859.自治区民の話
諜報員ラゾールニクとファーキル少年、ラクエウス議員と呪医セプテントリオーが、別室に移動する。
針子のアミエーラと後輩のサロートカは、緊張の面持ちで待っていた。作業机から生地や裁縫道具が片付けられ、革表紙の分厚い聖典が鎮座する。
二人の挨拶を片手で制し、ラゾールニクが手短に注意を与えた。
「昨日言ったこと、確認しとこう。自分の名前も、他の誰かの名前も、絶対言わないこと。名前を出さなくても、個人を特定できることは言わないこと。例えば、詳しい住所とか職業とかだね」
「はい。言っていいのは、自治区民と言うことだけですよね」
針子のアミエーラが言うと、ラゾールニクは満足げに頷いた。
ラクエウス議員が彼女の向かいに腰を降ろす。
ファーキルが三脚を立て、タブレット端末の角度を調整した。画面には、聖典と二人の手許だけが映る。彼女らの背後は窓で、念の為、カーテンは無地に掛け替えてあった。窓は閉められ、そよとも動かない。
「ここはアミトスチグマだけど、今だけ、リストヴァー自治区に居るつもりで頼むよ」
二人がラゾールニクに頷くと、ファーキル少年も注意を与えた。
「後で声をいじって誰だかわからないようにします。どっちかが喋ってる時は、喋らないようにお願いします。声が重なってると処理がちょっと面倒なんで」
「うん。あ、あの、それでね。昨日、あれから二人で話し合ったんだけど、やっぱり、映像はナシにしてもらえないかなって……」
アミエーラが遠慮がちに言うと、後輩の針子サロートカが、ファーキル少年とラゾールニクを窺った。
「はい。俺はいいですよ。映像は写真とテキストでどうにかします」
「まぁ、心配だもんな」
ファーキル少年は気軽に応じ、諜報員ラゾールニクは、アテが外れて僅かに眉を動かしたが、説得はしなかった。
昨日、何時間も話し合って、やっと了承を取りつけたのだ。
呪医セプテントリオーはコート掛けに白衣を掛け、用意された上着を羽織って扉を背に立った。裾と襟、袖には、色とりどりの糸で呪文の刺繍が施されている。魔法文明圏ではありふれた上着だ。
ファーキルが二台の調整を終え、機能を録画から録音に切替える。
ラゾールニクが片手を振って合図すると、アミエーラが話し始めた。
「ホントに匿名なんですよね? 声も、誰だかわからないように変えて下さるんですよね?」
ラゾールニクとファーキル少年が無言で頷いた。
アミエーラがホッとして語る。
「じゃあ、お話します。私の祖母は、魔女です」
聞く者の反応を待つ沈黙を挟み、ゆっくり語る。
「もう亡くなりましたけど、存命中は魔法で水を浄化して飲ませてくれました。自治区の下町にある井戸は、塩気や銅山の鉱毒、雑菌とかで汚染されてて、そのまま飲むと病気になっちゃうから。でも、私たちのリストヴァー自治区では、キレイな飲み水がとても高くて、買えない人が多いんです」
「ウチは、両親と歳の離れた兄が工場で働いてたから、水代には困りませんでした。でも、兄が仕事中、事故に遭って……」
サロートカの声が震えて途切れる。
一呼吸待ってアミエーラがやさしく声を掛けた。
「お気の毒に。お兄さんの魂に平安を」
「一応、助かったんです。怪我は治してもらえて……」
「どう言うこと?」
アミエーラが首を傾げる。
「勤め先の工場は、ゼルノー市の市民病院と提携してて、救急車で運んでもらえて、治してもらえたんです。呪医の治療を受けられて、次の日には、怪我なんてなかったみたいに元気になって、ウチに帰って来たんです」
「えっ? それで、どうして?」
サロートカがひとつ、ゆっくり深呼吸して答える。
「家に帰って来てすぐ、星の標の人たちが来て、悪しき業に頼ったからって、連れてかれて……こッ、ころ……殺さ……」
震える声が、嗚咽に変わった。
手の甲で涙を拭いながら、記録の為に言葉を絞り出す。
「何で……何で兄さん……兄さんが魔法、使ったんじゃないのに、何で……役所と、病院と、会社と……ちゃんと約束して、司祭様も、いいって、おっしゃってたのに……何でッ?」
……星の標さえ居なければ。
以前も聞いたが、改めて聞いても、その暴力の理不尽さに呪医セプテントリオーは心が震えた。
患者自身、彼の家族、職場、行政、そして、聖職者――誰もが呪医による救命を望み、【青き片翼】学派を修めたセプテントリオーは、その期待に応えた。
……信仰とは、人を救うものではなかったのか。
アミエーラが後輩の肩を抱き、辛かったね、と声を掛けてラゾールニクを見る。
力ある民の諜報員は、口の形だけで「続けて」と指示した。一瞬、アミエーラの視線が険しくなったが、ひとつ息を吐いて表情を改め、口を開く。
「私の祖母は、内乱の少し前にネモラリス島で結婚しました。祖父はキルクルス教徒、祖母はフラクシヌス教徒でした。でも、特に改宗せずにキルクルス教の教会で、みんなから祝福されて、結婚式を挙げたそうです」
聞く者の反応を待つ沈黙にサロートカの嗚咽が重なる。
「内乱が始まってからは、両方から辛く当たられて、何度も引越しを繰り返したそうです」
針子のアミエーラが話す間も、後輩のサロートカは声を殺して泣き、時折しゃくりあげる。
