853.戻ったゲリラ
ヤーブラカ市内は公園が多く、他の都市のように仮設住宅が校庭まで埋め尽くしてはいない。職にあぶれた国内避難民が、集会所で呪符を作る仮設住宅は他に幾つもあった。
「あの自治会長さんの伝手で素材が手に入り易いからでしょうね」
「あぁ、成程。それと」
レノは辺りを窺って声を潜めた。
大通りに面した店は全て営業中で、のんびり歩く買物客らで賑う。
井戸端会議のおばさんたちが豪快に笑い、平和そのものに見えた。
「魔法に関係ない手芸とかしてるとこは、あの言葉、聞いたことある人が多かったですね」
「そうですね。危険性を考慮して、呪符作りをしていない所では、例の件を説明しませんでしたが……」
代わりに、ヤーブラカ市近辺に魔獣が出没する件を知っているかどうか、質問する。仮設の住民は防壁の外へ出ることがないのか、誰も知らず、驚きと恐怖を向けられ、レノは居たたまれなかった。
「大丈夫ですよね?」
「どうでしょうね。ここはネミュス解放軍の支部など、強力な抑えがありませんから」
レノはギョッとしてジョールチを見た。眼鏡の奥の瞳はいつも通り穏やかだ。
「彼らの思想や活動には到底、同意できませんが、互いに牽制してくれるなら、利用しない手はありませんよ」
「ペルシークの人たちは、何か、いい人そうでしたよね。警察に協力してたし」
「過激な主張をする人たちの全てが凶悪な人物と言うワケではありません。寧ろ、国難を憂いて起ち上がったのは、誠実で善良な人たちが大半だと思いますよ」
「じゃあ、どうしてこんなことに……!」
ジョールチは通りの先に視線を投げた。
店主と客が冗談を言い合って笑う。戦争中なのが嘘のようだ。
「それぞれの信じる正義が異なるからですよ。一方の正義にとって、他方の正義が悪になるなら、衝突は避けられません。白と黒の間には、無数の灰色があるのですが、これがなかなか……」
「悪い人より、自分は正しいって信じてる人の方が厄介ってコトですか?」
「現状では、そう考えざるを得ません。アーテルもキルクルス教の正義に基づいて、リストヴァー自治区への弾圧とネモラリス軍による魔哮砲の使用に対抗する為、戦争を起こしたのですよ」
レノは、葬儀屋アゴーニが彼らの主張を否定しないようにと言った意味が、ぼんやりわかったような気がした。
次に足を運んだ仮設住宅は、集会所で布袋やエプロンを作っていた。
ジョールチが挨拶し、この辺りに魔獣が出るのを知っているか尋ねる。
生地を裁断していた陸の民の男性が、裁ち鋏を置いて聞いた。
「どんな魔獣が出たんだ? 俺、少しだけなら【急降下する鷲】学派の術、知ってるから手伝えるぞ」
周囲の者たちがギョッとして、大地の色の髪の男性を見た。
三十代半ばくらいだが、長命人種ならその限りではない。徽章は持っていないが、パドールリクのように内乱中に覚えたのかもしれなかった。
年配の自治会長が訝る。
「駆除業者の手伝い? 普通に就職を申込んだ方が早いんじゃないかね?」
「勿論行ったさ。でも、学派の制限があって門前払いされたんだよ。実際、戦えるとこを見てもらえれば……」
「でも【鎧】とかないのに危ないですよ」
レノは慌てて止めた。
男性は不満そうに鼻を鳴らす。
「確かに【鎧】は持ってないけど、【不可視の盾】は使えるし、レサルーブの森で魔獣狩りをしたこともある。実戦経験はあるんだよ」
「それを我々におっしゃられましても……」
ジョールチが殊更に困った顔をしてみせると、男性はバツが悪そうに俯き、詫びの言葉を呟いた。
彼が作業に戻ったのを見届け、放送ニーズの聞き取りを続ける。
仮設の住民が求める情報は、物価や行政の支援、難民キャンプのことなど生活に直結するものが多かった。防壁の外へ出なければ関係ないと思うのか、魔獣についてそれ以上、知りたがる者は少ない。
一通り聞き終え、レノが自治会長に歌詞の封筒を渡した。
「そうですね。娯楽の類も、あれば気が楽になって助かります」
「地元の局は流さないんですか?」
「近頃は軍歌や勇ましい古典音楽が増えて……」
顔を綻ばせた自治会長から表情が消えた。
……そんなことになってたのか。
何となく状況を察し、レノは暗い気持ちで頷いた。
政府関係筋の情報収集の為、本局をレーチカに移転した国営放送のニュースは聞くが、電池を節約する為、娯楽系の番組は聞いていなかった。
二人が次の仮設へ通りを歩いていると、後ろから大声で呼ばれた。
「アナウンサーさーん! アナウンサーさーん!」
走りながら呼ぶ声に通行人が注目する。
先程の自称「実戦経験がある」男性だ。
驚いて足を止めると、あっという間に追いつかれた。街区三つ分くらい走ったようだが、全く息切れしていない。少なくとも、年齢の割に体力はあるようだ。
「あの、厚かましいお願いですみませんけど、もし、駆除業者に会ったら、俺を紹介してもらえないかな? 俺、ガローフって言うんだけど」
