847.引受けた依頼
予定通り、一月十日は薬草の葉を摘んだ。
翌日、ゲンティウスの呪符屋に顔を出した。
スキーヌムには、呪符屋を手伝うか否か聞いていない。
「あけましておめでとうござ……」
ロークは店の扉を開けた瞬間、口から心臓が飛び出しそうになった。向こうも、緑の目を見開いて息を飲む。
時が止まったような空気をスキーヌムの質問が動かした。
「ロークさん、どうしたんですか?」
「坊やたち、初めまして。事情はゲンティウスから聞かせてもらったわ。私が運び屋のフィアールカよ。私の仕事を手伝ってくれたら、この街に居る間ずっと宿代出したげるけど、どう?」
ロークが口を開くより先に、湖の民の女性が、隅のテーブル席からにこやかに声を掛けた。
呪符屋の店主が、カウンターの中でお茶の用意を始める。
「あけましておめでとう。まぁ、座れや」
「おめでとうございます」
ロークは気を取り直し、戸口からテーブルに向かう数歩で目紛しく考えを巡らせる。どうするのが最良なのか。
この場を繕うのではなく、自分たちの為だけでもない。ラキュス湖地方全体に平和を取り戻す為に、今、どうすればいいのか。
緑色の瞳を正面から見て挨拶した。
「運び屋さん、初めまして。俺はロークって言います。仕事って何ですか? 力なき民なんで、大したコトできないんですけど」
「ウチも暇じゃねぇんだからな。二人とも横取りすんのは勘弁してくれよ」
呪符屋のゲンティウスが早速、スキーヌムにお茶を運ばせる。
運び屋フィアールカは、肩を竦めただけで何も言わなかった。
二人が座ると、フィアールカはタブレット端末をバッグに仕舞って言った。
「力なき民の方がいいの。アーテル本土の情報収集だから」
「どんな情報を集めるんですか?」
ロークが質問する隣で、スキーヌムが身を強張らせる気配がした。
「基地に侵入して軍事機密を盗んで来いなんて言わないから、安心して。本土の街と一般市民の様子を観察して欲しいの」
「街と一般人、ですか?」
漠然とし過ぎている。
フィアールカはにっこり笑った。
「引受けてくれるんなら、詳しく話すわ。別に危ないコトしろってワケじゃないし、悪い話じゃないでしょ」
「そ……そんな簡単な仕事に、どうして大金を出すんですか?」
スキーヌムが震える声で質問を絞り出した。
運び屋フィアールカが、肩に掛かる深緑色の髪を手櫛で梳いて答える。
「あなたたちには簡単でも、私じゃ本土の街には行けないのよ」
「あッ……」
スキーヌムが俯く。
「断る理由はないんですけど、俺たち、ルフスから家出してきたんで、連れ戻されちゃうかもしれないんです」
「さっき聞いたわ。引受けてくれるんなら、三日後に【化粧の首飾り】を用意するけど、どう?」
「何ですか、それ?」
「あら、知らない? 【偽る郭公】学派の【化粧】の術が掛かったアクセサリーよ。私が用意するのは身に着けてる間、別人の顔になる首飾りよ。首に提げたら、服の中に隠してね」
「別人になれるんですか?」
ロークは驚いた。
……詐欺師御用達アイテムじゃないか。犯罪者の逃亡用とか。ロクなもんじゃないな。
「髪と肌の色も少しだけ変えられるけど、せいぜい、茶髪が暗い金髪になる程度ね。人種や性別、年齢までは偽れないから、私じゃムリなのよ」
「わかりました。俺、やります。スキーヌム君、どうします?」
「ぼ、僕は、お店のお手伝いを……」
神学校の優等生は、上目遣いに二人を窺う。
状況に流されて、自ら魔法使いの手伝いを申し出たが、果たして、ことの重大性に気付いているのか。
「よっしゃ。スキーヌムとか言ったな。お茶飲んだらこっち来てくれ」
「は、はいッ!」
湖の民のおっさんに呼ばれ、スキーヌムが定規を入れられたように背筋を伸ばした。呪符屋のゲンティウスが苦笑する。
「なぁに、こっちも別に難しいこっちゃない。俺が奥で呪符作ってる間、お茶出して客の相手してくれりゃいい」
「お茶……」
「交換品でもらったカセットコンロがある。コンロは使えるよな?」
「頑張ります」
……使ったことないのか。料理もしたコトなさそうだし、お茶淹れるのも初めてだったりしないか?
