841.あの島に渡る
ロークは、奥の部屋で乳棒を動かしながら、こっそりカウンターを窺った。
スキーヌムは呪符屋の店主ゲンティウスの指示に従い、呪符を背後の棚に片付けている。
カウンターの背後には、小さな抽斗がびっしり並び、腰の高さから天井付近までを埋めていた。腰より下は、大きい物を入れる棚で、物体の鍵と術の【鍵】が掛けられ、中身はわからない。
カウンターの下も作りつけの棚で、来客に出すお茶の道具や、交換品などが収まっていた。
「力ある民が本当に邪悪な存在なのか、実際に見てみればいいと思うんですよ」
ロークがそう言って、スキーヌムを連れ出したのは、大晦日だ。
その数日前、ファンドゥム家の客間ではなく、スキーヌムの部屋で話した。
使用人も寄りつかず、彼は掃除なども自分ですると言う。ベッドと小さな箪笥、机と神学書だけが詰まった本棚の他は何もない。殺風景な部屋だった。
ベッドに並んで腰掛けて話すが、ロークは暖房器具もないことに悲しくなった。
戸惑い、言葉もなくロークを見詰める優等生に畳み掛ける。
「GPSで居場所がわかっちゃうから、端末は置いて行って、もし、後で何か言われたら、俺が光の導き教会を見てみたいって言ったからって言えば、誤魔化せますよ」
「卒業したら、ランテルナ自治区に配属されるかもしれないからって言うんですか?」
「それもいいでしょうね。本数は少ないですけど、朝と夕方にバスがあります。お昼ごはん断って出れば大丈夫ですよ」
スキーヌムは俯いてしばらく黙っていたが、顔を上げた時にはその目に決意が宿っていた。
……家族にとっては要らない子でも、アーテルのキルクルス教団にとっては、貴重な「奇跡を起こせる聖職者」だからな。
何かあった時には人質にしようと思っているのを気取られないよう、用意した言葉を並べる。
「教団は、スキーヌム君を大切にしてくれています。少なくとも、学長先生たちは全てを知った上で入学させたんですから、卒業したら無理して家族に関わらないで、信仰の為に生きた方が、世の為人の為ですよ」
「ローク君は、この戦争でアーテル……聖者様への信仰が勝ったら、魔法使いが多いネモラリスに帰って、聖職に就くんですよね? 怖くないんですか?」
スキーヌムの問いに最適と思える解答を返す。
「今まで信仰を隠して生きてきた人たちが、堂々と聖者様を信仰できるようになりますし、戦争前より気持ちの上では楽になりますよ」
「でも、魔法使いに襲われたりとか……」
「聖者様の教えを認めるって和平の条件を飲んだなら、警察や軍隊が取り締まってくれますよ。半世紀の内乱前から生きてる長命人種は、昔に戻っただけだと思うでしょうし」
スキーヌムは再び考え込んだ。
ロークはタブレット端末で、ランテルナ島行き路線バスの時刻表を確認した。
始発は五時台だ。
端末を膝に置いて励ます。
「スキーヌム君には、教団が居場所を用意してくれてるじゃありませんか。それに、卒業したら、君と同じ立場の先輩聖職者を紹介してもらえるでしょう。君は決して、ひとりぼっちじゃありません」
スキーヌムが顔を上げた。
そこには、新しい朝の光を浴びたような晴れやかな微笑みがあった。
翌朝、ロークは着替え用に持ってきた下着を全て身に着け、寝巻の上から普段着を重ね着し、手提げ袋をコートのポケットに捻じ込んだ。
ウェストポーチには元々入れていた財布と宝石の小袋、【守りの手袋】片方の上から、靴下を詰められるだけ詰めた。
着膨れて動き難いが、宿に着くまでの辛抱だ。
誰も居ない食堂に行くと、食卓に小さな手提げ袋がちょこんと乗っていた。傍らに使用人のメモがある。朝食と昼食のサンドイッチ二人分と、保温できる水筒に紅茶を入れてあるらしい。
前夜、スキーヌムが打ち合わせ通りに「遠出するから」と昼食を断ってくれたお陰だ。お手拭きと、デザートにドライフルーツとナッツ入りのクッキーも入っていた。
