844.地下街の年越
店内は静かで、通路の喧騒が別世界のようだ。
どうやら、呪符は歳末の買出しリストにないらしい。
「仕事を紹介してもらえませんか? 力なき民でもできそうな……」
「何だ、兄ちゃん、宿賃ねぇのか?」
呪符屋の店主ゲンティウスに困った顔をされ、ロークは慌てて言い繕う。
「い、いえ、大丈夫です。宿代は持ってきてます。食費の足しに何か……友達も連れて来ちゃったんで、厚かましくてすみませんが、二人分、心当たりがあればお願いしたいんですけど」
店主が緑色の眉を顰める。
「友達? さっき、坊主一人だって言わなかったか?」
「移動販売店のメンバーは、俺一人です。ルフスで知り合った新しい友達で……その……力ある民なのがわかって、家に居場所がなくなった子なんです」
「それで島に逃げて来たのか。本土じゃよくあるハナシだ」
呪符屋の店主が忌々しげに頷いて、カウンターに肘をつく。他に誰も居ない店内をじろりと見回し、ロークに視線で問い掛けた。
「偶々拾った【魔力の水晶】のせいでバレたんで、魔力を充填するバイトは多分ムリです」
「だろうな。本土じゃよくあるハナシだ」
「呪文も知らないから、力なき民と同じ仕事しかできないんです」
「年明けの明日から十日、店によっちゃ一月半ばまで正月休みだ。その間の食い扶持はどうすんだ?」
「おカネは少し持って来たので、保存食で頑張ろうかなって」
見通しの甘さを次々指摘され、だんだん声が小さくなる。
全くの無為無策で出て来たワケではない。
顔を上げて食い下がった。
「その間、蔓草細工を作って、後で売りに行きます。それと、フィアールカさんに会いたいのは手に入れた情報を渡したいからです」
「大金に化けるネタなのか」
店主がカウンターに身を乗り出す。ロークは確信を以て頷いた。
「金額まではわかりませんけどね」
「そりゃそうだ。どこに泊まるんだ?」
「前と同じ、行商人用の宿です」
「紹介状書いてやっから待ってな。それと、ウチは十日まで休みだ。十一日から店番と呪符の素材作り手伝ってくれ」
「ありがとうございます」
ロークは勢いよく礼を言い、カウンターすれすれまで頭を下げた。
店主が苦笑する。
「大事な情報源に何かあっちゃ、俺が後でどやされるからな。その家出人とまとめて面倒みてやらぁ」
ロークは何度も礼を言って、スキーヌムを店内に入れた。
呪符屋の店主は、少年二人をカウンター席に座らせ、【操水】で香草茶を淹れながら言う。
「話は聞かせてもらった。そっちの兄ちゃん、魔法使いンなるハラが決まったんなら、年明け十一日から店番に雇ってもいいが、どうだ?」
スキーヌムは息を止め、壊れかけの操り人形のような動きで隣を見た。ロークは大丈夫だと微笑んでみせ、代わりに答える。
「彼の返事は、休み明けまで待ってもらえませんか?」
「わかった。じゃあ、紹介状用意すっから、それ飲んでちょっと待ってな」
湖の民が奥へ引っ込んで二人きりになると、スキーヌムは大きく息を吐いて肩を落とした。
ロークが小声で謝る。
「勝手に色々決めてしまってすみません。でも、他に相談に乗ってくれる人を知らなくて……」
「ここは何屋さんで、何の紹介状を用意してもらうんですか?」
基本的な質問がすっぽり抜けていた。恥ずかしさが香草茶の効果を振り切る。ロークは耳まで赤く熱くなるのを感じながら、大急ぎで説明を付け足した。
「ここは呪符屋さんで、宿の紹介状を書いてくれてます。さっきの道具屋さんの知り合いで、運び屋さんの連絡所でもあるんです」
「運び屋さん?」
「スキーヌム君みたいな人を外国に連れ出してくれる人です。外国に連れてってハイ、オシマイじゃなくて、魔法使いの生活を教えてくれるとこにあず」
「僕みたいな人って! この島じゃなくて、外国で暮らしてるんですか?」
スキーヌムがみなまで言わせず、ロークの両肩を掴んで揺さぶる。
「えっと、空襲から避難する途中で、そうやってアーテルを出てきた男の子と知り合いました。その子は、力なき民なんですけど、信仰の矛盾に気付いて、星の標に協力する家族とは暮らせないって、何もかも捨てて」
「その子は今、どこの国に居るんですか?」
「知りません。俺は王都……ラクリマリスの港で別れたんで、すみません」
