846.その道を探す
宿に戻ると、スキーヌムの姿が消えていた。
荷物はある。ティーポットの横にメモが残されていた。
光の導き教会に行きます。
夕方のバスで戻ります。
光の導き教会はランテルナ島唯一のキルクルス教会だ。
周辺には、スキーヌムとは逆の立場の人々の村がある。
そこは、地図にない村だった。
どこにも身の置き場のない人々が、仕方なく身を寄せ合って暮らす。
ランテルナ島は、キルクルス教国のアーテル領内から魔法使いを排除し、隔離する自治区だ。
半世紀の内乱後にこの島で生まれた力なき民は、自治区生まれであることを理由にアーテル本土では差別され、キルクルス教に改宗したせいで、自治区内の街には戻れなくなっていた。
スキーヌムは、アーテル本土の富裕な家庭で生まれ、首都ルフスの神学校で学ぶキルクルス教の信仰エリートだが、力ある民だ。
共通点は、「アーテル社会の不適応者」だが、キルクルス教の信仰を捨てれば、少なくともランテルナ島民には受け容れられることだ。
現に呪符屋の店主ゲンティウスは、スキーヌムに同情していた。
彼が力ある民であると発覚した経緯を考えると、心の傷が癒えない限り【魔力の水晶】に触れるどころか、魔術を学び、魔力を正しく用いる魔法使いになると言う発想すら持てないだろう。
ロークの目には、スキーヌムがまだ、キルクルス教の信仰にしがみついているように映った。
自分の存在を正面から全否定する教えに縋る理由も、どんな思いでそうするのかも全く想像がつかない。
……アミエーラさんなら、気持ちをわかってあげられるんだろうになぁ。
針子のアミエーラは今、親戚のカリンドゥラと共に王都ラクリマリスに居る。
ロークは朝と同じにあたたかい温香茶を飲みながら、昼の堅パンを齧った。
昨夜水に漬けた蔓草を別の袋に移し、さっき採ったものを漬け込む。これからどうするか考えながら、蔓草を編んだ。
買物籠をひとつ編み上げたところで手を止める。
中途半端に残った蔓草を水に戻して、新しい手帳にチェルノクニージニクの物価や街の人の様子、漏れ聞こえた噂話などをメモした。
ノックの音で顔を上げる。スキーヌムの不在を思い出し、声を掛けた。
「僕です」
短い応えに閂を外し、戸を開ける。
何か吹っ切れたような顔があった。寒さのせいか頬が赤い。
「蔓草も採ってきました。作り方、教えてもらってもいいですか?」
「俺もまだそんなに上手くはないんですけどね」
スキーヌムはレジ袋いっぱいに蔓草を採っていた。袋に水を入れて机の下に置き、温香茶を勧める。
夕飯の堅パンを少しずつ齧りながら、スキーヌムは見てきたことを語った。
「光の導き教会、小説のファンが大勢来てて、僕もそうだと思われました」
「あぁ、『冒険者カクタケア』の」
「あの本が出てから観光客が増えて、村の暮らしが少し楽になったそうです」
ランテルナ島で苦しい生活を送るキルクルス教徒は、ロークが思った程、酷い暮らしではないらしい。我がことのように喜ぶスキーヌムが少し羨ましくなった。
「それで、僕、確信しました」
「何をですか?」
「今の教会の教えも、原理主義を標榜する星の標も、聖者様の教えを正しく理解できていません」
ロークは堅パンを食べるのも忘れ、向かいのベッドに座るスキーヌムをまじまじと見た。
何がどうなれば、その結論に至るのか。
光の導き教会で何があったのか。
スキーヌムの瞳は、出会ってからこれまでで一番、活き活きと輝いていた。
取敢えず、具体的な予定を聞いてみる。
「神学校に戻るんですか?」
「いいえ。あそこに留まっても、正しい教えは得られません。聖典に残された詞の本当の意味を確める為に、魔法使いの街で暮らします」
「ずっとチェルノクニージニクに住むんですか?」
「できれば、ラクリマリスとか他の国も見学したいんですけど、ロークさん、ルフスにはどんなルートで来られたんですか?」
どう言う心境の変化か知らないが、スキーヌムが元気になってくれたのは嬉しい。
……一人になってからも稼げるように蔓草細工を覚えたいのか。
スキーヌムには、これから何ができるだろう。
神学一筋で生きてきた非力で世間知らずの少年だ。
手間の割に大したカネにならない蔓草細工では、あっという間に困窮するが、希望の芽を摘みたくはなかった。
「アテはひとつありますけど、どのくらいの覚悟がありますか?」
「命を懸けても構いません」
「そんな軽々しく命だなんて……」
スキーヌムは、強い光を宿した瞳でロークを見詰めた。
「神学校に居る間、教団が決めた聖なる星の道から半歩も出られませんでした。他にひとつも道がなくて、可能性があることも知らなくて、絶対に聖職者にならなくちゃいけなくて、何もかもが怖かったんです。決められたことだけをこなして、ただ、息をしてるだけみたいな毎日でした」
あの時、アウグル司祭やロークに向けた信仰に激しく傾倒した熱っぽい瞳が、まるで嘘だったような言い草だ。
ロークは面食らったが、遮らずに頷いて先を促した。
「僕に何ができるかわかりません。何もできないかもしれません。でも、周りに決められた死人同然の道じゃない、僕が僕として生きられる道をみつけられるなら、命をなくしたって構いません」
