840.本拠地の移転
魔装兵ルベルは動けなかったが、魔哮砲はラズートチク少尉をじっと見る。
どこからか、この部屋の戸口に【跳躍】で戻り、膨らんだ手提げ袋を肩から提げていた。
少尉は、ルベルと魔哮砲が座るソファを回り込み、袋をローテーブルに置いた。ルベルは使い魔の視覚情報を遮断し、自分の目で向かいのソファに腰掛けた少尉を見る。
魔哮砲もぬるりと動いた。どうやら、少尉に向き直ったつもりらしいが、全身真っ黒な不定形の魔法生物のどこがどう前後左右なのかわからない。
ラズートチク少尉は、何の表情もない顔で袋の中身を出した。
四角い紙包み、ドライフルーツの袋、堅パンのパック。紙包みはふたつだけで、他は数日分ずつ、二人分あった。
「昨夜はご苦労だったな。情報収集と食糧調達に行って来た」
紙包みをひとつ差し出され、魔哮砲から手を離して受取る。
サンドイッチらしい。
魔哮砲は人間のたべものには興味を示さず、ルベルの膝の上から動かなかった。
「……ありがとうございます。こちらこそ、昨夜は的確な誘導、恐れ入ります」
「構わん。これが、我々の任務だ」
何事もなかったかのように話を続けられ、ルベルは複雑な気持ちになった。
……少尉の命令がなかったら……俺一人だったら、ネモラリス人のゲリラが居る敵軍基地を攻撃できなかったろうな。
実行しなければ、より多くのネモラリス人が犠牲になるとわかっていても――
少尉は、包みを解いてサンドイッチにかぶりついた。
遅い昼食を水で流し込み、包み紙を丁寧に畳んでテーブルに置く。
「……ところで、先程からそれはどう言う状態だ? 魔哮砲が邪魔で食えんのなら、一言『降りろ』と命じればよかろう」
「あっ、えー……その……この部屋の中で、好きな場所に居ろって言ったら、膝に乗られました」
「随分、懐かれたものだな」
少尉の苦笑には嘲りの色がない。
ルベルは思い切って聞いてみた。
「あの……この戦争が終わったら、魔哮砲はどうなるんですか?」
「どう言う終わり方をするかによるな。……その使用が戦争犯罪として裁かれることになろうとも、お前がどうこうされることはない。せいぜい、シクールス陸軍将補辺りが……」
「魔哮砲は、どうなるんですか?」
上官の話を遮ってしまったが、少尉は、一介の魔装兵の無礼を気に留める風もなく、闇の塊を見て答えた。
「戦争の終わり方によって、誰が決定し、命令を下すかは変わるが、行動自体は変わらん。魔哮砲は再び封印され、人の手が届かぬ場所に置かれる」
ルベルは思わず、腕の中のぬくもりを抱き締めた。不定形の闇は大人しく、されるがままになる。
「情が移ったのか? それがどれだけ危険な存在か、お前が一番よく知っておろう?」
頷くことしかできない。
昨夜は、イグニカーンス基地から陸路で移送された無人機も破壊し尽くした。
少尉が唐突に話題を変える。
「ネモラリス憂撃隊は、ランテルナ島に引越した」
「えっ?」
「ランテルナ島の店で買物をしていたら、偶々、連絡係の老婦人と顔を合わせてな……」
老婦人シルヴァ曰く、ネモラリス憂撃隊が、名もなきゲリラだった頃から、北ザカート市の拠点は武器庫として使っていた。
力なき民でも扱える銃火器を蓄え、訓練場所にも近い為、復讐を誓った者たちが使用を継続し、代表者のオリョールたち、軍の意向に従う穏健派は、ランテルナ島の森にあるシルヴァの親戚の別荘に身を寄せたと言う。
「アーテル領に別荘……ですか?」
「旧王国時代からある物件で、力ある民でなければ立ち入れんそうだ」
ラズートチク少尉が続ける。
買物帰りに拠点のひとつ、カルダフストヴォー市内の民家で話をした。
ネモラリス憂撃隊は分裂したが、老婦人シルヴァは勧誘を続けると言う。本人の様子を見て、連れて行く先を北ザカート市の復讐派とランテルナ島の穏健派に振り分ける。
「私も気を遣ってるんですのよ。復讐したい人たちが、オリョールさんたちと鉢合わせしたら、喧嘩になるでしょうからね。国民を見殺しにした軍に尻尾を振ったって……」
「力ある民の復讐派が新しい拠点に乗り込むと言うのか?」
「アクイロー基地の作戦までは、治療拠点として使っておりましたが、癒し手が抜けてしまいましたものですから、知っているのはほんの数人……その人たちはみんな穏健派に入りましたよ」
双方と関わるシルヴァは、この状況をどう思っているのか。
淡々と語る様子からは、その心を窺い知れなかった。
「復讐派の中には、この戦争が終わったら、政府軍に身内を見殺しにされた仕返しをする、と言う人が居りますのよ」
「生き残っていればの話だがな」
「そうでもありませんわ」
「何?」
「今だって【涙】になっても戦いをやめない人がいるんですよ。兵隊さんから返り討にされても、【魔道士の涙】が魔物を呼び寄せるんじゃございませんか?」
老婦人シルヴァは、品のいい笑みを浮かべ、サロンで世間話でもしているかのように語る。
「癒し手たちが出て行ったのは、アクイロー基地の作戦から戻った人たちが、後方支援の女の子に悪さしたからなんですよ」
「女子供も加わっているのか」
「治療のお手伝いをしてくれてたんですのよ。あの子たちも、癒しの術が少し使えましたから、大事には到りませんでしたけれど、オリョールさんが、悪さした人たちを始末して……でも、みんな出て行きました」
先日見たオリョールの様子では、本当に血の粛清を実行したのだろう。
今頃は、ルベルがベラーンス基地のついでに彼らを消し去ったことを喜んでいるかもしれない。
「ネモラリス憂撃隊分裂の件は、既に報告を上げている。我々は、与えられた任務を確実に遂行するのみだ。いいな?」
「はい」
一介の魔装兵に過ぎないルベルには、拒否権などない。断れば始末されて、別の誰かが魔哮砲と【使い魔の契約】を結ぶだけだ。
残る敵軍基地は、フリグスとランテルナ島中部と北部の計三カ所のみ。
ルベルは、サンドイッチにかぶりついたが、味はよくわからなかった。