「い、いえ、僕の方こそ、すみません」
家出少年は恐縮してカウンターに肘をつき、頭を抱えて俯く。淡い色の髪が頬に掛かって表情が見えなくなった。
ロークはカップを手に取り、薬効のある香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
動揺が鎮まるのを待って情報を小出しにする。
「運び屋さんも、旧王国時代から生きてる湖の民です」
スキーヌムの反応はないが、構わず続ける。
「二十年くらい前までは、湖の女神に仕える聖職者でした。もっと直接、人助けをしたいと思って、運び屋を始めたそうです」
ホテルの玄関で、支配人が見せた淋しそうな横顔を思い出す。
「魔法は、知ってるとこなら一瞬で移動できますけど、他所に土地勘がないとどこにも跳べませんから」
「他所を知らない……アーテル生まれの……」
スキーヌムが半ば独り言のように口の中で呟いた。
「じゃ、これ紹介状な。宿に荷物置いて、とっとと年越しの用意しねぇと、売切れちまうぞ」
呪符屋の店主が、無地の封筒をカウンターに置いた。
スキーヌムが夢から醒めたように顔を上げる。
ロークはにっこり笑って受取り、背の高い椅子を降りた。
「ありがとうございます。よいお年を」
「おう。じゃあ、十一日、忘れんようにな」
「はい、お茶、ご馳走様でした」
ロークは紹介状をコートの内ポケットに捻じ込み、スキーヌムの手首を掴んで宿へ急いだ。大荷物の人混みを掻き分け、迷わず人通りの少ない方へ向かう。
「行商人や運び屋さんがよく使う素泊まりの安いことで、保存食はお正月休みの間、十日分は確保しないといけないんです」
早足で歩きながら説明すると、スキーヌムが速度を上げた。
紹介状を見せてチェックインすると、二人部屋に案内された。
ロークは部屋に着くなり、マフラーと手袋を毟り取ってベッドに放り出す。手提げ袋の蔓草を書き物机に出し、弁当の袋も、中身を出して袋だけを掴んだ。
スキーヌムを見ると、どうしていいかわからないようで、オロオロしていた。
「予備の袋、あったら貸してもらえますか?」
「えっ? あ、はい」
スキーヌムは大きな鞄を逆さに振って、布袋から服を引っ張りだした。
「じゃ、行ってきます。しっかり戸締りして、留守番お願いします」
待ってと言われた気がしたが、構わず戸を閉め、大股で宿を出る。
さっき通り過ぎ様に店頭を見た限り、保存食の類は品薄ではないが、前回より高くなっていた。
戦争の影響もあるのだろう。値切る人々は前回より殺気立っていた。
一旦、呪符屋に戻って、紹介状のお陰ですんなりチェックインできた礼を言い、トパーズを一粒、交換しやすい安価な呪符三十枚と換えてもらった。
ウェストポーチから【守りの手袋】を出して着け、ロークは一人、地下街チェルノクニージニクの通路を乾物屋へ急ぐ。
……料理が必要な干物や麺類はムリ、ナッツ、ドライフルーツ、堅パン、焼き菓子くらいなもんか。後は塩とお茶っぱ? 蔓草を摘むついでに、食べられる草もみつかればいいけど。
みんなと一緒に食べられる野草を摘んだのは、春から夏の終わりまでだ。真冬の今、確実に手に入りそうなのは傷薬の薬草くらいしか思いつかない。
レノ店長と薬師アウェッラーナから、生き延びるのに大切な智恵と知識をたくさんもらったのに、役に立てられないのが情けなかった。
買出し客と通路に溢れた商品でごった返す中をぶつからないように先へ急ぐ。
薬屋の看板が目に入った瞬間、ひとつ閃いた。
虫綿を避けて、薬草の葉だけを取って売ればいい。
新年初日の前日に採りに行けば、萎れないだろう。
……稼ぐのがこんなに大変だったなんてなぁ。
乾物屋の一軒は、通路に面したカウンターの奥に堅パンの箱や缶詰を山積みにしていた。
群がる客の頭越しに交換表を覗く。
現金価格と交換品の礼は、首都ルフスのショッピングモールと大差なかった。どんな仕入ルートか知らないが、他より少し安い。
……他所へ行ったらアーテルの現金なんてあっても使えないし。
ロークは【守りの手袋】を着けた左手で財布を持って値下げ交渉をした。
「三十パック買うから、五パックおまけして」
「このご時世にオマケなんてできないよ」
