870.要人暗殺事件
ラズートチク少尉が、首都ルフスの作戦拠点に戻ったのは、魔装兵ルベルが先に夕飯を済ますべきか迷っている最中だった。
少尉が【跳躍】で廃屋の居間に姿を現した途端、揚げ物の匂いが広がり、ルベルの腹が鳴った。
「食べずに待っていたのか。……食べながら説明しよう」
ラズートチク少尉は、ローテーブルに紙袋を置いて苦笑した。
窓に【暗幕】の術を掛け、天井に【灯】を点す。
淡い光が室内を隈なく照らすが、外へは一切漏れない。
「ルフスとランテルナ島で情報収集して、本部へ報告してきた。これは、カルダフストヴォー市の定食屋のものだ」
串に刺さった揚げ物は、衣に包まれて具の正体がわからない。
ルベルが最初につまんだのは、タマネギの串だった。甘みと油がじゅわりと舌の上に広がり、却って空腹感が増す。
魔哮砲はルベルの膝から降り、ソファの上で大きなクッションのように丸まった。ルベルの左腰にほんの少し接触した状態で、じっと動かなくなる。
「まだ報道されておらんが、今朝、ルフス教区の大司教が殺害された」
「えっ……?」
白身魚の串を食べる手が止まる。
少尉は向かいのソファで三本目を食べて続けた。
「大司教は、ルフス光跡教会の司祭館に他の聖職者と一緒に住んでいるが、朝になっても起きて来ないのを不審に思った部下が、マスターキーで開けて入ったら、ベッドで死んでいたらしい」
万一の漏洩を恐れたのか、ラズートチク少尉はルベルにも情報源を明かさない。
「司祭館に住む者は誰も、不審な声や物音を聞かなかったそうだが、大司教の死体は明らかに拷問の跡があった。詳しく聞きたいか?」
魔装兵ルベルが首を横に振ると、上官は話を進めた。
「発見時、寝室には雑妖と血の臭いが満ち、窓を開け放つまで何も見えない程だったらしい。検視の結果、発見時には少なくとも死後六時間以上は経過していたそうだ」
少尉の声は淡々としているが、その目には嘲りの色がありありと浮かんでいた。
「犯人の目星は付いてるんですか?」
「いや? 何せあの大司教は、内乱中に【魔道士の涙】を売り捌いて財を成し、カネで地位を買った男だ。各方面から恨みも買っている」
少尉は面白そうに唇の端を歪め、四本目の串を手に取った。
少尉は先程、司祭館の部屋にはマスターキーがあると言った。
魔装兵ルベルが、気になったことを口にする。
「司祭たちが共謀して怨恨を晴らし、口裏を合わせた可能性がある、と言うことですか?」
「そうかもしれんが、奴らの言う通り、ネモラリス憂撃隊の仕業かもしれん」
魔法文明圏の者なら、子供でも簡単に思い付く手口だ。【跳躍】で侵入して【静音】を掛けて事を成せば、悲鳴も物音も聞こえない。どちらも比較的簡単な術だ。
加えて、キルクルス教国のアーテルでは、どの建物にも【跳躍】による侵入を防ぐ結界がない。
大抵の魔法使いは、呪文さえ知っていれば、犯行が可能だろう。
「アーテルには【鵠しき燭台】がないからな。科学の捜査だけでどこまで真相に迫れるか、見物だな」
ラズートチク少尉が、喉の奥で笑った。
ルベルにも、笑いの意味はよくわかる。
ネモラリス憂撃隊は、頻繁に警察署やアーテル軍の施設を襲撃し、武器等の略奪を行う。
留置場から被疑者を解放し、刑務所の壁や塀にも穴を開けた。
各地で急激な物価高騰に不満を表明するデモが起き、デモ隊は容易く暴徒化して商店を略奪する。
再逮捕と治安出動で忙殺される警察が、この状況で聖職者に疑いの目を向け、真相究明の為に捜査を進めるだろうか。
万が一それが真相であるなら、キルクルス教会の威信が地に墜ちる。
ポデレス大統領が率いるアーテル党も、野党第一党である星道の碑党も、キルクルス教の信者団体が支持母体だ。
……どう考えても、手間暇掛けて教団や現政権との関係を悪化させるより、ネモラリス憂撃隊のせいにした方が楽だもんな。
「オリョールたち穏健派は、大司教暗殺には関与しておらんと言っていた」
「そうなんですか?」
「穏健派は、元の五分の一程度しか居ない。戦力の不足を補う為に拠点で呪符作りに励み、分裂後はまだ一度も襲撃を行っておらんそうだ」
「それが正直な話かどうか、わかりませんよね?」
「まぁな。道具を使ってまで確認しておらんが、わざわざ私に嘘を吐く理由もなかろう」
ルベルは五本目の串を手に取った。
これは形からして、鶉の卵だろう。
一番上を噛み潰すと、甘酸っぱい汁が舌に触れ、思わずむせた。どうにか飲み込み、涙目でふたつ目を半分だけ齧る。衣を纏ったプチトマトだ。
魔哮砲がぬるりと伸び上がり、ルベルの肩に不定形の身を預けた。
「……そうですね」
この事件がネモラリス憂撃隊の仕業なら、ますます平和から遠ざかる。
それが事実か否かは、関係ない。
この事件をアーテル人がどう捉えるかだ。
「復讐派の人たちには、聞かなかったんですか?」
「連絡役の婆さんは、個別の作戦については知らんそうだ。復讐派の連中には、まだ、オリョールのようなまとめ役が居ないらしい」
「それって、個人で活動してた頃とどう違うんですか?」
「拠点を持ち、武器や食糧を蓄え、訓練している。【急降下する鷲】の初歩的な術や銃火器の扱いを身に着け、集団で略奪を行う。統率者は居ないようだが、ひとつの目的と連帯感で繋がり、今のところ、まとまって行動している」
それが、いいことなのか悪いことなのか、ルベルにはわからない。
「本部の決定が出るまで、基地への攻撃は行わん。当面は情報収集に専念する」
「はッ!」
串を持ったまま敬礼したルベルにラズートチク少尉が苦笑した。
「今朝の神学校への襲撃は、ネモラリス憂撃隊の仕業だ。最近加わった力なき民の建築士が、再建途中の教会を見て、どこを爆破すれば最小限の爆弾で全壊させられるか、指示したそうだ」
「それは……」
「元建築士のゲリラ本人から聞いた。キルクルス教会の基本的な造りは、どれでも同じらしい」
……どうして、俺たち職業軍人に任せてくれないんだ。
魔装兵ルベルは、専門家がその知識を復讐の為、破壊の方向に使ったことが悲しかった。
☆内乱中に【魔道士の涙】を売り捌いて財を成し……「042.今後の作戦に」参照。よくあるハナシ。
☆アーテルでは、どの建物にも【跳躍】による侵入を防ぐ結界がない……「285.諜報員の負傷」「389.発信機を発見」参照
☆ネモラリス憂撃隊は、頻繁に警察署やアーテル軍の施設を襲撃……「261.身を守る魔法」参照
☆留置場から被疑者を解放……「265.伝えない政策」「285.諜報員の負傷」「344.ひとつの願い」参照
☆急激な物価高騰に不満を表明するデモ……「440.経済的な攻撃」「800.第二の隠れ家」「845.思い出の手袋」参照




