851.対抗する武器
薬師アウェッラーナが、何かを思い出したような顔をして、レノを見る。
しばらくレノとソルニャーク隊長の間で視線を彷徨わせていたが、レノに定めて聞いた。
「レノさんって、呪符職人さんのお手伝いしてましたよね」
「えぇ、でも、俺、力ある言葉わかんないんで、素材の下拵えくらいしかしませんでしたよ」
クルィーロも、地下街チェルノクニージニクで、呪符屋のゲンティウスを手伝っていたが、アウェッラーナは力ある民の彼には聞かなかった。
……ゲリラの職人さん、いや、戦いに使える呪符のことを聞きたいのか。
口を噤んだ湖の民に水を向ける。
「どうしたんです? 作業しながら、呪符のこと色々教えてもらいましたけど」
「地元の狩人さんたちに【飛翔する鷹】学派の呪符を融通できたら、少しはマシかなって思ったんです。作り方を説明するだけでも、何もないよりは……」
アウェッラーナが申し訳なさそうに言い、だんだん小さくなる声が消える頃には、項垂れてしまった。
このままでは、放送どころではない。
隣のオバーボク市までは、半島を回らず平野部の直線道路を使う予定だが、鱗蜘蛛を放置すれば、どこで鉢合わせするか気が気でなかった。
だが、流石にあの複雑な呪印は覚えていない。そもそも、村にある素材で作れるのか。
レノが何も言えずにいると、クルィーロがいきなり立ち上がった。マントを握っていたアマナが、驚いて父と一緒に兄を見上げる。マントの端がするりと抜けた。
クルィーロは荷台の奥へ行き、自分の荷物を漁る。みんなの目が集まる中、振り向いた彼は、何か細い物と呪符を持っていた。
「武器、ありますよ」
「えっ? あ、その矢……」
アウェッラーナもそれが何か思い出したらしい。
クルィーロが、事情を知らない放送局の二人と父、アビエースに説明する。
「地下街のお店でバイトした時にもらった報酬です。こんなご時世だからって武器くれたんですけど、俺たちじゃムリなのばっかで……」
レノもやっと思い出した。確かに、戦いの心得がなければ使い難い物ばかりだ。
パドールリクが息子に聞く。
「魔法の剣だけじゃなかったのか。呪符は私が使ったことのあるものなら、今でも呪文を覚えているが……」
「えっ? 父さん、戦い用の呪符、使ったことあんの?」
「内乱中に少し、な。【風の矢】と【光の矢】、【冷たい刃】なんだが」
クルィーロの驚きが種類を変え、感情を抑えた声が聞く。
「これ、【魔滅符】なんだけど、どう?」
「すまん。無理だ。それは、長い呪文を唱えて効力を発動させて、手に握って魔物や魔獣に叩きつけるものなんだぞ」
「あー、それじゃ、俺たちが使うの、危ないですね。……クルィーロ君、弓はもらわなかったのか?」
DJレーフが頭を掻く。クルィーロは頷いた。
「これ、【祓魔の矢】だから、魔力籠めて【操水】か何かで飛ばせばイケるって教わったんですけど」
「どのタイプ?」
「えーっと、確か、これも【魔滅】だったかな?」
クルィーロが自信なさそうに答えると、老漁師アビエースが手を伸ばした。
「ちょっと見せてくれんかね?」
「あ、どうぞ」
日に焼けた手が銀の矢を受け取り、緑の目を眇めて鏃に刻まれた呪印を確める。
「確かに【魔滅】だな。呪文は唱えなくてもいいんだが、魔力をどれだけ籠められたか見てもわからんのが、ちっと使い難い奴だ」
クルィーロに矢を返しながら言い、同族の葬儀屋に聞く。
「村にはどんな狩人さんが居るんです?」
「聞きそびれちまったが、強いのが居るんなら、わざわざ警察や業者に頼まねぇんじゃねぇのか?」
トラックの荷台の空気が重くなる。
武器があったところで、接敵して使える者がいなくては、どうにもならない。
レノは、こんな細い矢で鱗蜘蛛を守る鉄の鱗を貫通できるとは思えなかった。
葬儀屋アゴーニが殊更に明るい声で言う。
「まぁ、村の連中は【結界】で守られてっから、外へ出ない限り大丈夫だ。今すぐどうのってこたぁあるまいよ」
「お兄ちゃん、村の人に盾の魔法、教えてあげたらいいんじゃない?」
クルィーロがアマナの隣に座り直した。
「あれは一回しか防げないんだ。ないよりはマシだけど。それより、父さん、さっきの呪文、教えてくれないかな? そっちの方がいい気がするんだけど」
「どれも【急降下する鷲】学派の初歩で、大した威力はない。鉄の鱗は貫通できないんじゃないか?」
「下手に刺激すれば、村人が危険だ」
パドールリクが首を振ると、ソルニャーク隊長も同意した。
少年兵モーフが口を挟む。
「村の奴にその武器売って、戦いの魔法教えて、蜘蛛の脚、吹っ飛ばしたら何とかなンじゃねぇか?」
「すばしっこくてカサカサ動くのに、脚に当てる方が難しいぞ」
メドヴェージに苦笑され、モーフは膨れっ面で黙った。
「やっぱり、離れたところから【光の槍】とか強力なのぶっ放せる奴じゃねぇと無理だな」
「アゴーニさん、使い手に心当たりありませんか?」
ソルニャーク隊長が聞くと、長命人種の葬儀屋はひらひら手を振った。
「俺が一緒に仕事してたのは、王国軍の時代だぞ? 騎士団の連中が今どこでどうしてるか、生きてんのかどうかも知らねぇよ」
「騎士団……クロエーニィエ店長って、確か、昔は騎士だったよね?」
郭公の巣でバイトしたピナが呟く。
レノは、それを聞いて思い出した。
「でも、武器や防具を作る後方支援の部隊って言ってなかったか?」
「腥風樹と戦ったりとか、セプテントリオー呪医と一緒に前線に出たことあるみたいなコト、言ってたよ?」
「そうなんだ? メインは【編む葦切】学派でも、騎士だったら【光の槍】とか使えるのかな?」
「店長さん、来てくれるの?」
兄姉の話にティスも加わった。
一番痛いところを突かれて、レノとピナはぐっと詰まる。
共和制に移行した時に騎士を辞め、「魔法のカワイイもの屋さん」になったのだ。来てくれるかどうかも問題だが、二百年近く戦いから身を退いている彼が、鱗蜘蛛と戦って無事でいられるか。
いらないから、騎士団の制式武器の剣をファーキルにくれたくらいだ。戦えるにしても、一体、幾ら払えば引受けてくれるのか。
……この先ずっと、魔獣が出る度に来てもらうのか?