「えぇっと、いえ、しかし……」
「術は【霊性の鳩】だけじゃなくて【急降下する鷲】と【飛翔する鷹】もちょっとずつ使えるから!」
ジョールチは渋ったが、ガローフは声を潜めて食い下がった。
「ここだけのハナシ、銃の扱いも知ってんだ」
「内乱中に覚えたんですか? 当時の銃はもう……」
「今の銃だよ。言えば、弾も分けてもらえると思うし」
ガローフは、ジョールチが旧式の銃は流通量が減り、ほぼ骨董品扱いだと断ろうとするのを遮った。
「どこでですか?」
ガローフは辺りを見回し、ジョールチに耳打ちした。アナウンサーが目を見開く。レノには聞こえず、首を傾げてガローフを見た。
ジョールチの耳元から手を離し、ガローフは熱っぽく語った。
「俺は、魔物や魔獣から国民を守るのに手いっぱいで、アーテル本土に出撃できないって聞いたから、行ったんだ。俺んちは北ザカートにあったんだけど、空襲が酷くてラクリマリス領に逃げて、教団がクレーヴェルに仮設を用意してくれたからそっちに避難して」
「どう言うことですか?」
レノが聞くと、ガローフは残念なものを見る目を向けて早口に言う。
「クレーヴェルの公園でしょっちゅう、避難民を支援するバザーがあったんだ。仮設の住民は出店料なしで手作り品とか売って、地元の奴は出店料払って不用品売ってって言う奴。それで、隣になった新聞屋の婆さんが、アーテルやアミトスチグマの新聞も売ってて、どんだけ酷いコトになってるかわかったんだよ」
レノには一向に話が見えないが、ジョールチが頷きながら聞くので、ガローフは更に捲し立てた。
「ここだけのハナシにしてくれよ。婆さんの紹介で、正規軍の代わりに戦う有志の集まりに参加させてもらったんだ」
二人が息を呑むのに構わず、ガローフは続ける。
「俺の地元、完全に廃墟になってたけど、ちょっとマシなビルが拠点になってて、レサルーブの森で術や武器の扱いの訓練受けて、魔獣を狩ったりとかして」
ガローフは続きを呑み込んだ。
白昼堂々、往来でこれ以上語るのはマズいと気付いたらしい。
……俺たちが出て行った後、オリョールさんの仲間になった人か。じゃあ、新聞屋さんのお婆さんってシルヴァさん……?
レノは喉元まで出掛かった質問を抑え込んで、別の質問をした。
「それで、どうしてヤーブラカに居るんですか?」
「やっと正規軍が動いてくれたからだよ。どうしても自分の手で復讐したいって人以外は、ジャーニトルさんと一緒に難民キャンプに行ったり、俺みたいにどっかの仮設に住まわせてもらって仕事探したり……まぁ、今、こんなだから力ある民でも仕事みつからなくて。あっち戻ろうか、どうしようかって悩んでンですよ」
話の途中からジョールチの方を向き、媚びるように言った。
レノは、息が詰まりそうになって何も言えない。
「それでは、警備会社に就職の件を相談なさってはいかがですか?」
「どこもかしこも学派の制限で門前払いでしたよ。一番使えるのが【霊性の鳩】じゃちょっとだの、【急降下する鷲】の徽を持てるくらいちゃんと修めてないとムリですって、どこ行っても断られて」
ガローフは今にも泣き出しそうな顔で食い下がるが、レノたちにはどうすることもできない。
ジョールチが、くれぐれも無理しないように釘を刺し、その場はどうにか別れられた。
トラックを止めた公園に戻る頃には、すっかり日が暮れていた。
ピナたちが夕飯の支度をしている。
珍しく、モーフもキャベツの葉を一枚ずつバラすのを手伝っていた。
「アゴーニさん、ちょっといいですか?」
「ソルニャークさんも」
四人でワゴンの後部座席に乗り込み、帰還ゲリラの話をする。
葬儀屋アゴーニは最後まで黙って耳を傾け、膝を叩いた。
「わかった。明日、難民キャンプに跳んで、議員のセンセイ方や運び屋の姐ちゃんたちに伝えて来る。他に何か言っとくことねぇか?」
「そのゲリラは、どうやって正規軍の動きを掴んだのだ? ネモラリスの国内では報道されていなかったようだが?」
ソルニャーク隊長が首を捻った。
レノとジョールチの声が揃う。
「言われるまで、全く気付きませんでした」
「なぁに、北ザカートに前線基地があるし、俺が知ってる限り、オリョールさんは正規軍とそこそこ仲良くやってた。作戦の足引っ張らねぇように釘でも刺されたんだろ」
アゴーニが笑い飛ばす。
ジョールチは苦虫を噛み潰した。
「まぁ、今更、聞きに行けませんが」
「ゲリラ辞めたんなら、いいじゃねぇか。そいつが戻んねぇように何かイイ知恵ねぇか聞いてくるよ」
葬儀屋アゴーニは気安く請負ってくれた。
☆ペルシークの人たちは、何か、いい人そうでした……「831.解放軍の兵士」~「833.支部長と交渉」参照
☆パドールリクのように内乱中に覚えた……「851.対抗する武器」参照




