857.国を跨ぐ作戦
魔法の道具屋「郭公の巣」を訪れた客は、一見が二組と大量発注の常連が一人だけで、午後も概ね作業に集中できた。
コツを掴んだ薬師アウェッラーナは、午前よりも作業が捗り、二時間程で大型の広口瓶三本分の染料を抽出できた。貝殻の残りは僅かで、廃液の壺もあと少しで満タンだ。
「ありがとね。助かったわ。重いから気を付けて」
郭公の巣の店主クロエーニィエが、満面の笑みで老漁師アビエースに麻紐で束ねた古新聞を渡す。湖の民の兄妹は何度も礼を言い、魔法の道具屋を後にした。
地下街チェルノクニージニクの煉瓦敷きの通路を歩きながら、兄が独り言のように呟く。
「人は見かけによらないとは、よく言ったモンだなぁ」
「そうねぇ。兄さん、あの子どう思った?」
「ん? ラーナの知り合いじゃない方の子か?」
「そう。何かのきっかけで魔力があるってわかったから、この島に逃げてきたんじゃないかって思ったんだけど……」
アウェッラーナが傍に寄って囁くと、兄はコクリと頷いて、古新聞の塊を抱え直した。
「俺もそう思ったよ。星の標にバレたら殺されるから、名前聞いただけで震えあがったんだろうな。可哀想に」
そうでもなければ、キルクルス教を国教と定めるアーテル共和国では、別格のエリート層に属する聖職者への道を棒に振ってまで、魔法使いの自治区であるランテルナ島に家出してくるなど、考えられない。
竜胆が彫刻された看板の掛かる扉を開くと、カウンター席の客が振り向いた。
店番のスキーヌムが慣れた調子で「いらっしゃいませ」と声を掛け、二人を見て微妙な顔になる。
「よぉ、薬師さん。久し振り。何? 今日、買物?」
「え、えぇ。お久し振りです。……頼んでたもの、用意できてます?」
どうにか動揺を抑えて聞くと、スキーヌムは奥に引っ込んだ。
店主とロークが一緒に出てきて、呪符をカウンターに並べる。
先客のラゾールニクが、ティーカップを置いて苦笑した。
「えっ? 薬師さんがコレ使うの? 随分物々しいけど、捕り物でもすんの?」
「いえ、今居る街の近くに鱗蜘蛛が出て、少しでも、逃げる時間を稼げたらいいなって思って」
呪符屋の店主が確認する。
「姐ちゃん、【紫電の網】と【刃の網】は刃物が要るんだが、包丁以外で手頃なの持ってんのか?」
「クロエーニィエ店長にいただいた剣があります」
「そうか。じゃあ大丈夫だな。なるべく鉢合わせしないに越したこたぁねぇんだが……」
呪符屋の店主は、五種類の呪符と、それぞれの効力を発動させる呪文のメモを用意してくれた。
一時的に防壁を建てる【真水の壁】、捕縛を振り解こうとすると、魔力の縄が締めあげる【光縄】、電流の網で捕えて感電させる【紫電の網】、金属の網で捕え、中で動けば切り刻まれる【刃の網】がそれぞれ三枚ずつと、念の為に【光の槍】が一枚だ。
交換品として、傷薬をプラケース十個分と咳止めを薬包紙十包、狭心症の薬を三包渡す。
「よし、じゃあ取引成立だ。積もる話もあるだろうし、ゆっくりしてってくれていいぞ」
呪符屋の店主はひらひら手を振って奥に引っ込んだ。
「ありがとうございます」
兄が後ろ姿に頭を下げ、空席に古新聞の塊を置く。
アウェッラーナは、ラゾールニクとの間をひとつ空けてカウンター席に座った。兄が隣に座り、目顔で問う。
「この人、例の活動に参加してるラゾールニクさん。情報収集とかしてるの。ラゾールニクさん、兄のアビエースです」
「身内に再会できたのか。おめでとう」
無邪気に喜ぶ諜報員ラゾールニクにつられて、湖の民の兄妹も自然に笑みがこぼれる。
金髪の若者は、笑顔のまま聞いた。
「ソルニャークさんたちって、まだ一緒に居る?」
「えっ? えぇ、まぁ」
「キルクルス教の本来の信仰に詳しい人に用があるんだ」
カウンター内でロークと神学生の少年スキーヌムが顔を強張らせた。
「俺の調べでは、星の道義勇軍は、星の標から異端扱いされて、攻撃はされてないみたいだけど、下に見られてるらしいんだ。でも、キルクルス教本来の信仰を維持してるのは、作戦で呪符とか使ってた星の道義勇軍の方なんだよ」
「えぇッ?」
湖の民の兄妹と少年たちが、同時に声を上げた。
驚きの内容が違うような気がしたが、アウェッラーナは構わず聞く。
「隊長さんに会って、どうするんですか?」