「じゃあ、他所で買うからいいよ」
立ち去りかけたロークを声が追う。
「飴玉付けたげるから待ちなよ」
「幾つ?」
「五つでどうだい?」
「五袋?」
「まさか! 五粒だよ」
「じゃあ、他所で買うよ」
カウンターに並んだ五人の店員と集まった客たちは似たような駆け引きを繰り返す。ロークは周囲の声を拾って真似た。
激しい攻防の末、現金一括払いで堅パン三十パックを買い、堅パン一パックと飴一袋をおまけに付けてもらえた。他の客に比べ、おまけが少ないから、ロークは競り負けたのだろうが、単に定価で買っただけよりずっといい。
来た時とは別の道を通って、茶舗で温香茶を一袋買う。少量なので定価で払うと、何も言わないのに塩の小袋を付けてくれた。
「サービスですよ。またご贔屓に」
「はい、ありがとうございます。よいお年を」
「よいお年を」
先程の通りより人の少ない道を宿へ急ぐ。
冬休み直前、金庫に預けたキャッツアイを換金してもらい、いつもより多く現金を持ち出せたが、生活費としては心許ない。
……宝石はなるべく節約した方がいいし、スキーヌム君にも宿代を出してもらわなきゃな。
ローク自身は、トパーズと傷薬で払うつもりだ。
スキーヌムが現金を幾ら持ち出したかわからないが、実家の人々の様子では、小遣いを与えられているように思えなかった。
参考書代などと言っていたから、きっと大した額ではないのだろう。
ロークのトパーズは残り九粒。
フィアールカがいつ、ゲンティウスの呪符屋に顔を出すかわからない。年明け後のアルバイトでは、食費を稼ぐだけで精いっぱいだろう。
……スキーヌム君が【魔力の水晶】を充填するバイトをしてくれれば助かるけど、無理強いできないしなぁ。
宿に戻ると、スキーヌムはコートを脱いで、散らかした荷物をすっかり片付けていた。さっきより随分、顔色がよくなっている。
ロークを迎えた笑顔にホッとして荷物をベッドに広げた。
コートのついでに、重ね着したパジャマと下着類も脱いでベッドに置く。
「そんなに着てたんですか。パジャマまで」
「お昼は持って来たサンドイッチ、夜は当分、あたたかいものを食べられないのでお店で。明日の朝は、持って来たクッキーと買ってきたお茶」
服の件には触れず、用件を告げる。
「堅パン一パックが一食分です。持ち切れないんで、取敢えず一人の十日分。おまけの飴は……十粒か。五粒ずつ山分け。塩は後で丁度いい袋が手に入ったら分けましょう」
「僕もお買物に……」
「いえ、スキーヌム君は留守番をお願いします。次、スキーヌム君の分を買いに行くので……」
「はい。お支払します」
本当は、まだ魔法使いだらけの街に出るのが怖いのだろう。待ってましたとばかりに鞄から札束を取り出した。
どう見ても財布に入り切らない。
ロークは声もなくスキーヌムを見た。
「事情は後で説明します。宿代もご一緒に、どうぞ」
「えーっと、取敢えず、買物の分だけ」
高額紙幣を三枚だけ財布に入れ、サンドイッチの包みを開いた。
☆偶々拾った【魔力の水晶】のせいでバレた……「809.変質した信仰」「810.魔女を焼く炎」参照
☆運び屋さんの連絡所……「175.呪符屋の二人」「176.運び屋の忠告」参照
☆外国に連れ出してくれる……「535.元神官の事情」「589.自分の意志で」「590.プロパガンダ」参照
☆アーテルを出てきた男の子と知り合いました……「197.廃墟の来訪者」~「199.嘘と本当の話」参照
☆信仰の矛盾に気付いて、星の標に協力する家族とは暮らせない……「568.別れの前夜に」参照
☆ラクリマリスの港で別れた……「574.みんなで歌う」参照
☆二十年くらい前までは、湖の女神に仕える聖職者……「535.元神官の事情」参照
☆レノ店長と薬師アウェッラーナから、生き延びるのに大切な智恵と知識をたくさんもらった……「224.見習うべき事」参照
☆金庫に預けたキャッツアイ……「742.ルフス神学校」「743.真面目な学友」参照
☆実家の人々の様子……「801.優等生の帰郷」~「803.行方不明事件」参照
☆スキーヌム君が【魔力の水晶】を充填するバイトをしてくれれば助かるけど、無理強いできない……「810.魔女を焼く炎」参照




