864.隠された勝利
春になって久し振りに、葬儀屋アゴーニがアミトスチグマにやってきた。
マリャーナの邸宅でお茶を飲みながら、冬の間に仕入れたネミュス解放軍やネモラリス島での星の標の動きについて語る。
「まぁ、どっちも完全に悪モンってワケじゃねぇのが余計に性質悪ぃんだよな」
アゴーニは苦い言葉で報告を締めくくった。
現地のきめ細かい生の情報は貴重だ。
ネモラリス共和国にはインターネットの設備がないので、外国から収集できる情報は極限られている。
国営放送アナウンサーのジョールチ、星の道義勇軍のソルニャーク隊長、会社員のパドールリク。視点の異なる三人がまとめた報告書は、互いに情報を補い、わかりやすかった。
アサコール党首が、マリャーナ宅の使用人を呼んでコピーを頼む。
薬師アウェッラーナが兄のアビエースと再会でき、レノ店長たちの母がトポリに居るらしいとの情報など、いい話もあったが、全体としては暗い出来事が多い。
「それにしても、鱗蜘蛛ねぇ」
運び屋フィアールカが溜め息を吐く。
ファーキルはネットの図鑑を見た。
……げっ! こんなモノが村の近くに?
既に羊や牛が襲われたと言うのが恐怖に拍車を掛ける。
<鱗蜘蛛>
蜘蛛に似た肉食の魔獣。
巣を作る赤い蜘蛛と、巣を作らず、跳躍力が高い灰色の蜘蛛が居る。
大きく膨らんだ腹部は、金属光沢のある鱗で守られる。脚先に鋭い鉤爪がある。
この世の冬期は、幽界の鱗蜘蛛が棲息する層と繋がりやすく、被害が発生しやすい。出現初期は、本体が牛程度、脚を含めると乗用車程度の大きさだが、この世の生き物を喰らえば喰らう程、際限なく大きくなる。
金属の鱗に覆われた胴部は、至近距離から戦車砲で撃たれても無傷であることから、物理的な防護だけでなく、魔力による防禦も強固であることが推測される。
この鱗と糸は、魔法の道具や呪符の素材として利用できる。
素材を回収する場合は、頭部を潰すのが一般的だが、頭部も硬く、口腔内を【光の槍】など貫通性の高い術で攻撃することが推奨される。
胸部が赤いモノは樹間や建物の隙間などに筒状の巣を掛け、巣を中心に縄張りを形成する。
灰色のモノは跳躍力が高く、跳ねて移動して行動範囲が広い。
毒を持つ個体と持たないモノが確認され、毒の成分や強さが個体毎に異なることから、食物から毒を獲得している可能性がある。
「巣を作る赤い奴ならそこを中心に活動するし、何か食ったら巣に帰るから、まだやりやすいが、今回のはあちこち跳ね回る灰色の奴らしいからなぁ」
「それって、村の人だけじゃなくて、街も危ないんじゃないんですか?」
「あぁ、だから、俺らも外で野宿すんのやめて、街の公園にトラック停めさせてもらってんだ」
ファーキルは少し安心したが、それでは都市周辺の村へ情報収集に行けない。隣の都市へ移動する途中で鉢合わせしたら、荷台のみんなはともかく、運転席のメドヴェージは助からないだろう。
「昨日の夕方から、役所と警察が、なるべく防壁の外へ出んなって自粛要請してるから、今朝は業務用車両しか出入りしてなかった」
「農家の皆様が、出荷や畑仕事ができなくて困るでしょうに」
ニンジンのような赤毛のモルコーヴ議員が気の毒がる。
運び屋フィアールカが頷き、半ば呆れて聞いた。
「そうよね。でも、ホントに軍の守備隊や駆除隊が動かないの?」
「あぁ、人手不足で断られたらしい。民間の業者は……まぁ、カネがなさそうな村だから、人手不足を口実にされたんだろうよ」
「人手不足? でも、正規軍がアーテル本土に攻撃しない理由って、国民を魔獣とかから守る為でしたよね? 何で動いてくれないんですか? ジャーニトルさんが、正規軍の本土攻撃は始まったけど、大軍を派遣した様子はないって……」
「本土攻撃? いつの間に? こっちじゃ新聞もラジオも一言も言ってねぇぞ? 負けて人手がどんどん減ってんのか? 戦力の逐次投入は一番やちゃなんねぇってなぁ戦術の基本中の基本じゃねぇか」
ファーキルの話に葬儀屋が割り込み、早口で捲し立てた。
アサコール党首と運び屋フィアールカが驚く。
「ネモラリスで報道されてないんですか?」
「どう言うコト? 私たちの調べだと冬の間にアーテル本土の基地が三カ所、破壊されてるんだけど?」
ファーキルはフィアールカの声を聞きながら、端末に写真を表示させた。ラゾールニクが望遠で撮った基地だ。
アゴーニの緑の瞳が、瞬きもせず建物の残骸を見詰める。
半開きの口から、魂が抜けたような声が漏れた。
「これが……基地だったって?」
「はい。これはイグニカーンス、こっちはテールム、これがベラーンス……全部空軍基地か、無人機を置いてた陸軍基地です」
ファーキルは、破壊された基地の写真を次々表示させ、地図に切り替えた。
「今、残ってるのは、フリグス基地とランテルナ島の中部と北部の三箇所だけですね」
「冬の間だけで、一気にこんな……」
アゴーニが頭を掻いて端末を睨んだ。