「誰に何と言われても、二人の信仰は変わりませんでしたし、離婚もしませんでした。内乱中、子供たちは亡くなって、遅くに生まれた母一人だけが、生き残りました」
ラクエウス議員が内乱後、姉のクフシーンカ店長から聞いた話だ。
昨夜、店長の親友カリンドゥラの妹フリザンテーマの孫娘であるアミエーラに、数十年の時を経て伝えられた。
クフシーンカ店長とアミエーラの祖母の姉カリンドゥラは、内乱中も可能な限り手紙の遣り取りを続けた。
内乱後、リストヴァー自治区に移住してからは、アミエーラの祖母フリザンテーマは、クフシーンカ店長と密かに会って話すことがあったと言う。
「半世紀の内乱が終わって、祖父母と母はリストヴァー自治区に引越しました。母は力なき民でしたし、今更離れ離れになるよりはって、祖母が魔力と信仰を隠して、一緒に暮らすことを選びました。それで、母は自治区で父と出会って結婚しました」
サロートカがどうにか泣き止んで顔を上げる。
「何度も流産して、私が生まれる頃には祖父が亡くなって、祖母も私が小さい頃に亡くなりました。その後で生まれた弟と妹は、物心つく前に亡くなって、母も病気で亡くなりました。キレイな水が手に入り難くなったから」
呪医セプテントリオーが秘かに招かれて立入った時、夕暮れの車窓から垣間見た大火の焼け跡では、再整備が進んでいた。
アミエーラが生まれ育った頃にはどんな状態だったのか、その痕跡はなく、想像もつかない。
「それからずっと、父と二人きりで助け合って暮らしてました。でも、去年の大火で父も亡くなりました。避難する途中ではぐれて、私はどうにかシーニー緑地まで行けたんですけど、いくら待っても父は来なくて……」
当時の傷を掘り起こしたアミエーラの声も途切れた。
サロートカが、俯いて両手で顔を覆った先輩に代わって話す。
「ウチも、私一人生き残って、家族は遺体もみつかりませんでした。う……噂で聞いたんですけど、星の標の人が、火を点けたって……」
少女の声は再び涙に震えたが、何度も深呼吸して気を鎮め、証言を続ける。
「お金持ちの人が、バラック街に魔法使いが紛れ込んでるって、星の標の人をけしかけたって聞きました。今だったら、ゼルノー市の人が星の道義勇軍の人に仕返しに来たって、罪をなすりつけられるから、バレないって唆して」
サロートカは、仕立屋のクフシーンカ店長が、自治区の有力者会合などで当の首謀者たちから聞いた作戦を巷の噂話として語る。
「自治区ができた当時は、あっという間にバラックが建っちゃったけど、都市計画をちゃんとやり直したいから、邪魔なバラックを焼いて、人も多過ぎるから減らしたんだって……それで、あの大火事の後、大聖堂とか世界中の信者の人から寄付をもらって、街をキレイに作り変えたって……」
針子の少女の口からポツポツ語られる恐ろしい計画が、全て事実であると、この音声を耳にする人の何割が信じてくれるだろう。
「街はキレイになったけど、お父さんもお母さんも、友達も、先生も、近所のみんなも、みんな……みんな居なくなって……前のままでいいから、汚いとこでいいから……みんな……みんな、居て欲しかっ……みんなを返してよ!」
涙混じりの声が叫びに変わり、後は嗚咽で言葉にならなかった。
呪医セプテントリオーがクブルム山中の道で癒した人々は、新しい傷が少なく、大半が大火による火傷で手や足が拘縮した者だった。大火の後遺症から解放できた者は、生き残りのほんの一握りだろう。
セプテントリオーには、彼らが星の標に気付かれることなく、無事で居られるよう、祈ることしかできない。
……どの神に?
同じキルクルス教徒である彼らの縁を遠ざける祈りは、湖の女神パニセア・ユニ・フローラに届くだろうか。
針子の二人が話せなくなり、端末は一分近く泣き声を記録して、「リストヴァー自治区の住人による証言」は終わった。
☆工場がゼルノー市の市民病院と提携……「369.歴史の教え方」「529.引継ぎがない」「551.癒しを望む者」「552.古新聞を乞う」参照
☆以前も聞いた……「557.仕立屋の客人」「558.自治区での朝」参照
☆内乱中も可能な限り手紙の遣り取り……「555.壊れない友情」参照
☆呪医セプテントリオーが秘かに招かれて立入った時……「556.治療を終えて」参照
☆アミエーラが生まれ育った頃にはどんな状態……「013.星の道義勇軍」「019.壁越しの対話」「026.三十年の不満」「027.みのりの計画」「031.自治区民の朝」「046.人心が荒れる」「051.蔓草の植木鉢」「053.初めてのこと」「276.区画整理事業」「351.手作りの夏服」「374.四人のお針子」「480.最終日の豪雨」参照
☆去年の大火で父も亡くなりました……「054.自治区の災厄」「055.山積みの号外」参照
☆お金持ちの人が、バラック街に魔法使いが紛れ込んでるって、星の標の人をけしかけた……「559.自治区の秘密」「752.世俗との距離」参照
☆クフシーンカ店長が、自治区の有力者会合などで当の首謀者たちから聞いた作戦……「156.復興の青写真」「213.老婦人の誤算」参照




