0087.今夜の見張り
湖の民の薬師アウェッラーナが、星の道義勇兵メドヴェージを魔法で癒す。例の暢気な歌ではなく、仰々しい雰囲気の呪文だ。詠唱を終えると、メドヴェージの左腕から添え木代わりの教科書を外した。骨折を癒したらしい。
メドヴェージが、解放された腕をおっかなびっくり動かし、満面の笑みで緑髪の魔女アウェッラーナに礼を言った。
ラジオの持ち主ローク少年は先に癒され、パン屋の青年レノと一緒に夕飯の準備中だ。命懸けで獲った魚を急拵えの竈に並べる。
運河から離れる間際、少年兵モーフはロークに言われ、散らばった水筒を拾い集めた。先程、本来の持ち主に渡したばかりだ。幸い、ひとつも壊れなかった。
工員クルィーロが、魔法で熾した火で魚を焼く。炎も煙も匂いも、炭で引いただけの線から全く漏れない。
モーフにはどう言う仕組みなのか、さっぱりわからない。だが、魔法が使えれば便利だと言うことだけはわかった。
また、あの旨い焼魚を食べられる。
工員クルィーロは、戦ったことがないのだろう。
あの状況で、全く戦闘に加わらず、妹たちが悲鳴を上げてようやく動いた。
……ま、誰にでも、できることとできねぇことがあらぁな。
少年兵モーフは、クルィーロを責める気にはなれなかった。
自分も、アウェッラーナとクルィーロが居なければ、焼魚にありつけない。
……お互いサマって奴だな。
クルィーロの妹を助けたことで、恩を売ろうかとも思ったが、思い留まった。逆に、水や魚のことで恩を着せられるのがオチだ。
戦い方を知らないとは言え、相手は魔法使いだ。力なき民のモーフたちには、分が悪い。
アマナが水筒のコップに水を注いだ。
モーフは、金髪の少女が飲むと思ったが、違った。兄クルィーロが呪文を唱え、その水を起ち上げてみんなの手と顔を洗った。
すっきりした気持ちで、夕飯を食べる。
モーフは、あんな目に遭った直後で、食事が喉を通るのかと非戦闘員たちが心配になった。
見ると、空腹感が勝ったのか、みんな魚に齧りつく。
モーフは心の片隅で、余ると勿体ないので、残りは自分が食べてやるつもりでいた。アテが外れ、がっかりしたような、安心したような複雑な気持ちで自分の分を平らげる。
食後、パン屋のレノが、ポツリと呟いた。
「折角、生き残りに会えたのに、悪者じゃダメだよなぁ」
吐き出された声は、少し震えていた。
真冬の運河だ。
今頃は、冷たい水か、魔物が連中を始末しただろう。
後腐れはなくなったが、奴らがどこで、どんな手段で生き延びたのか、他に仲間は居るのかなど、永遠に聞き出せなくなってしまった。
「今夜の見張りは、三交代にしよう」
ソルニャーク隊長の提案に、異論は出なかった。
「順番、どうします?」
パン屋のレノがみんなの顔を見回す。
竈に立て掛けた鉄筋の【灯】が、十人をぼんやり照らした。
もし、さっきみたいな悪者がその辺に居れば、この【灯】を目指してやって来るだろう。工場の灯に集まる蛾のように。
だが、照明なしで見張りをするのは、辛いものがある。
誰も何も言わない。
再び、ソルニャーク隊長が提案する。
「昨夜同様、魔法使いの二人は見張りに参加せず、ゆっくり休んで欲しい」
「……それは、何か申し訳ないなぁ」
魔法使いの工員クルィーロが、金髪の後頭部を掻く。
「問題なく魔法を使えるように、充分な休息を取ることは、仕事とでも思ってくれないか?」
「え……あ、うーん、そう、ですか?」
「……そう、ですよね」
ソルニャーク隊長に言われ、魔法使い二人は申し訳なさそうに頷いた。
兄と同じ金髪の少女アマナが、作業服の袖をぎゅっと掴む。
「子供も、寝るのが仕事だ」
隊長の言葉で、アマナが兄の顔を見上げる。クルィーロは妹の金色の髪を撫で、小さく頷いてみせた。
「トタン、もう一個拾ってきたから、洗って立て掛けりゃ、もう二、三人寝られるさ」
少年兵モーフは、トタン板を置いた場所に目を向けた。
燃え残りのトタンに雑妖が集る。
トタンの上で飛び跳ねるモノ、舐めるように這い回るモノ、波打つ動きで周囲を回るモノ……【灯】の圏外でも、霊視力を持つ者なら誰にでも、この穢れた存在の姿は視えた。
闇の中で、形の定かでないモノたちが蠢く様子だけが、はっきり浮かび上がって視えるのだ。
「ピナちゃん、アマナを頼む。……アマナ、水筒、貸してくれ」
クルィーロが立ち上がり、暗がりに足を踏み入れた。
石コロに【灯】を掛け、トタン板に近付く。雑妖は眩しいのか、【灯】の範囲から潮が引くように逃れた。
モーフらが見守る中、クルィーロは水筒の水を起ち上げ、トタン板を洗う。
魔法の光を受けて輝く水が、あっという間に黒く濁った。クルィーロが水から汚れを抜きとり、闇の中に捨てる。汚れが落ちた辺りに雑妖が群がった。
少年兵モーフは、油断なく周囲に気を配り、何かあればすぐ動けるように身構える。
パン屋のレノが駆け寄り、トタンの運搬を手伝った。
二人が無事、野営地に戻ると、誰からともなく溜め息が漏れた。
三枚目のトタンも、他の二枚同様、壁に立て掛け、風除けにする。これなら、大人でも五、六人は横になれるだろう。
「さぁて、見張りの順番だ。戦力は分散させた方がいい。我々三人は、時間帯をずらして別々に休む」
「戦力の分散……か。じゃあ、俺とモーフ君、メドヴェージさんとローク君、隊長さんは一人……?」
ソルニャーク隊長の提案を受け、レノが各人の目を見ながら言った。
「私も見張ります」
ピナが小さく手を挙げ、きっぱり言った。
その目はソルニャーク隊長に注がれる。隊長は、兄のレノとピナ本人を見て、頷いた。
「では、私と組んでもらおう」
☆例の暢気な歌……「0038.ついでに治療」参照
☆あの旨い焼魚……「0045.美味しい焼魚」「0046.人心が荒れる」参照




