852.仮設の自治会
街へ情報収集に行く前に、レノとジョールチの二人で、仮設住宅の自治会長に改めて挨拶に行く。
集会所の窓から、住人が分業して呪符を作るのが見えた。
扉を開けた瞬間、数十人が一斉に顔を上げて戸口を見る。
不審げな視線を集め、レノはどっと冷や汗が噴き出した。
「こんにちは。アナウンサーのジョールチです。お忙しいところ、お邪魔致しまして恐れ入ります。臨時放送のお知らせに参りました」
ジョールチが声を発した瞬間、不審者に向ける誰何と排除の眼差しが、驚きと喜びに変わり、レノは部屋が明るくなったように見えた。
手前の一人が立って「どうぞ、どうぞ」と愛想良く招じ入れる。
「恐れ入ります。公開放送はこの仮設住宅の端で、三日後に予定しております。お騒がせ致します件、自治会長さんと仮設の皆様にご理解とご協力を……」
「自治会長さんだね? 呼んで来るよ!」
「ありがとうございます」
ジョールチがにっこり微笑むと、黒髪のおばさんは乙女のように瞳を輝かせてすっ飛んで行った。
「ホントにラジオと同じ声だ」
「何だってこんな田舎町に?」
「本局はどうなったんです?」
仮設の人々は呪符作りどころではなくなり、あちこちから珍しがる声や疑問の声が飛ぶ。
「自治会長さんがお見えになられましてから、ご説明させていただきます」
ジョールチの落ち着いた一声で人々の目が扉に集まる。
……カリンドゥラさんもそうだったけど、有名人って凄いんだなぁ。
レノはアナウンサーのジョールチが眩しく見えた。
黒髪のおばさんが、自治会長を引っ張ってきた。【編む葦切】学派の徽章を提げた麦藁色の髪の女性だ。
「放送の件は、葬儀屋さんからお伺いしましたよ?」
「お忙しいところ、恐れ入ります。改めてご挨拶をと思いまして」
自治会長は、レノとそう変わらない。乙女と呼んでも差し支えなさそうな若さだが、物腰はとても落ち着いていた。
……長命人種の呪符職人さんなのかな?
「そうですか。先程は作業の仕度でバタバタしておりましたし、詳しいお話をお伺いできませんでしたものね。どうぞ、お掛けになって下さい」
奥の二人が予備のパイプ椅子を持って来てくれた。
「この仮設住宅での公開放送をご了承いただき、誠にありがとうございます。私は現在、国営放送を離れ、FMクレーヴェルの職員と協力者の方々と共にネモラリス島内を巡回して、移動放送を実施しております」
「あぁ、クーデターで……大変でしたでしょう? 本局は、どうなったんですか?」
「大勢の職員が戦闘に巻き込まれ、命を落としました。私は【跳躍】で逃れるだけで精いっぱいでした。被害の全容は不明です」
自治会長は、一呼吸分の黙祷を捧げて質問した。
「国営放送は、レーチカ支局に本局機能を移して放送を再開しましたよね? どうして有志で移動放送を?」
「政府が、国民の皆様が欲する情報を放送させてくれないからです。……例えば、難民キャンプの様子ですとか、国外でのネモラリス共和国に関するニュース、物価や営業案内などの生活情報の類です」
「そう言われてみれば……ありませんね」
自治会長の言葉に大半の仮設住民が頷き、隣の者と囁き合う。
「移動放送車は、電波伝搬範囲が狭いので、放送圏内で取材を行って情報を集約、数日後に放送を行っています」
「難民キャンプはアミトスチグマですよね?」
「はい。湖南経済新聞社など、アミトスチグマの協力者から情報提供をいただいております。国内に留まるか、キャンプへ移動するか、判断の一助になりましたら幸いです」
仮設住宅の人々が顔を見合わせ、ジョールチに何か聞きたそうな目を向ける。
「クレーヴェルを出てずっと地方を回ってらっしゃるんですか?」
「そうです。この辺りは、空襲の被害がなく、物価も比較的落ち着いていて、治安もいいのですが……大きな街では星の標の自爆テロが度々発生しています」
集会所の空気が凍った。
自治会長が代表して質問する。
「自治区民が、この島に渡って来たんですか?」
「わかりません。テロリストが外国から侵入したのか、信仰を偽って元々住んでいたのか……首都はそれが元で、力なき民がキルクルス教徒であるとの疑いを向けられ、私刑が横行していました」
「ひょっとしたら、テロの狙いは、住民に疑心暗鬼を植え付けることなんじゃないかって思うんです」
レノが言うと、あちこちから息を呑む気配がし、数秒遅れでどよめきが耳を覆った。
自治会長がぎこちない笑みを浮かべ、【編む葦切】の徽章を掲げて住民たちに振り向いた。
「ここは、ホラ、この作業がありますから……星の標が呪符を作るなんてあり得ませんよ」
一気に空気が緩んだ。
自治会長がジョールチに向き直る。
「オバーボク経由で、ミクランテラ島から材料を仕入れてもらってるんです」
「ミクランテラ島?」
聞いたことのない地名にレノが思わず聞き返すと、ジョールチが説明してくれた。
