868.廃屋で留守番
アーテル共和国の首都ルフス。
その高級住宅街にひっそり佇む廃屋が、ネモラリス共和国軍の魔装兵ルベルたちが秘かに接収した作戦拠点だ。
一家惨殺事件以来、大量の雑妖が発生した為、長年放置されている。
ルベルとラズートチク少尉が、廃屋に巣食う魔物を倒し、魔哮砲に雑妖を食わせたお陰で、邸内はすっかりキレイになった。
寝室が事件の現場だったらしい。日暮れになると雑妖が涌くが、毎日、魔哮砲に処理させていると、日に日に発生数が減ってきた。
冬の間、アーテル軍のイグニカーンス、テールム、ベラーンスの基地を立て続けに破壊したが、春になった今は、魔哮砲への魔力の充填が捗らず、出撃できないでいた。
この廃屋に来た当初は、ほんの数日で大量の雑妖を食べさせ、余剰の魔力を蓄えられたが、浄化が進んでからは、魔哮砲の生命維持で消費する分くらいしか雑妖が発生しない。
この分では、夏を迎える前に魔哮砲を維持する雑妖も足りなくなるだろう。
……場の浄化が進んだのは、いいことなんだろうけど。
その内ここは「化け物屋敷」ではなくなるだろう。
アーテルの道はLEDの街灯が煌々と点り、夜遅くでも人通りが絶えない場所が多かった。人目を避けて魔哮砲を街に連れ出し、餌の雑妖を与えるのは難しい。
ラズートチク少尉は、もうひとつの任務である情報収集に忙しく、当面ここを動く気はないらしい。
魔装兵ルベルは朝、魔哮砲に屋敷中の雑妖を片付けさせた後は、することがなくなる。少尉の真似をしてタブレット端末でインターネットのニュースを読み、目が疲れると身体が鈍らないように鍛錬した。
アーテルでは、今年の夏に国政選挙と大統領予備選があるらしい。選挙を睨む各党の活動が、頻繁に報じられるようになった。
記事の下部には、アーテル共和国の選挙制度や政党の解説ページへのリンクが並ぶ。それを辿るだけで、外国人のルベルにも簡単に必要な情報が手に入れられた。
アーテルの国政選挙は三年に一回で、国会議員の半数が改選される。
建国後、数年は改選の制度がなかった。
国会議員の再選回数には制限がなく、約三十年前にラキュス・ラクリマリス共和国から分離独立して以来、ずっと議席を保ち続けるベテランも数人居る。
いずれも、キルクルス教の信者団体「聖光の輪」を支持母体とするアーテル党の議員だ。
現職のポデレス大統領を輩出した与党「アーテル党」の他にも政党はあるが、どこも議席は全体の十分の一以下で、野党全てを合わせても、半数どころか、三分の一にも満たない。
第二党は四十二議席を占める星道の碑党で、こちらも同名の信者団体を支持母体とするキルクルス教系だ。
聖光の輪は一般信者の団体だが、こちらは「星道の職人」と呼ばれる特に信仰心が篤く、特別な職能を持つ職業集団を兼ね、背後に産業界が付いているらしい。
それ以外の党は一桁から十数議席、無所属の政治家もそれなりに居る。
各党や議員個人のプロフィールをざっと見た限り、世俗主義の政治家は全議席の二十分の一以下しか居ないようだ。
……信仰に基づいて、魔哮砲とこいつを軍事利用するネモラリスを叩き潰せってのが八割か。
唯一、音楽家とそのファンを支持母体とする「安らぎの光党」だけが、ラキュス湖地方の平和を訴えているが、八議席しかなかった。
他は無所属だ。
ラズートチク少尉は朝食後、情報収集に出掛けてまだ戻らない。
魔哮砲はルベルの膝の上で大人しくしていた。大部分が膝に乗れず、古ぼけたソファの背もたれから座面に垂れ、毛布のフリをしている。
膝の上の塊を撫でてやると、闇が緩やかに波打った。目鼻も何もない不定形の闇が喜んでいるとわかるのは、【使い魔の契約】で結ばれたルベルだけだ。
魔装兵ルベルは、あたたかくやわらかい塊をひとしきり撫で、小さな画面に視線を戻した。
大統領の任期は四年で、再選は三回までとなっている。この制度は、初代大統領の頃にはなかったが、国政選挙の制度改正と同時に設けられた。
現職のポデレス大統領は、二選が実現するか、政権交代となるか、一際注目されている。
……和平交渉の場に出て来てくれる人が、大統領になってくれればいいんだけど、この人じゃムリだよなぁ。
平和を呼び掛ける安らぎの光党も、大統領候補を立てているが、どのニュースサイトでも泡沫候補扱いだ。
今夏は予備選だけで、本選は来年の二月に行われる。
何か不祥事でもあって失脚しない限り、好戦的なポデレス大統領の政権は続く。
アーテル党は、バルバツム連邦からのミサイル追加購入と、防衛予算の増額を発議。野党の大多数が、疲弊した国民生活を優先すべきだと反対したが、ポデレス大統領は予算案をそのまま承認した。
アーテル共和国は、戦時特別態勢で、大統領権限が強化されている、との解説がある。
……大統領の一存だけで?
経済ニュースには、毎日のように倒産の記事が上がっていた。
有権者の多くは、経済的な理由で野党の言い分に頷くように思えたが、インターネット上で行われた世論調査では、好戦的な意見一色に染まっていた。
平和を望む声は、戦闘旗の虫食い穴のように小さい。
この分では、アーテルの基地を全て破壊したところで、バルバツムの支援を受けて戦闘を継続するような気がした。
生活情報のコーナーには、物価上昇に対抗する節約術が溢れる。
社会面には、ネモラリス人のゲリラによる教会襲撃事件や、個人商店への略奪が載っていた。
アーテル本土の大きなキルクルス教会は、一通り襲撃を受け、再建工事中だ。その為の寄付金も庶民の暮らしを圧迫している。
記事の末尾には、今朝、襲撃を受けた教会の地図へのリンクがあった。
ルフス神学校内の教会で、この廃屋と同じ高級住宅街にある。魔装兵ルベルは方向を確認し、【索敵】を唱えた。
「害意 殺気 捕食者の姿 敵を捕える蜂角鷹の眼 敵を逃さぬ蜂角鷹の眼 詳らかにせよ」
同じ地区ではあるが、かなり離れている為、騒ぎに全く気付かなかった。
白い壁に囲まれた神学校は、門が開け放たれ、敷地内にはまだ、警察や消防、報道各社の車輌が停まっている。
規制線の奥には、瓦礫の山があった。
☆星道の職人……「554.信仰への疑問」「582.命懸けの決意」「629.自治区の号外」「744.露骨な階層化」参照
☆インターネット上で行われた世論調査……「803.行方不明事件」参照




