867.報道しない話
何とも言えない気分で食事を終え、クルィーロが香草茶を淹れる。【操水】で沸かして荷台に香気を行き渡らせると、張り詰めていた空気が少し緩んだ。
葬儀屋アゴーニが、アミトスチグマでのことを報告する。
「ゲリラやめた奴の身の振り方は、あっちのみんなもいい案が浮かばなかった。何せ、あっちも同じ元ゲリラが行ってっからな。あの大人しい方の警備員の兄ちゃんとか」
「えぇッ?」
香草茶の効果が吹き飛んだ。
クルィーロが恐る恐る確認する。
「ひょっとして、ジャーニトルさんですか?」
「そうだ。あの湖の民の警備員だ」
アゴーニは頷いて、彼が鱗蜘蛛の退治を引受けてくれたとしても、制度や会社の関係で実現は難しいだろう、と説明した。
……えっ? ちょっと待てよ? ジャーニトルさんってそう言うのがなかったら、一人で鱗蜘蛛と渡り合えるくらい、強いってコト?
クルィーロは改めて魔法戦士【急降下する鷲】学派の強さを思い、身震いした。ほんの少し【急降下する鷲】学派の初歩の術を教わっただけの元ゲリラが、警備会社から門前払いされたのも当然だろう。
アクイロー基地襲撃作戦から、ランテルナ島の拠点に戻ったジャーニトルは無傷だった。
……ネミュス解放軍には、元軍人や現役の兵隊さんがいっぱい居るんだよな?
彼らが首都クレーヴェルを完全に制圧し、レーチカの臨時政府も倒せば、次はアーテル本土に攻勢を掛けるだろう。だが、アーテル共和国は隣のラニスタ共和国だけでなく、遠く鵬大洋を越えたバルバツム連邦やバンクシア共和国など、キルクルス教国が支援している。
ウヌク・エルハイア将軍が動けば、戦争は更に泥沼化しかねなかった。
「向こうは向こうで、難民が森の化け物共に襲われてっから、警備員の兄ちゃんをすんなり手放してくれっか、わかんねぇしなぁ」
「あー……」
難民キャンプは、アミトスチグマ内陸部の森林を拓いて建材と用地を同時に手に入れている。魔物や魔獣の棲息圏を開拓するのだから、戦える人材は一人でも多い方が安心だ。
葬儀屋アゴーニもファーキルたちから、ロークがランテルナ島に行ったことを聞いていた。
「こいつぁ、あの坊主やらスパイの兄ちゃんやら、あっちのみんなで仕入れたネタだ。こっちじゃ一回もニュースになってねぇ。当分の間、黙っててくれだとよ」
そう前置きして、ジョールチにA4の紙束を渡す。
国営放送のアナウンサーが息を呑み、貪るように読む間、葬儀屋が説明した。
「冬の間に政府軍が動いて、本土の基地を三カ所潰したってよ。向こうの戦力はガタ落ちだが、世論調査じゃ、アーテルの連中、殺る気満々なのは変わんねぇ」
「基地を全て破壊したところで、バルバツムなどからミサイルを提供されれば、少なくともネーニア島には攻撃が届くだろうからな」
ソルニャーク隊長が、さらりと恐ろしいことを言う。
ザカート沖に展開していた防空艦は、たった一発のミサイルで沈められてしまった。様々な防護の術が施された水上要塞でさえ、あんなことになったのだ。普通の街……それも、半世紀の内乱から完全に復興しきれていないネモラリス共和国の都市は、ひとたまりもないだろう。
「基地全部潰してもダメなんスか?」
「双方が武器を手放す意志を持たない限り、戦争は終わらん」
少年兵モーフの泣きそうな質問にソルニャーク隊長が即答した。
「じゃあ、どうしたら、みんなが戦争やめようって思ってくれるの?」
アマナの問いに答えられる者は居なかった。
翌朝。
漁師と薬師の兄妹は、ソルニャーク隊長の返事を携え、ランテルナ島へ跳んだ。
ジョールチが、レーチカで探って欲しいことを並べる。
葬儀屋アゴーニは「できるかどうか、わかんねぇけどな」と苦笑しつつ引受け、運び屋を案内する為、ひとまずアミトスチグマに【跳躍】した。
ジョールチとレーフは、薬師たちが持ち帰ったアーテルの新聞を読み、クルィーロと父、それにソルニャーク隊長は、アゴーニが持ち帰ったアミトスチグマの新聞とインターネットの情報を読む。
他のみんなは、蔓草細工と歌詞セットの用意をして、誰も口を開かない。何か言えば、不安を掻き立てる言葉しか出て来ないような気がした。
父が、眉間に皺を刻んで紙面に目を走らせる。