千年茸が手許に残っているのは、換金ルートがないからだ。アウェッラーナかアゴーニに頼んで、また運び屋フィアールカに換金しに行ってもらうにしても、何度もそんなんことをしていたのでは、家と店の再建資金がなくなってしまうかもしれない。
命あってのものの種とは言うが、どこで線引きすればいいのか。
……って言うか、駆除代、俺たちが出すのか?
何となくそれは違う気がした。
ティスが、黙り込んだ兄姉を不安そうに見る。
「言ってみなくちゃわかんないけど、騎士を辞めてから長いし、剣だってもう使わないからくれたんだろうし……」
「聞くだけ聞いてみるの、なし? 知り合いの人、紹介してくれるかもしれないよ?」
ティスがそう言って、薬師アウェッラーナを見る。
「うーん……聞きに行くのは簡単だけど、駆除代どうするか、難しいのよね。村の人も地元の業者さんに頼んだけど、おカネ足りなくて断られたんですよね?」
アウェッラーナが聞くと、DJレーフとソルニャーク隊長は同時に頷いた。
葬儀屋アゴーニが、ティスに困ったような微妙な笑顔を向ける。
「それにな。あのテの業者は縄張りってモンがあるんだ。村の奴はあぁ言ってたが、他所から業者引っ張ってきたのがバレたら、後でどんな目に遭わされるか知れたもんじゃねぇ」
「異界生物駆除の許可証は、地区単位での取得が義務付けられています。ラクリマリス王国は、ツマーンの森に限っては、外国の業者にも許可証を発行していますが……その店長さんは、どこの方なんですか?」
国営放送のジョールチがピナに聞くと、ティスは泣きそうな顔で葬儀屋とアナウンサーを見た。
ピナが小さくなって答える。
「チェルノクニージニク……ランテルナ島です」
「ネーニア島ならともかく、ネモラリス島は生活が成り立っている分、規制もしっかり生きていますからね」
「店長さんにご迷惑になりますよね」
ピナとティスが、肩を落としてしょげかえる。レノは妹たちの肩をそっと抱いた。
ティスが顔を上げて食い下がる。
「店長さんは魔獣駆除業者じゃないのにダメなの?」
「うーん、まぁ、危ないお仕事だからね」
ジョールチが簡単な言葉で言い聞かせようとするが、ティスはまだ納得いかないようだ。難しい顔で大人たちを見回す。
見兼ねたアウェッラーナが妥協案を出した。
「じゃあ、明日、店長さんにこの辺で活動してる駆除屋さんの知り合いが居ないか……えーっと、それと、鱗蜘蛛の上手なやっつけ方、聞いて来るから、ねっ?」
「アウェッラーナさん、いいんですか?」
レノが恐縮すると、アウェッラーナは苦笑した。
「身を守る呪符とか買いに行くついでですし、気にしないで下さい」
「ラーナ一人でどっか行くのか? 俺もついて行くぞ」
アビエースの心配は尤もだ。
レノは、今まで何度も、アウェッラーナに単独行動させていたのが申し訳なくなった。
国営放送アナウンサーのジョールチが、ティスがようやく納得したらしいのを見て言う。
「紙が手に入りましたし、子供たちは歌詞を書いてお留守番、大人は既にある歌詞の配布と情報収集、蔓草細工、子供たちと同じ作業に分かれましょう」
特に異論はなく、今朝と同じ組合せに決まった。
ジョールチが表情を改めて湖の民の兄妹に言う。
「明日、チェルノクニージニクに行かれるのでしたら、当地の新聞か何か、アーテルの情報がわかる物もついでに買って来て下さいませんか?」
「新聞でいいなら、大丈夫ですよ。本土とランテルナ島で同じ記事が載ってるかわかりませんけど」
「ラーナ一人でアーテルに乗り込む気だったのか!」
アビエースが目を剥く。
アウェッラーナは兄を安心させるように微笑んだ。
「チェルノクニージニクはランテルナ島の街で、魔法使いの自治区だから大丈夫よ」
「そうか? 絶対、俺の傍を離れるんじゃないぞ」
「うん。大丈夫よ」
アウェッラーナの力強い言葉に兄は頷いた。
☆レノさんって、呪符職人さんのお手伝いしてました……武闘派ゲリラの呪符職人「362.パンを分けて」、手伝い「398.価値ある勉強」「399.俄か弟子レノ」参照
☆クルィーロも、地下街チェルノクニージニクで呪符屋のゲンティウスを手伝っていた……「518.いつもと違う」~「520.事情通の情報」参照
☆地下街のお店でバイトした時にもらった報酬……「533.身を守る手段」参照
☆クロエーニィエ店長って、確か、昔は騎士だった……「447.元騎士の身体」参照