「証言して欲しいんだよ。正しいキルクルス教の姿がどんなものか。取敢えず、ラクエウス議員とアミエーラさんは引受けてくれたよ。録音……もし、よかったら録画させてもらって、ネットやラジオで流したいんだけど」
「それって危ないんじゃありませんか? アミエーラさんと議員の先生はアミトスチグマに居るから大丈夫でしょうけど、隊長さんは、星の標に」
「あ、その辺の対策はちゃんとするよ。音声をいじって声を変えるし、動画も顔は映さない」
ラゾールニクに遮られ、アウェッラーナは黙ってカウンター内の二人を見た。
ロークはラゾールニクの話に真剣に耳を傾け、神学生のスキーヌムは何か考え込んでいるようだ。顔はこちらを向いているが、目は三人の魔法使いの誰も映していないように見えた。
ラゾールニクも横目で少年たちを見て、アウェッラーナに視線を戻す。
「大本のアイデアは、ファーキル君なんだ。ホントにあの子、童顔の長命人種じゃなくて、力なき民の中学生なのかな?」
アウェッラーナは曖昧に笑い返した。
スキーヌムの目が、ラゾールニクに焦点を結んだ。
諜報員は気付かず続ける。
「で、ここからが俺が今、思いついたことなんだけど、ソルニャークさんにはリストヴァー自治区で証言してもらおうと思うんだけど、伝えてくれるかな?」
「あの、それこそ危ないって言うか、どうやって入るんですか?」
「セプテントリオー呪医が、ラクエウス議員のお姉さんちを知ってるから、【跳躍】してもらうんだ。先に呪医一人で行ってもらって、お姉さんがいいって言ってくれたら、一旦戻ってソルニャークさんを連れて行く。勿論、断られたら、無理強いはしないよ」
ラゾールニクの話はあまりにも突飛で、どこにポイントを置いて驚けばいいかわからない。
疑問が口を突いて出た。
「呪医がどうして自治区に知り合い……自治区! ……自治区の中に知ってる場所があるんですか? 議員のお姉さんって信用できる人なんですか? あっ! キルクルス教徒……常命人種ですよね? いつ頃の知り合いって言うか、まだ、御存命なんですか? あの火事で無事だったんですか?」
考えがまとまらないまま並べた疑問を最後まで聞いて、諜報員ラゾールニクは丁寧に答えた。
「呪医も君たちの後でオリョールさんたちと別れて、色々あったみたいだよ。自治区の近く……クブルム山脈の街道を移動してる時に自治区民に会って、怪我人を治して、ラクエウス議員のお姉さんちに泊めてもらったんだってさ」
「えぇッ?」
呪医セプテントリオーを知る二人の声が裏返る。
……色々って、何がどうなればそんなコトに? 呪医、よく無事に自治区を出られたわね。あっ……あれっ? 自治区の人が呪医の治療を受けたの?
新たな疑問は次々涌くが、話が進まなくなるので黙って続きを促す。
「その時にアミエーラさんの後輩の子を頼まれて、その子と二人でラクリマリス領を旅して、今は二人ともアミトスチグマに居るよ。議員のお姉さんは確かに高齢の常命人種だけど、知り合ったの去年の秋頃だし、多分、今も元気なんじゃないかな?」
湖の民の呪医が、自治区からキルクルス教徒を連れ出して、ほぼ魔法文明国のラクリマリス領を旅して、ラキュス湖を渡って魔法文明国寄りの両輪の国アミトスチグマまで連れて行った。
何故、そんなことをしたのか、アウェッラーナには同族の呪医の考えが全く想像もつかない。
ラゾールニクは以前と同じ軽い調子で言う。
「言い忘れてたけど、後輩ちゃんも証言を引受けてくれたよ」
「その……自治区民は何故、アミトスチグマに行ったんですか? 貧しさに耐えかねたんですか? でも、ニュースでは、大聖堂やバルバツムの支援で以前とは比べ物にならないくらい暮らしやすくなったと言っていましたが、あれは嘘だったのですか?」
神学生の少年がカウンターに両手をついて前のめりに捲し立てた。
ラゾールニクは、ニヤリと笑って神学生のスキーヌムに向き直る。
「そのコは力なき民なんだけど、リストヴァー自治区で幅を利かせてる星の標と、貧しい人が多い地区を担当する司祭の教えの違いに、ずっと疑問を抱いてたんだってさ」
「それで、何故? 星の標に懐疑的な目を向けていることに気付かれて、身の危険を感じたからですか?」
神学生の少年は、頭の回転が速いのか、聖職者としての修行で動揺しない訓練を積んだからなのか、理路整然と質問を繰り出す。
「俺には細かいことはわかんないけど、多分、違うんじゃないかな。仕立屋の店長さん……ラクエウス議員のお姉さんに星道の職人用の聖典を見せてもらって、決心したって言ってたから」