「霊性の翼団の本部がある島です。ルブラ王国領ですが、この島でだけ、外国と取引があるんですよ。我が国では、オバーボク港から月に一往復だけ定期便が出ています」
「それで、知り合いが、ネモラリスの新聞一カ月分と交換で、呪符の素材を送ってくれるんです」
「そうだったんですか」
レノは、魔法使いの意外な繋がりに感心した。
ルブラ王国を含むラキュス湖北地方の七王国は、いずれも鎖国政策を敷いている。ルブラ王国と取引できるとは、全く想像もつかなかった。
……湖北地方の人も、この戦争が気になるってコトだよな。新聞読んで、どう動くかわかんないけど。
「ペルシーク市には、ネミュス解放軍の支部があるので、爆弾テロなど大きな動きはありませんでしたが、密かにキルクルス教の教えを広める勢力が活動していました」
「この島で、キルクルス教の布教活動を?」
自治会長が大地の色の瞳を丸くした。
「そうです。祈りの詞を改変して、励ましの言葉やボランティアのスローガンなどに混ぜて広めています。励みになって心地良い言葉なので、聞いた人が知らずに広めてしまうので、それを口にした人自身が、自治区外に潜むキルクルス教徒だとは限らないのが厄介です」
「湖の民のボランティアの人も言ってたんで、かなり広まってる感じでした。この街は、どうですか?」
レノが聞くと、自治会長と仮設住宅の住民は首を傾げた。
「キルクルス教の祈りの詞を知らないので、わかりません。ご存知ですか?」
「先にお伺いした葬儀屋さんなどに教えてもらいました。彼は長命人種で、内乱以前に仕事柄、知る機会があったようです」
ジョールチは背広の内ポケットから手帳を取り出し、スローガンと本来の聖句を並べて読み上げた。
何人かがハッとする。
「どれかひとつでも聞いたことある人、手を挙げて下さい」
レノの呼び掛けにパラパラ手が挙がった。
ジョールチが、他所と同じ注意を与える。
「先程も申し上げましたが、これを口にする人は、必ずしもキルクルス教徒ではありません。知らずに広めている方が大半です。もし、耳にしても何もなさらないで下さい」
住民たちから、驚きの声が上がった。
自治会長の質問でどよめきが鎮まる。
「でも、聞いてしまった以上、何もしないでいるのは難しいですよ。何かできることはありませんか?」
「皆様ご自身がそれを口にしないこと。言った人を否定しないこと。それを口するのを禁止しないこと。キルクルス教徒の聖句だと教えないこと。誰が言っていて、その人が誰から聞いたのか記録すること、この五点ですね」
「記録はわかりますが、教えるのも禁止するのもダメなんですか?」
自治会長が【編む葦切】学派の徽章を握り、もどかしそうに聞く。ジョールチは頷いて一同を見回して答えた。
「存在に気付かれ、布教を禁止されたら、キルクルス教徒がどう動くかわかりません」
「最悪、自爆テロをやらかすかもしれんよな」
白髪混じりのおじさんが呟いた声は、思いの外、集会所に大きく響いた。
知りたくなかったと言いたげに凍りついた空気をジョールチのよく通る声が動かす。
「誰からどう、その言葉が伝わったのかと言う情報は、すぐに活用できるものではありませんが、非常に重要です。決して無理に聞き出したりせず、誰が、いつ言っていたかだけ」
「私の所に集めればいいのね。ひょっとして、ドサ回りの放送は建前で、これが一番の目的なんですか?」
自治会長は先回りして了承してくれたが、ジョールチに向ける眼差しは厳しい。
……情報収集してんのがバレたら、自治会長さんも危ないもんなぁ。
だが、住民の幾人かは、既にやる気を見せている。
「我々がこの情報を得たのも、最近なのですよ。この情報を集めてどうするのか、詳しいことも教えられていません」
「えぇっ?」
「皆様は、心地良い言葉に流されず、心に留めて、何もしないで下さるだけで結構です。決してご無理をなさいませんよう」
「ジョールチさんたちが居る間だけでいいのかい?」
黒髪のおばさんが聞く。
「可能なら、続けていただきたいのですが、無理にとは申しません。ヤーブラカ市内で場所を変えて数回、放送しますので、短くとも半月くらいは滞在する予定です。他所へ移る時には、またご挨拶に上がりますので、よろしくお願いします」
困惑と決意が入り乱れる中、二人は歌詞を一揃い渡して仮設住宅を後にした。
☆ミクランテラ島……「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説16.国々 チヌカルクル・ノチウ大陸」ルブラ王国の項目参照
☆祈りの詞を改変して、励ましの言葉やボランティアのスローガンなどに混ぜて広めています/スローガンと本来の聖句……「773.活動の合言葉」参照
☆我々がこの情報を得たのも、最近なのです……「806.惑わせる情報」~「808.散らばる拠点」参照