クルィーロも多分、同じ顔をしているだろう。
湖南経済新聞のアミトスチグマ版では、ネモラリス共和国軍がツマーンの森から魔哮砲を回収した件と、ラクリマリス王国軍が春になる前に腥風樹の駆除を終え、アーテル共和国軍を王国領から追い出したこと、アーテル本土の基地で謎の「爆発事故」が相次いだことが載っていた。
アゴーニから聞いた通り、どれも初めて目にするニュースばかりだ。
……この「爆発事故」って、こっちの政府軍が魔哮砲でやったんだろうな。
クルィーロでも、アゴーニが持ち帰った話と元ゲリラの話、この記事で簡単に推測できるのだ。ラクリマリスとアミトスチグマの政府は、とっくに気付いているだろう。
戦争当事国のネモラリスでは、この三件のニュースを全く報道していなかった。
昼食後、新聞を読んだ五人で情報をすり合わせる。
「ここではまだ、報道できないことが多いですね」
アナウンサーのジョールチが、アーテルの星光新聞を読んで書いたメモを手に、溜め息をこぼす。DJレーフが頷いた。
「アーテル政府が、今年度の国防予算を大幅に増額して、バルバツムからミサイル買いました~とか、こっちで報道したら、ゲリラや解放軍が勢いづきそうなハナシばっかだもんなぁ」
「アーテルでは、今年の八月に任期満了に伴う国政選挙があるようです。国会議員の半数の改選と、大統領候補者の予備選をするそうです」
「じゃあ、戦争したくない派の議員が増えたら、終戦に向けて動いてくれるかもしれないんですね?」
クルィーロが期待を籠めて聞くと、ジョールチは唇の端に淋しげな笑みを浮かべた。
ソルニャーク隊長が、A4の紙束を寄越して言う。
「インターネットの世論調査だ。検閲があり、国民の本心を反映しているワケではないのだろうが……あまり期待はできんな」
グラフは「ネモラリス討つべし」が大勢を占めていた。
期待を萎ませたクルィーロに父が慰めめいた言葉を掛ける。
「もし、戦争反対の世論を形成させたいなら、地域の平和や、キルクルス教の教義を引き合いに出して、ネモラリスの力なき民の人権を云々するより、経済的な損失について突き回した方が、効果があるだろうな」
「何で?」
「おカネを理由にすれば、実際に困ってる人が賛成しやすいし、星の標も反発し難いんじゃないか?」
「あ、そっか。パン買えなくなった人が下町で暴動起こしたとか、インターネットのニュースでやってたもんな」
クルィーロは父に納得してみせたが、内心複雑だった。
……インターネットの検閲があるくらいだし、言論統制もあるんだろうな。
平和を望む候補者が、公約に「終戦」を入れて無事でいられるのか。
甚だ疑問だが、ネモラリス人の庶民であるクルィーロたちが、平和の為にできることは、ほんの僅かしかなかった。
☆アクイロー基地襲撃作戦……「459.基地襲撃開始」~「465.管制室の戦い」参照
☆ランテルナ島の拠点に戻ったジャーニトル……「466.ゲリラの帰還」「467.死地へ赴く者」参照
☆ミサイルを提供されれば、少なくともネーニア島には攻撃が届く……「455.正規軍の動き」参照
※ 科学文明国のアーテル共和国は、湖の魔物を防ぐ手段がない為、船舶も水軍も保有していない……「339.戦争遂行目的」「393.新たな任務へ」参照
※ ラクリマリス王国が腥風樹の駆除完了を宣言。王国領に侵入していたアーテル陸軍を追い出し、北ヴィエートフィ大橋を封鎖したので陸軍もネモラリス領に行けない……「862.今冬の出来事」参照
アーテル軍は、基地を全て破壊されれば、ネモラリスへの攻撃手段がミサイルくらいしかなくなる。
☆ザカート沖に展開していた防空艦は、たった一発のミサイルで沈められてしまった……「274.失われた兵器」「279.悲しい誓いに」「289.情報の共有化」「395.魔獣側の事情」「455.正規軍の動き」参照
☆アーテルでは、今年の八月に任期満了に伴う国政選挙がある……「291.歌を広める者」参照
☆インターネットの世論調査……「803.行方不明事件」参照
☆パン買えなくなった人たちが、下町で暴動起こした……「440.経済的な攻撃」「448.サイトの構築」「588.掌で踊る手駒」参照




