848.ヤーブラカ市
移動販売店プラエテルミッサは、ネミュス解放軍の庇護の下、ペルシーク市での臨時放送を無事に終えられた。
レノは内心、複雑だったが、背に腹は代えられない。生き残らなくては、妹たちを母に会わせてあげられないのだ。
国営放送のジョールチが関わっている件については、何も言われずに済んだ。ペルシーク支部に行ったクルィーロとDJレーフが、上手いこと誤魔化してくれたのだろう。
ネミュス解放軍のパトロールとレノたちの報道の後、呪符泥棒は鳴りを潜めた。
「ほとぼりが冷めたら、また動き出すかもしれん。君らも気を付けるんだぞ」
「はい。ありがとうございます」
「お世話になりました」
ネミュス解放軍の支部長たちに見送られ、移動販売店プラエテルミッサの一行はペルシーク市を後にした。
風がぬるみ、木々の芽が膨らみ始めた。
三月初旬の今は、更に東へ進み、ヤーブラカ市の南門付近に居る。
雪が降らなくなって移動が楽になり、食生活も楽になってきた。
薬師アウェッラーナの兄アビエースが、行く先々の漁協と交渉して少し漁をさせてもらい、食事に魚が増えている。
クルィーロは、彼から布袋で魚を獲る呪文を教わり、陸地で練習を重ねていた。まだ「危ないから」と、実際に湖上で漁をするのは禁止されている。レノは、幼馴染から苦笑交じりに打ち明けられ、曖昧に笑ったが、クルィーロが羨ましかった。
……そろそろ備蓄の小麦粉とドングリもなくなるし、炭水化物を何とかして手に入れないとなぁ。
気持ちを切替え、レノでも何とかなりそうな問題について考える。
千年茸と交換でもらった宝石は、まだまだたくさん残っているが、一箇所で大量に買って地元民の暮らしを脅かす真似はしたくなかった。小麦の収穫期まで、まだ三カ月近くある。これからが、一番苦しい時期なのだ。
……この辺はともかく、ネーニア島は農家も酷くやられてたし。
今年の生産はかなり厳しいものになるだろう。
ヤーブラカ市の周辺は麦畑が多いらしく、見渡す限り、青々としている。麦畑のずっと向こうに集落が点在し、朝靄に霞んでぼんやり佇んでいた。
「この辺りは……薪を手に入れられそうにないな」
ソルニャーク隊長が呟く。
食事の用意は【炉】の術でできるが、朝晩の冷え込みは、範囲指定の円から熱が漏れない術では凌げない。
「焚火ができないなら、街の公園に停めさせてもらえると有難いですね。外よりも、魔物や魔獣の心配が少ないですから」
老漁師アビエースが暢気に言う。
レノは、店長として首を振った。
「ここにも星の標の支部があるそうなんで……」
アビエースは息を飲み、妹を見る。薬師アウェッラーナは兄に頷いてみせ、ソルニャーク隊長に曇った顔を向けた。
国営放送のイベントトラックとFMのワゴンは、ヤーブラカ市の防壁から少し離れた遊休地に停めている。ここの香草や食べられる野草は、まだ芽吹いたばかりで、摘むには早かった。
ソルニャーク隊長が、農道の両脇に広がる麦畑を見回し、春霞の向こうの集落に目を細める。
「この辺りは平野だ。ワゴンで集落の様子を見て、村に停めさせてもらえそうなら、それがいいだろう」
「放送はどうするんです?」
FMクレーヴェルのDJレーフが、真東に続く農道の先に視線を投げて聞く。【魔除け】の碑が点々と建つ砂利道は、四トントラックでもギリギリ通れそうに見えた。
アスファルトで舗装された南東の道は、幌付きの軽トラが農村とヤーブラカ市を忙しなく往復する。朝市用に春野菜を卸し、魚を仕入れて帰るのだろう。
ヤーブラカは、ヴィナグラートやペルシークよりずっと小さな街だが、葬儀屋アゴーニが持ち帰った情報によると、ここにも星の標が入り込んでいた。
レノは寒気がしたが、妹やみんなをこれ以上怖がらせないよう、プラエテルミッサの店長として言った。
「街の周りの様子を見て、こんな感じの空き地があったら、放送する時だけそこに停めて、後は、村に停めさせてもらえるんなら、その方がいいでしょうね」
「そうですね。では、まず周辺の状況確認と情報収集をしましょう」
アナウンサーのジョールチが同意した。
魔法使いたちは、誰が誰と組んでどの方向に行き、誰がここに残ってみんなを守るか、相談を始める。
