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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第四章 印歴二一九一年二月四日
89/3486

0089.夜に動く暗闇◇

 「おう。交代だ。起きてくんな」

 いつの間にか微睡(まどろ)んだレノは、年配のテロリスト……メドヴェージの声で瞼を上げた。

 肩に少年兵モーフのぬくもりを感じる。そのことに、嫌悪感を抱かない自分に驚いた。



 テロリストの少年兵モーフは先に目を覚まし、しっかりした動作で起き上る。

 レノが、陸の民の少年ロークに毛布を渡して場所を代わる。ロークはメドヴェージとマフラーも共有し、ぴったりと身を寄せ合って毛布に(くる)まった。


 クルィーロが小石に(とも)した【灯】は、見張りの足下に置いてある。

 高い位置に置くと遠くからでもよく見える。よくない人間を呼び寄せるといけないので、なるべく目立たないようにしてあった。


 瓦礫の隙間から、淡い光が漏れる。


 瓦礫で囲んだ寝床の外で雑妖が(うごめ)く。発生したばかりで希薄なモノは、【灯】の(ほの)かな光すら恐れて近付かない。

 少し存在が濃密なモノも、瓦礫で囲んだ区画の中へは入らない。

 クルィーロと薬師(くすし)アウェッラーナが、寝る前に掛けてくれた【簡易結界】がみんなを守るからだ。


 レノたちが警戒する対象は、雑妖ではない。

 人間だ。


 ……何か、ヘンな感じだよな。テロリストとは、こうやって協力してるのに?


 街を焼き、自宅兼店舗を奪ったのはこのテロリストたちだ。

 父が亡くなったのは、空襲のせいだと言えなくもないが、あのテロがなければ、あの時、あの場所には居なかった。

 母の行方と安否は、全くわからない。

 寒さで眠気が吹き飛び、様々な思いがレノの胸に湧き上がる。



 ほんの数日で、世界が変わってしまった。

 先週までは、パン生地の()ね方や発酵時間の見極めの難しさが、レノの悩みの(タネ)だった。



 今は、廃墟の中でテロリストと肩を並べ、暴漢を警戒する。

 どこにもパンの焼ける香ばしい匂いはない。

 いつまでも続くと思った普通の暮らしが、こんなにも(もろ)いものだとは思わなかった。あまりにも現実感がなく、この状況こそが、悪い夢のような気がしてくる。

 身に突き刺さる寒さが、これは紛れもない現実だ、と教えた。


 ピナに手袋、ティスにマフラーを借りたが、調理服とエプロンだけでは、寒さが(こた)えた。

 日中は日の当たる所に居れば、そうでもなかった。何かすれば身体も温まるが、今はここで立って見張りをしなければならない。

 肩をさすり、小さく足踏みして暖を取る。


 地を這う雑妖を視ると気が滅入ってしまう。

 レノは視線を上げた。

 天に満ちる星々は、何も変わらない。

 星明かりの下を薄い雲が流れて行く。



 いつまでも、ここでこうしている訳にはゆかない。

 ラジオの放送があることは、ネモラリス共和国内にも、まだ、無事な地域があることを意味した。

 昼食後の話し合いで、明日の朝食後にラジオを聞いてから、行き先を決めることになった。

 移動先には、隣のマスリーナ市の市街地と港を経由する。

 クルィーロの母親と、アウェッラーナの家族を探すのだ。


 ……この辺には、あんまりないみたいだけど、昔の防空壕とか、地下室とかで生き残った人も居そうだし。


 あの暴漢たちも、そんな場所で生き延びたのだろう。

 力なき民が、夜間に出歩くとは思えない。

 レノは、児童公園の一夜を思い出して身震いした。

 当面の敵は、力ある民の暴漢か、【簡易結界】では防ぎきれない魔物だ。


 ……あ、そっか。共通の敵が居るから、テロリストとも協力できるんだ。


 いつまで、彼らと共に行動するのか。


 「あっ」

 少年兵モーフが、(かす)かに声を上げた。

 振り向くと、【灯】が東の彼方を凝視する横顔をぼんやり照らすのが見えた。レノはその視線を辿(たど)った。


 不定形の黒い塊が揺れ動く。

 人間よりも、遥かに大きい。


 ほんの数十歩先で、トラック数台分の大きさの何かが、瓦礫の中をゆっくり移動した。

 口の中がカラカラに乾き、声も出せない。

 魅入られたように、視線が釘付けになる。

 モーフも同じなのか身が小刻みに震える。


 下手に声を出してアレに気付かれるのは、(かえ)って危険かもしれない。その考えが正しいのか、ただの言い訳なのか。レノ自身にもわからなかった。

 寒さではなく、恐怖に震えながら、黒い何かを見送る。


 ラキュス湖の方角から、西の台地、ゾーラタ区の方へ向かうようだ。

 星明かりにうっすら照らされた瓦礫の中、黒い塊の部分だけが、(えぐ)り取られたような暗闇だ。

 何も見えない。

 何も視えない。

 雑妖が闇の塊に群がる。塊に触れた途端、泥沼に呑まれるように消えてゆく。


 ……魔物……なのか?


