領側に上陸したせいで、アーテル軍に腥風樹の種子を蒔かれたのだ。巻き込まれたラクリマリスが魔道機船を出して、ネモラリス人の難民を第三国のアミトスチグマに届けてくれるだけでも、有難過ぎる。
「国内でこれを報道すれば、民心はウヌク・エルハイア将軍に傾くでしょうね」
呪医セプテントリオーが溜め息混じりに言い、スニェーグが重々しく頷いた。
「ジャーニトルさんやラゾールニクさんの話では、シルヴァは周辺国の新聞をネモラリス国内に持ち込んで、ゲリラの勧誘をしているそうですから、知れ渡るのは時間の問題ですよ」
「シルヴァさんだけじゃなくって、帰国した難民の人たちとか、外国とネモラリスを魔法で行き来してるボランティアの人とか、外国人の記者、大使館員……大勢の人がこの情報を知って、ネモラリスに持ち込めるから、報道規制なんて意味ないと思うけどなぁ」
ファーキルが情報の流入口を並べたてたのは、老婦人シルヴァの従兄であるスニェーグを慮ってのことだろう。
……ファーキル君ってやっぱり賢い子なのね。
アミエーラは、妙なところに感心して、うっすら現実逃避しようとしたが、関連記事のリストが視界に入り、イヤな現実に捕まってしまった。
ラクリマリス軍、腥風樹の駆除完了
アーテル軍の基地で謎の爆発相次ぐ
一件、関係なさそうな記事が関連付けられている。
腥風樹の件は、同じツマーンの森に関することでラクリマリス王国軍の発表だ。これはわかる。
他の共通点は「この戦争の関係国であること」だが、たくさんある戦争関連記事の中から、何故これが挙がったのか。
……アーテルの基地が爆発したのと、この記事の関係って。
不吉な想像に動悸がして、掌にじっとり汗が滲んだ。
「アゴーニさんには、臨時放送の人に当分の間、この件は報道しないように頼んでありますけど、いつまでネモラリスで内緒にできるかわかんないし、広まった後が怖いなって……」
「どう言うことですか?」
ファーキルの歯切れの悪い物言いに、呪医セプテントリオーが敢えて質問した。
「さっき呪医が言ったみたいに、政府軍が魔哮砲を回収したって国民にバレたら、魔哮砲のせいでアーテルに戦争を吹っ掛けられたって怒ってる人たちは、魔哮砲を処分するって宣言したネミュス解放軍側に付きます」
「普通に考えて、そうでしょうね。リャビーナにもネミュス解放軍の支部ができて、そこに出入りする人は日に日に増えていますから」
アミエーラは、リャビーナ市民楽団のピアニストをまじまじと見た。
「それって、お巡りさんとか、何も言わないんですか?」
「忙しくてそれどころではないようです。彼らは堂々と警察の手伝いをしていますよ」
「えっ」
「えぇッ?」
それには、アミエーラだけでなく、ファーキルと呪医も驚いた。
スニェーグが何とも言えない顔で説明する。
「何せリャビーナは、一気に人が増えましたからね。湖上封鎖の圏外を通ってアミトスチグマに直行できる便もありますから、色々とトラブルも多いんですよ」
空襲で何もかも失ったネーニア島民と、クーデターから逃れたクレーヴェル都民が、アーテル領から最も遠く、空襲を受けずに済み、交通の便もいい場所に集まるのは無理もない。
人が増えればそれだけ、事件や事故も増える。
「ネミュス解放軍リャビーナ支部の人々は、クリペウス政権打倒を云々することなく、仮設住宅の防犯パトロールや、リャビーナ市周辺での魔獣駆除など、ボランティア活動をしているのです」
「警察は、クーデターを起こした組織に属していても、違法行為に手を染めていない者には、手出しできないと言うことですか」
呪医が肩を落とした。
ファーキルが困惑しきった声を出す。
「えぇっ……じゃあ、軍はどうしてるんです?」
「政府軍は、対アーテルの防衛線の維持、ネーニア島での魔獣駆除や治安維持、首都のクーデター対応に手を取られて、空襲に遭わなかったネモラリス島の地方都市は手薄になっています」
「その状況で解放軍に手出しすれば、懐柔された住民も敵に回すことになりかねませんね」
呪医が、ピアニストの説明に納得する。
アミエーラはあまりのことに言葉もなかった。
ファーキルが遠慮がちに聞く。
「じゃあ、リャビーナは完全に解放軍に支配されてるんですか?」
「それがそうでもないんですよ」
スニェーグが雪のように白い髪を揺らして首を振る。
どう言うことなのか。
三人はリャビーナ市民の言葉に身構えた。
「星の標の支部もあります。こちらは目的を隠して密かに布教活動を行い、なかなか尻尾を出しません」
……あ、そっか。隠れ信徒も居るんだっけ。
リストヴァー自治区で生まれ育ったアミエーラには、湖の民が多いネモラリス島で、彼らがどんな暮らしを送っているのか想像もつかない。
「ロークさんの情報によりますと、市内に三カ所ある支部のひとつは、倉庫会社のオースト社長宅だそうです」
……えっ? そんなお金持ちなの?
アミエーラの驚きを置いてけぼりにして、スニェーグは説明を続ける。
「オースト倉庫株式会社は、避難民の支援を謳って力なき民をパートタイマーやアルバイトとして大量採用しています」
「それって、恩を売って改宗させようとしてるってコトですか?」
ファーキルが、アミエーラと同じ疑問を口にする。
スニェーグは眉を下げ、口角を僅かに上げた。
「そこまで露骨な動きを見せてくれれば、こちらも対抗しやすいのですが……同志の調べでは、倉庫の作業マニュアルなどにそれとなく、聖典の文言を改編したフレーズを織り込んで、毎朝、作業前に唱和させているだけなのだそうです」
「あぁ、ボランティアのスローガンと同じなんですね」
アミエーラの呟きに頷いて続ける。
「仮設住宅の住民やボランティアが相手なら、それ以上広めないように手の打ちようもありますが、社内で業務の一環としてされたのでは、お手上げです」
「えっと……湖の民の偉い人は、何もしてくれないんですか? 将軍じゃなくって……」
アミエーラが、ラキュス・ネーニア家当主の呼称を思い出せずにいると、ファーキルが言ってくれた。
「シェラタン当主って、今、どこで何してるんですか?」
「呪医がご存知ですよ」
スニェーグに話を振られ、シェラタン当主と同じ湖の民の呪医セプテントリオーは、一瞬、苦い顔をした。
諦めたようにひとつ息を吐き、肩を落として言う。
「この情報は、報道各社もまだ掴んでいません。ここだけの話にすると誓って下さい」
「わかりました。元々ラゾールニクさんたちにも、出していい情報、ダメな情報のことは、口を酸っぱくして言われてるんで」
「私も、誰にも言いません」
スニェーグが席を立ち、扉と窓に次々と何か術を掛けて回る。
初めて耳にする呪文で、アミエーラには単語のひとつも拾えなかった。
☆手袋のニュース……「498.災厄の種蒔き」~「500.過去を映す鏡」参照
☆アゴーニさんには、臨時放送の人に当分の間、この件は報道しないように頼んであります……「867.報道しない話」参照
☆魔哮砲を処分するって宣言したネミュス解放軍……「600.放送局の占拠」「601.解放軍の声明」参照
☆市内に三カ所ある支部のひとつは、倉庫会社のオースト社長宅……「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」参照
☆オースト社長……「696.情報を集める」参照
☆ボランティアのスローガンと同じ……「773.活動の合言葉」参照