「聖典の深いところを読んで、何故、自治区を出て行く……それも、魔法使いと二人で旅をするなんて……」
神学生スキーヌムの声がもどかしそうに乱れた。
……あ、動揺するとこ、そこなんだ。
アウェッラーナは、何となく安心して兄を見た。全く話について行けないのか、無言で首を横に振り、目を瞑る。アウェッラーナは「後でちゃんと説明するから」と囁いてラゾールニクに向き直った。
「キルクルス教の教義そのものに矛盾を感じたらしいよ。それは、仕立屋の店長さんも同じみたいだから、店長さんにも証言を頼もうと思ってるんだ」
「その証言は、顔を映さなくて声も変えて、匿名なんですよね? 匿名の証言では信頼性が下がりますが、わざわざ自治区に行って聞きとる意味があるのですか? どなたか、陸の民の協力者に頼んで、アミトスチグマで収録した方が安全なのではありませんか?」
ラゾールニクは露草色の目を見開き、にっこり笑った。
「心配してくれるんだ? やっさしいなぁ」
「誰かが星の標に殺されるの、もうイヤなんです」
スキーヌムがカウンターの上で拳を握る。
「俺たちが言いたいのも、そこなんだよ。星の標の主張をおかしいと思ってるけど、怖くて実名では言えませんって、ホンモノのキルクルス教徒の人たち……それも、なるべく色んな立場の人たちが、世界中に向けて言うことに意味があるんだ」
神学生の少年は、諜報員ラゾールニクの言葉に微かに顎を引き、磨きこまれたカウンターを見詰めて動かなくなった。
冷めきったお茶を飲み干し、ラゾールニクが立つ。
「ちょっと長居し過ぎちゃったかな。買う物買ったし、もう行くよ。ソルニャークさんの返事、急がないけど月末にフィアールカさんがここに来るから、伝言、頼んだよ」
諜報員の青年は返事も待たず、膨らんだ鞄を掴んで出て行った。
「あ、あの、私たちもそろそろ、門が閉まっちゃうので……また来ます」
「お邪魔しました」
アウェッラーナが兄と同時に椅子から降りると、ロークが我に返った。
「は、はい。今日は久し振りに会えて嬉しかったです。みんなにお元気でって」
「はい。伝えます。また来ますから、ロークさんもお元気で」
別れを惜しんで握手を交わし、急いでヤーブラカ市に戻った。
☆クロエーニィエ店長にいただいた剣……「443.正答なき問い」参照
※呪符にある術の使用例。殺る気満々のラインナップ。
【真水の壁】【光縄】……「487.森の作戦会議」「608.四眼狼の始末」「706.研究所の攻防」参照
【紫電の網】……「800.第二の隠れ家」参照
【刃の網】……「飛翔する燕」(https://ncode.syosetu.com/n7641cz/)の「87.三頭目の獣」
【光の槍】……「301.橋の上の一日」「309.生贄と無人機」「614.市街戦の開始」「706.研究所の攻防」「707.奪われたもの」、民家が吹き飛ぶ威力「652.動画に接する」、爆撃機を撃墜「758.最前線の攻防」参照
呪符での【光の槍】使用例……「479.千年茸の価値」「608.四眼狼の始末」「662.首都の被害は」参照
☆例の活動……「829.二人の行く道」参照
☆星の道義勇軍は、星の標から異端扱いされ/作戦で呪符とか使ってた星の道義勇軍……「161.議員と外交官」参照
☆セプテントリオー呪医が、ラクエウス議員のお姉さんちを知ってる/クブルム山脈の街道を移動してる時に自治区民に会って、怪我人を治して、ラクエウス議員のお姉さんちに泊めてもらった……「550.山道の出会い」~「562.遠回りな連絡」参照
☆呪医も君たちの後でオリョールさんたちと別れ……「526.この程度の絆」参照
☆アミエーラさんの後輩の子を頼まれ……「582.命懸けの決意」参照
☆その子と二人でラクリマリス領を旅……「583.二人の旅立ち」~「585.峠道の訪問者」「604.失われた神話」「605.祈りのことば」「631.刺さった小骨」~「633.生き残りたち」「676.旅人と観光客」~「683.王都の大神殿」参照
☆今は二人ともアミトスチグマに居る……「701.異国の暮らし」参照
☆大聖堂やバルバツムの支援で以前とは比べ物にならないくらい暮らしやすくなった……「276.区画整理事業」「278.支援者の家へ」「528.復旧した理由」「625.自治区の内情」参照