 闇の塊は、レノたちに見向きもせず、西へ移動する。

 足音はない。

 静寂の中、闇の塊が波に揺れるクラゲのように漂った。穴のような闇に次々と雑妖が跳び付いて呑まれる。



 どれ程の時間が経ったのか。

 気が付くと、塊も雑妖も姿がなかった。

 レノは大きく息を吐き出した。膝から力が抜け、倒れそうになる。何とか踏み留まり、顔を上げて西を見た。


 何も居ない。


 気のせいだったのかと思うくらい、静かだ。闇に浮かんで視える筈だが、雑妖の姿もない。

 足下の【灯】はまだ明るい。

 レノは手を動かしてみた。恐怖に強張(こわば)り、寒さにかじかんで感覚がない。

 手袋をしたまま息を吹きかける。温かくはないが、現実感は戻って来た。


 「……な……なんだ……今の……?」

 声は震え、かすれてしまったが、モーフには届いた。少年兵が首だけをこちらに向ける。

 「わかんねぇ……」

 その(ささや)きが耳に痛い程の静寂だ。

 よからぬモノに聞かれはしなかったかと、西の闇に目を凝らす。



 たっぷり時間を掛けて確認し、息を吐き出した。

 「兄ちゃん、時間は?」

 モーフに聞かれ、腕時計に目を()る。暗くて見えない。

 しゃがんで文字盤を【灯】にかざす。

 もう交代の時間を過ぎていた。振り向くと、メドヴェージとロークも、起きて西の闇を見詰める。


 震えていても仕方がない。

 レノは気を取り直し、ソルニャーク隊長とピナを起こした。

 少年兵モーフが、場所を代わろうとする二人に手振りで断り、見張りの位置に連れて行く。闇の塊が去った方向を指差し、小声で説明した。

 ソルニャーク隊長は、硬い表情で報告に耳を傾ける。


 レノも改めて西を見た。闇が続くだけで、人家の灯などはひとつもない。足下の【灯】が眩しいくらいだ。

 「それは、ここの【灯】にも、我々の気配にも反応しなかったのだな?」

 「はい」

 モーフが(あご)を引く。

 ソルニャーク隊長は、表情を(やわ)らげ、少年兵の肩を叩いた。

 「報告ご苦労。ゆっくり休め」


 隊長に背中を押され、レノとモーフは、寝床の入口で背中合わせに横たわった。

 二人で一枚の毛布に(くる)まったが、目が冴えて眠れそうもない。

 レノはピナを見た。

 さっき返した手袋をつけた後は、ずっと西を警戒する。この位置からは、妹の表情は(うかが)い知れない。


 ……俺も起きて、ピナの(そば)についてようかな? どうせ眠くないし。


 身を起こしかけたが、すぐ横になった。

 レノが出て行けば、モーフが凍えてしまう。

 ピナは、コートとマフラーと手袋を身に着け、隣にはソルニャーク隊長も居る。


 ……どう考えても、俺より強いもんなぁ。


 再びあの闇が訪れ、襲ってきたとして、レノでは妹たちを守れる気がしない。妹たちを連れて無事に逃げ切る自信もなかった。


 ……力なき民……か。


 レノは固く目を閉じた。

 眠れぬまでも、身体を休めて明日に備えなければならない。


 闇への恐怖と妹への心配。

 不安にどっぷり浸かりつつも、レノはいつの間にか、疲れに引きずられるように眠りに落ちた。

☆父が亡くなったのは、空襲のせいだと言えなくもない……「0061.仲間内の縛鎖」「0071.夜に属すモノ」参照

☆ラジオの放送がある……「0078.ラジオの報道」参照

☆児童公園の一夜……「0028.運河沿いの道」「0047.公園での一夜」参照


 挿絵(By みてみん)


★第四章 あらすじ

 空襲後の夜、運河の畔に身を寄せた市民らは、雑妖の群に襲われて廃墟の街を逃げ惑う。

 一夜明け、河口に辿り着いたのは、魔女の薬師、パン屋の青年と妹二人、魔法使いの工員と妹、男子高校生、そして、テロリストの三人だった。

 仕方なく、この十人で行動を共にすることになるが……


 ※ 登場人物紹介の一行目は呼称。

 用語と地名は「野茨の環シリーズ 設定資料」でご確認ください。

 【思考する梟】などの術の系統の説明は、「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説07.学派」にあります。



★登場人物紹介


 ◆湖の民の薬師(くすし) アウェッラーナ

 湖の民。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。

 隔世遺伝で一族では唯一の長命人種。外見は十五~十六歳の少女(半世紀の内乱中に生まれ、実年齢は五十八歳)