……四食分くらいになるかな。
「端末、置いてきましたよね?」
「はい。大丈夫です」
「じゃ、行きましょう」
「はい」
四時過ぎに家を出た。
まだ星が瞬く濃紺の空の下、二人の吐く息がLEDの街灯に照らされ、白く輝いて消える。
スキーヌムにも、寒いだろうから下着を重ね着するように言っておいた。素直に実行したらしく、寒がる様子はない。
夜明け前の街は、そこかしこに雑妖が漂っていた。
スキーヌムの実家からは、ランテルナ島行きのバス停まで少し距離がある。
二人はマフラーを口許まで上げ、ゆるやかな坂を下った。ロークは道々、駐車場のフェンスに巻き付いた蔓草を採る。
「それ、どうするんですか?」
「蔓草細工を作ろうと思って……」
「へぇー……」
スキーヌムはそれ以上言わず、採るのを手伝ってくれた。枯れ葉を毟るのは後回しにして、ポケットから出した手提げ袋に入れる。
針子のアミエーラが作った袋だ。
ロークは金髪に縁取られた儚げな笑顔を思い出した。長命人種の親戚に会えた彼女なら、キルクルス教の信仰を捨て、力ある民としてちゃんとやって行けるだろう。
アミエーラの祖母は、半世紀の内乱前にキルクルス教徒と結婚していたと言っていた。
……昔は、それができたんだからな。
無人のバス停で枯れ葉を毟り、備え付けのゴミ箱に捨てる。
「冬は枯れて硬くなるので、しばらく水に漬けてやわらかくしてから編むんですよ」
「へぇー。ロークさんにこんな趣味があったなんて、意外です」
ロークは笑って誤魔化した。
まだ、本気の収入源だとは明かせない。食費の足しくらいにはなるだろう。
空の端が仄白く染まる頃、始発がやってきた。
南ヴィエートフィ大橋を渡り、カルダフストヴォー市のバスターミナルで降りるまで、二人は用心して一言も喋らなかった。
年末年始、大抵の会社は休みだ。
ランテルナ島のバスターミナルには、二人の他、誰も居なかった。流石にこの時間では、クロエーニィエの店はまだ開いていないだろう。
二人はバス停のベンチでサンドイッチを食べ、言葉少なに紅茶を飲んだ。
「一応……光の導き教会の地図、印刷してきました」
スキーヌムがポケットから紙を出して広げる。
ロークは手提げに水筒を戻して立ち上がった。
光の導き教会は、カルダフストヴォー市内ではなく、ランテルナ島西端に位置する。教会を中心にキルクルス教徒の村が形成され、中部基地の駐屯兵も礼拝に行く。
ここからは島を一周する路線バスで行けるが、年末年始の休みで元々少ない本数は更に減っていた。
バス停に貼られた臨時ダイヤを見上げ、スキーヌムが溜め息を吐いた。
「二時間くらいありますね。どうしましょう?」
「ちょっとその辺、見物しましょう」
ロークは初めて来たフリで促した。
夏に星の標が起こしたテロの痕跡は、流石にもうどこにもない。
スキーヌムが、物珍しげに人通りの少ない早朝の街を見回した。
「何か面白い物、ありました?」
「面白いって言うか、思ったよりカラフルな街だったんですね」
「あぁ……ビルのタイルは、建物を守る呪文ですよ。どれがどの術って言うのまでは知りませんが、ネモラリスの古い建物もこんな感じですよ」
「建物を守る……魔法」
スキーヌムが呟いて、タイル貼りの雑居ビルを見上げる。その横顔に魔術に対する嫌悪感はなかった。
☆家族にとっては要らない子/奇跡を起こせる聖職者/学長先生たちは全てを知った上で入学させた……「810.魔女を焼く炎」参照
☆彼女なら、キルクルス教の信仰を捨て、力ある民としてちゃんとやって行ける……「091.魔除けの護符」参照
☆長命人種の親戚……「548.薄く遠い血縁」参照
☆アミエーラの祖母は、半世紀の内乱前をにキルクルス教徒と結婚……「090.恵まれた境遇」「260.雨の日の手紙」「295.潜伏する議員」参照