「そこに聖者様の教えが、あっても、なくてもですか?」
「はい。聖典の意味を確めた結果、信仰を手放すことになるか、より一層深めるか。それも含めて探しに行きたいんです」
ロークは、ショッピングモールでのことを思い出した。
……俺が何もしなくても、何年か後でスキーヌム君一人でも実行したかもな。
ロークは、外に繋がる扉を示して鍵を渡しただけで、その先、どの道をどう歩んで、どんな所に辿り着くかはスキーヌム次第だ。
取敢えず、一緒に居る間だけは、命を落とさないように見守ろうと心に決め、家出少年の手を握る。
握手を返すスキーヌムの手はやわらかく、まだまだ頼りなかった。
年初の営業日まで、二人で蔓草細工を作って過ごした。
ロークは、少年兵モーフに教わったことを思い出しながら、スキーヌムに説明する。
優等生だけあって、スキーヌムの飲み込みは早かった。だが、理解と実行は別問題らしい。なかなか編み目を揃えられず、次第に表情が暗くなる。
意外と不器用だと知ったが、下手な慰めや励ましは、却って傷付けてしまいそうな気がして、ロークは黙って見守ることにした。
やっと完成した鍋敷きは、不揃いな編み目のせいで、上に物を乗せるとガタガタ揺れる代物だ。
「俺も最初はこんな感じでしたよ」
「でも、売れたんですよね」
「魔法の道具の素材として、ですけどね」
ロークの答えに神学校の優等生は複雑な顔をしたが、何も言わなかった。
午前中、素材を採りに街の外へ行き、午後からは宿に戻って細工物作り。近場の蔓草を採り尽くし、日を追うごとに街から離れ、帰りが遅くなる。
「ロークさんは、怖くないんですか?」
「友達にもらった護符がありますから」
「どんな護符ですか?」
ロークは、蔓草を採る手を休めず、努めて何でもないことのように答える。
「ゼルノー市の友達が、誕生日プレゼントにって作ってくれたんです。その友達は、力ある民だけど作用力がないから、自力では魔法が使えなくて、将来は魔法が使えない人を助ける為に、魔法の品を作る職人になるって言ってました」
ヴィユノークはもう居ない。
「魔力があるのに、魔法を使えない人が居るんですか?」
「術を発動させる“作用力”がない人は、呪符や道具の助けがないと魔法を使えないんですよ。俺みたいな力なき民は、どちらの力も持ってませんけど」
「もう少し、詳しく聞かせてもらっていいですか?」
スキーヌムが、蔓の枯れ葉を毟りながら聞く。
魔術に興味を示したのは意外だが、ロークでは大した説明はできない。少し申し訳なく思いながら、ゼルノー市での授業の記憶を手繰る。
「機械に置き換えて考えると、魔力が電力で、作用力は原動機みたいなものですね。呪文はそれを制御する電子回路に相当します。魔力があって、呪文を覚えて間違えずに唱えても、それだけでは“魔法使い”になれないんです」
「魔力と作用力」
スキーヌムが噛みしめるように何度も繰り返す。
「作用力は、修行すればある程度、鍛えられるそうですが、魔力は生まれつき強さが決まっていて、生涯変わりません。大規模な発電所並に強い人も居れば、乾電池程度の人も居て、一口に力ある民と言っても色々です」
「では、魔法使いみんなが、魔物や魔獣と戦えるのではないのですね?」
「そうです。戦えない人の方が多いですよ。戦いの為の術は色々系統がありますけど、どれも強い魔力と作用力が必要です」
ロークは辺りを見回し、蔓草を探しながら言う。
半世紀の内乱で破壊され、放置された漁港は静かだ。魔獣駆除業者や釣り人が、雑妖や魔物などを祓ってくれているからだろう。
錆びて朽ちた自転車に近付く。
スキーヌムもついて来て、自転車に巻き付いた蔓草を根元付近から引き千切った。
「全部、小中学校で教わったことの受け売りです。魔力のない人には作用力もありません。友達は、誰でも使える呪符や護符で、みんなを守りたいって言ってました」
「みんなを……守る魔法」
ロークは、コートのポケットから護符を取り出した。
「俺自身は、効果を発動できませんけど、避難中、魔法使いの人たちが魔力を籠めてくれて、何度も助けられました。多分、もう形見だから、使えなくても手放す気はありません」
声は少し震えてしまったが、最後まで涙をこぼさずに言えた。
スキーヌムは手を止めて、ロークが護符を仕舞うのを見詰める。
何かを恐れるような目だ。
時期尚早だったかと少し後悔したが、後戻りはできなかった。
☆彼が力ある民であると発覚した経緯……「810.魔女を焼く炎」参照
☆あの時、アウグル司祭やロークに向けた信仰に激しく傾倒した熱っぽい瞳……「743.真面目な学友」参照
☆ショッピングモールでのこと……「766.熱狂する民衆」参照
☆ゼルノー市の友達が、誕生日プレゼントにって作ってくれた……「131.知らぬも同然」参照
☆その友達は、力ある民だけど作用力がない……「408.魔獣の消し炭」参照
☆避難中、魔法使いの人たちが魔力を籠めてくれて、何度も助けられました……「060.水晶に注ぐ力」「071.夜に属すモノ」「096.実家の地下室」参照