 実家はネーニア島中部の国境付近の街、ゼルノー市ジェリェーゾ区で漁業を営む。

 父と姉、兄、甥姪など、身内で支え合って暮らしている。


 ゼルノー市ミエーチ区にあるアガート病院に勤務する薬師(くすし)

 魔法使い。使える術の系統は、【思考する(フクロウ)】【青き片翼(かたよく)】【(すなど)伽藍鳥(ペリカン)】【霊性の(ハト)

 呼称のアウェッラーナは「(ハシバミ)」の意。

 真名(まな)は「ビィエーラヤ・オレーホヴカ・リスノーイ・アレーフ」


 ◆パン屋の青年 レノ

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。十九歳。濃い茶色の髪の青年。

 ネーニア島のゼルノー市スカラー区にあるパン屋「椿屋」の長男。

 両親と妹二人の五人家族。パン屋の修行中。

 レノは、髪の色と足が速いことからついた呼称。「馴鹿(トナカイ)」の意。


 ◆ピナティフィダ(愛称 ピナ)

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。中学生。二年三組。濃い茶色の髪。

 レノの妹、エランティスの姉。しっかりしたお姉さん。

 生まれた時期に咲いていた花の名を呼称にしている。


 ◆エランティス(愛称 ティス)

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。小学生。五年二組。濃い茶色の髪。

 レノとピナティフィダの妹。アマナの同級生。大人しい性格。

 生まれた時期に咲いていた花の名を呼称にしている。


 ◆工員 クルィーロ

 力ある陸の民。フラクシヌス教徒。工場勤務の青年。二十歳。金髪。

 パン屋の息子レノの幼馴染で親友。ゼルノー市スカラー区在住。


 両親と妹のアマナとの四人家族。

 隔世遺伝で、家族の中で一人だけ魔力がある。

 魔法使いだが、修行はサボっていた。使える術の系統は、【霊性の(ハト)】が少しだけ。


 機械に興味があるので、ゼルノー市グリャージ区のジョールトイ機械工業の音響機器工場に就職。


 呼称のクルィーロは「翼」の意。


 ◆アマナ

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。クルィーロの妹。金髪。

 小学生。五年二組。エランティスの同級生。ゼルノー市スカラー区在住。

 生まれた時期に咲いていた花の名を呼称にしている。


 ◆少年 ローク

 力なき陸の民。商業高校の男子生徒。十七歳。ディアファネス家の一人息子。

 ゼルノー市セリェブロー区在住。家族とは相容れなくなり、家出する。

 祖父たち自治区外の隠れ教徒と、自治区の過激派が結託して、テロを計画していることを知りながら、漫然と放置してしまった。

 保身に走り、後悔しがち。

 呼称のロークは「角」の意。


 ◆お針子 アミエーラ

 陸の民。キルクルス教徒。十九歳の女性。金髪。青い瞳。仕立屋のお針子。

 リストヴァー自治区のバラック地帯在住。

 工員の父親と二人暮らし。

 呼称のアミエーラは「宿り(ヤドリギ)」の意。


 ◆仕立屋の店長

 力なき陸の民。キルクルス教徒。一人暮らしの老婆。気前がいい。

 リストヴァー自治区の団地地区で、仕立屋を経営している。

 アミエーラの祖母の親友。ずっとお互いに助け合ってきた。


 ◆少年兵 モーフ

 力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の少年兵。十五~十六歳くらい。

 リストヴァー自治区のバラック地帯出身。


 アミエーラの近所のおばさんの息子。祖母と母、足が不自由な姉とモーフの四人家族。

 父は、かなり前に工場の事故で亡くなった。

 以前は工場などで下働きをしていた。自分の年齢さえはっきりしない。


 貧しい暮らしに嫌気が差し、家出してキルクルス教徒の団体「星の道義勇軍」に入った。

 呼称のモーフは「(コケ)」の意。


 ◆隊長 ソルニャーク

 力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍・第三小隊の隊長。モーフたちの上官。おっさん。

 知識人。冷静な判断力を持つ。

 キルクルス教徒だが、狂信はしていない。自爆攻撃には否定的。

 陸の民らしい大地と同じ色の髪に、彫の深い精悍な顔立ち。

 空を映す湖のような瞳は、強い意志と知性の光を宿している。

 呼称のソルニャークは「雑草」の意。


 ◆元トラック運転手 メドヴェージ

 力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の一兵士。おっさん。

 リストヴァー自治区のバラック地帯出身。


 以前はトラック運転手として、自治区と隣接するゼルノー市グリャージ区の工場を往復していた。

 仕事で大怪我をして、ゼルノー市ジェリェーゾ区にある中央市民病院に入院したことがある。

 呼称のメドヴェージは「熊」の意。


 ◆市民病院の呪医

 湖の民の男性。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。

 ゼルノー市立中央市民病院に勤務する唯一の呪医。

 【青き片翼】学派の術を修め、主に外科領域の治療を担当。

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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