ロークは少し不安になったが、口を挟まず、ポケットから手帳を取り出した。
「ネモラリスに戻ったら、復興の参考にしようと思って、ルフスの様子をメモしてたんですけど、こんな感じでいいですか?」
「ちょっと見せてくれる?」
スキーヌムは、フィアールカが手帳を読む間にまだ少し熱いお茶を飲み干した。空のカップを持ってカウンターに引っ込み、店主にあれこれ質問してお茶の淹れ方を教わる。
ロークは、スキーヌムがこちらに背を向けた隙を見て、別の手帳とノートをフィアールカに渡した。運び屋がパラパラ捲り、緑の目を見開く。ロークは最初の一冊を返してもらい、余白にペンで走り書きした。
これを渡したくて、ここに来ました。
伏せてることもあるので、内緒にして下さい。
フィアールカが頷いて、バッグからタブレット端末を取り出した。無言でつついてロークに向ける。
そんなことだろうと思ったわ。
初対面のフリで通したげるから、ボロ出すんじゃないわよ。
ロークが深く頷くと、フィアールカは何事もなかったように言った。
「この手帳、もらっちゃっていい? 勿論、情報料は別に払うけど」
「後で返して下さるんなら」
「いいわ。写しを取ったら返したげる。中身の値打ちはじっくり読んでみないとわからないけど、手間賃として……そうね。あなたたち、年末からここに居るんだったわね?」
「はい」
「支払い済みの宿泊費、埋めてあげる。幾らだった?」
精算は十日毎で、今回は全額、スキーヌムが現金で払ってくれた。「参考書代」としては有り得ない金額だが、彼の口からは、まだその事情を聞いていない。
金額を告げると「こんなもんかしらね」と小さな瑪瑙を三粒くれた。
「そっちの坊主も、素材の調合を手伝ってくれると助かるんだがなぁ」
ゲンティウスに声を掛けられ、フィアールカが答える。
「バス代とか、必要経費は【化粧の首飾り】と一緒に渡すけど、別に毎日行く必要はないわ」
「じゃあ、週の前半はウチで働いて、後半は本土に出て、日曜は休みってコトでどうだ?」
「はい。ありがとうございます。その方が助かります」
「じゃあ、次は三日後。毎月、月末には顔を出すようにするから、情報の日付、忘れずに書いてね」
「はい、気を付けます」
運び屋フィアールカは、ロークのイイお返事に満足げに頷いて席を立った。
「新年の挨拶だけのつもりだったんだけど、助かったわ。今年もよろしくね」
「あぁ、こっちこそ、よろしく頼むぞ」
湖の民二人は気安く笑顔を交わした。
そんな訳で、ロークとスキーヌムは二月の今に到るまで、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクに居る。
丸一年が過ぎても、アーテルが仕掛けた戦争は、終わる兆しが見えなかった。
対岸のイグニカーンス基地を皮切りに、アーテル本土の基地が相次いで破壊されたが、アーテル人の戦意は挫けるどころか、ますます激しくなった。
あの丘からイグニカーンス基地を見下ろしたが、警備員オリョールたちのネモラリス憂撃隊とは桁違いの破壊力だ。
ネモラリスの政府軍が動いたのかもしれないが、アーテル領内では、基地が破壊されたと言う報道はなかった。新聞の隅っこに、武器庫で火災が起きた、暴発事故があった、云々と小さな記事が載ったが、ロークがあの丘から見た破壊の痕跡は、とてもそうは思えない惨状だ。
フィアールカが、「政府やマスコミが加工してない生の情報と、庶民の世論が欲しいの」と言った理由がよくわかった。
☆【化粧の首飾り】/【偽る郭公】学派の【化粧】の術が掛かったアクセサリー……「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説08.道具」参照。
「彷徨う香炉(https://ncode.syosetu.com/n4668dj/)」に登場したシロアリ盗賊団も使用。
☆ルフスの様子をメモしてた……「763.出掛ける前に」~「766.熱狂する民衆」参照
☆別の手帳とノート……「691.議員のお屋敷」~「696.情報を集める」、「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」参照
☆「参考書代」としては有り得ない金額……「843.優等生の家出」参照
☆ロークとスキーヌムは二月の今に到るまで、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクに居る……「841.あの島に渡る」参照
☆アーテル本土の基地が相次いで破壊された……「814.憂撃隊の略奪」~「816.魔哮砲の威力」、「836.ルフスの廃屋」参照
☆あの丘……「809.変質した信仰」参照