……そうだよな。こんな短期間で殆ど片付くんなら、街が丸ごと焼かれてあんな大勢が殺されずに済んだし、何もかもなくして難民になる人が何十万人も出なくて済んだし、オリョールさんたちだって、ゲリラにならなかったかもしれないのに。
戦局は動いたが、停戦への期待よりも「何故、今更」との理不尽さの方が強い。
ネモラリス共和国にとっては大きな勝利だ。
国内外で大きく報道し、他国に働き掛けて和平交渉の糸口を掴む材料にできる有力な材料である筈なのに、一切報道していない。
航空戦力の大部分を奪われたアーテル共和国側や、同盟国のラニスタ共和国が、国民の動揺を抑える為、基地の破壊を隠すのなら、まだわかる。
現にアーテルでは、基地の爆発画像が次々と削除された。
そんなことで隠し果せるとは思えないが、アーテル軍は躍起になって隠蔽と偽ニュースの流布に勤しんでいる。
ネモラリス軍が基地だけを的確に破壊し、アーテルの民間人には一人も犠牲者を出さなかったからこそ、できるのだ。
ネモラリス側は、アーテル軍が行った都市や集落への無差別爆撃のような人道に悖る攻撃は行っていない。国際社会の中で、アーテルの無差別大量虐殺をネタに味方を増やし、和平交渉を有利に進められる筈だ。
……魔哮砲の件がなければ、だけど。
ラクリマリス軍が、腥風樹の駆除完了宣言を出し、アーテル陸軍をモースト市周辺から追い出した。今は北ヴィエートフィ大橋の修理が終わり、ネーニア島側の扉は固く閉ざされている。
残りの基地を全て破壊されれば、アーテル軍のネモラリス領への攻撃手段は、ミサイルだけになる。
基地の復旧にどれだけの時間と費用を要するのか。
国民感情がそれを許すのか。
復旧工事中に襲撃されない保証はなく、既にネモラリス憂撃隊の復讐派は、混乱に乗じて武器の略奪などを行っていた。
ファーキルは、葬儀屋アゴーニを励まそうと口を開いた。
「えぇっと、アーテル軍の基地が全部壊されたら、当分の間、休戦になるんじゃないかなって思うんですけど……」
「まぁ、そうかもしれんが、そうやって油断させて、人が戻って復旧や復興が進んだ頃合いを見計らって、ミサイル撃ち込んでやろうってハラかも知れんぞ?」
「あッ! あ……あぁ……」
ファーキルが俯くと、アゴーニは申し訳なさそうに何か言い掛けたが、上手い言葉がみつからないのか、宙を睨んで黙り込む。
アクイロー基地襲撃作戦の後、空襲はしばらく鳴りを潜めたが、人々がガルデーニヤ市に戻り、少し復興が進んだ頃に大規模攻撃を掛けられ、周辺の村諸共、焼き払われた。
単なる「休戦状態」では、いつ空襲が再開されるかわからず、国外へ逃れた人々は、怖くて帰還できないだろう。
モルコーヴ議員が香草茶を沸かし直した。
「今日は、スニェーグさんが来て下さって、ラクエウス先生にリャビーナ市の近況を報告しています」
「彼は他の同志と共にネモラリス島北部とクレーヴェル、レーチカの情報を集めてくれているんですよ」
アサコール党首が言い添えると、葬儀屋の顔が僅かに明るくなった。
「じゃあ、何で敵軍基地を潰したのを内緒にしてんのか、何で軍が魔獣退治に動かねぇのか、わかるかもしんねぇんだな?」
「情報次第ですが」
「まぁ、そいつがわかったところで、鱗蜘蛛が片付くワケじゃねぇけどよ」
アゴーニの溜め息が、香草茶の香気を吹き散らした。
☆正規軍がアーテル本土に攻撃しない理由って、国民を魔獣とかから守る為
湖上封鎖で水軍は派遣不可……「103.連合軍の侵略」「144.非番の一兵卒」「216.説得を重ねる」参照
議会が本土への派兵を制止……「234.老議員の休日」「635.糸口さえなく」参照
正規軍による駆除の流れ例……発見「185.立塞がるモノ」→要請「200.魔獣の支配域」「220.追憶の琴の音」→部隊の派遣「221.新しい討伐隊」「227.魔獣の討伐隊」参照
軍の人手不足は嘘ではない……「284.現況確認の日」参照
ゲリラが軍に合流しない訳……「279.悲しい誓いに」「357.警備員の説得」「358.元はひとつの」参照
☆アクイロー基地襲撃作戦……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆人々がガルデーニヤ市に戻り、少し復興が進んだ
初期は周辺からの避難者が多かった……「199.嘘と本当の話」「204.難民キャンプ」「205.行く先は何処」「215.外部に伝える」参照
その後も散発するアーテル軍の空襲……「289.情報の共有化」参照
ガルデーニヤ市の復興と荒廃の様子……「304.都市部の荒廃」「737.キャンプの噂」参照
☆大規模攻撃を掛けられ、周辺の村諸共、焼き払われた……「757.防空網の突破」~「759.外からの報道」「766.熱狂する民衆」「767.急増する難民」参照
☆彼は他の同志と共にネモラリス島北部とクレーヴェル、レーチカの情報を集めてくれている……「772.ネモラリス島」「773.活動の合言葉」参照