これまで通ってきたウーガリ山脈以北の土地では、人口が多く人の出入りがある都市部には、陸の民も住み、隠れキルクルス教徒が紛れ込んでいたが、小さな漁村や農村には、先祖代々住む湖の民しか居なかった。
村にはキルクルス教徒のテロ組織“星の標”が入り込む余地はないが、逆に、陸の民が多い移動販売店プラエテルミッサが、不審な他所者として排除される可能性がある。
これまで何とかなっていたのは、国営放送アナウンサーのジョールチのお陰だ。ネモラリス人の大半が知る彼の声がなければ、プラエテルミッサの臨時放送は、信用してもらえなかっただろう。
地図とにらめっこして、相談がまとまった。
今回は、老漁師アビエースと薬師アウェッラーナの兄妹がトラックに残る。
DJレーフは、ソルニャーク隊長と共にFMクレーヴェルのワゴンで真東の村へ足を伸ばす。クルィーロは防壁沿いに一人で【跳躍】を繰り返し、放送に使えそうな遊休地の有無を見て回る。アナウンサーのジョールチは、パドールリクと二人で南東の集落を調べに行き、レノは葬儀屋アゴーニと二人で北東の村へ様子を見に行くと決まった。
「道が細くて行けない村は、放送できないから、歌詞だけでも持ってった方がいいんじゃない?」
ピナがレノの袖を引き、ティスとアマナが荷台から封筒の束を抱えて降りてきた。
「お兄ちゃん、これ、四曲セット」
「いっぱい書いたの」
「四曲? 三曲じゃなくて?」
レノが聞くと、女の子三人は同時に頷き、ピナが曲名を並べた。
共和制移行百周年記念の「すべて ひとしい ひとつの花」、それと同じ旋律を別の歌詞で歌うアサエート村の里謡「女神の涙」、国民健康体操の替え歌「みんなで歌おう」、四曲目は天気予報のBGM「この大空をみつめて」だ。
アマナが背筋を伸ばして、調査へ行く大人たちに言う。
「この間、お留守番してた時に、お歌と歌詞を駐車場代にしてもらえないかなって、みんなで言ってたの」
「あー……言われてみりゃ、ちっこい村はニュースよりも歌の方を喜んでたな」
葬儀屋アゴーニが腕組みして大袈裟に頷く。
運転手のメドヴェージが、ニヤリと笑った。
「停めさせてくれりゃ、可愛い女の子が歌ってくれますヨってのか?」
「そんなんじゃねぇッ!」
少年兵モーフが、すかさずメドヴェージの背中をどやす。
薬師アウェッラーナが、咳払いして提案した。
「村で【癒しの風】を歌いますって言った方が、お互い助かりそうですね」
その一言で一同がハッとする。話が決まり、それぞれの方向に出発した。
レノとアゴーニが行く北東の道は、徒歩と荷車しか通れなさそうな土の道だ。
「先がどうなってるかわかんねぇ。下手に【跳躍】して、畑を踏んづけちゃ悪いからな」
朝靄に包まれた道を並んで歩く。
轍の間に草が萌え、朝露に輝いていた。
時々、腰の高さの【魔除け】の石碑があるだけで、通行人には行き会わないが、道も畑もよく手入れされていた。
☆呪符泥棒……「820.連続窃盗事件」「831.解放軍の兵士」~「833.支部長と交渉」参照
☆布袋で魚を獲る呪文……「045.美味しい焼魚」参照
☆千年茸と交換でもらった宝石……「564.行き先別分配」「565.欲のない人々」「571.宝石を分ける」参照
☆ネーニア島は農家も酷くやられてた……「759.外からの報道」、「757.防空網の突破」「758.最前線の攻防」参照
☆葬儀屋アゴーニが持ち帰った情報……「808.散らばる拠点」参照
☆ネモラリス人の大半が知る彼の声……「660.ワゴンを移動」「661.伝えたいこと」参照。ジョールチは、声だけ第一章から登場していた。ラジオのニュースは大半がジョールチの声。
☆共和制移行百周年記念の「すべて ひとしい ひとつの花」……「774.詩人が加わる」参照
☆それと同じ旋律を別の歌詞で歌うアサエート村の里謡「女神の涙」……「531.その歌を心に」参照
☆国民健康体操の替え歌「みんなで歌おう」……「275.みつかった歌」参照
☆天気予報のBGM「この大空をみつめて」……「170.天気予報の歌」参照
☆ちっこい村はニュースよりも歌の方を喜んでた……「830.小村での放送」参照
☆村で【癒しの風】を歌いますって言った方が、お互い助かりそう……「741.双方の警戒心」参照。呪文は「348.詩の募集開始」「349.呪歌癒しの風」参照




