839.眠れる使い魔
昨夜の疲れと寝起きの半覚醒で、思考が上手く回らない。全ての感覚に現実感がなかった。全身を半透明のゼリーに包まれているかのようだ。
魔哮砲はルベルの命令通り、大きなローテーブルの下にみっしり詰まっている。
……寝ろって命令したら、ホントすぐ寝るんだな。
目鼻も何もない闇の塊は、犬猫のように寝顔が可愛いなどと言うことはなく、起きているのか寝ているのかさえ、外見からは判然としない。
それでも、【使い魔の契約】を交わしたルベルには、魔哮砲が「眠っている」のが感じられた。
……魔法生物って、寝るもんなんだな。それとも、俺が命令したから? ひょっとして、「起きろ」って命令しない限り、起きない?
ローテーブルの傍らにしゃがみ、指先でそっとつついてみる。
やわらかな闇に指先が浅くめり込んだ。人肌よりほんの少しあたたかい。掌でそっと撫でてみたが、これと言った反応はなかった。
ふにゃふにゃと頼りなく、あたたかな塊を撫で回しながら、今まで触れた物の中で似た感触の物がなかったか考える。
ゼリーよりもやわらかいが、同時に丈夫でもある。
魔哮砲は、ツマーンの森でアーテル兵に撃たれたが、この身は弾丸をやわらかく受け止め、無傷で落葉の上に排出した。勿論、魔法生物の身は、この世の武器では傷ひとつ付けられない。
このあたたかな塊に人殺しをさせてしまった。
敵兵だけでなく、ネモラリスの民間人まで基地諸共、吹き飛ばした。
魔哮砲は【使い魔の契約】によって、魔装兵ルベルに縛られている。
何を考えているかわからないが、少なくとも快不快の感情はあるらしい。魔法のインク【見鬼の色】を掛けようとしたら、嫌がってツマーンの森を逃げ回った。
……コイツは、イヤな物を持って追っかけ回した俺をどう思ってるんだろう?
魔法生物は元々、人間が使役する為に創り出したものだ。人に懐く性質を付与されたモノが多いと教えられた。
ルベルの使い魔となった魔哮砲は、「机の下で寝ていろ」との命令を忠実に守り、ローテーブルの下からはみ出さないよう、きっちり四角く収まっている。
……さっきの夢。
ルベルは人間なので【従魔の檻】に入ったことはない。だが、あれは小瓶に詰められた魔哮砲の視点ではなかったろうか。
アーテル軍の基地を破壊し、潜伏場所へ戻る度に魔法の小瓶に押し込める。この作戦の為に用意された【従魔の檻】は、まだたくさんあった。
人間の都合で出したり入れたり、自由を奪われた上に窮屈な思いをさせられて、嫌がっているかもしれない。
怒っているかもしれない。
恨んでいるかもしれない。
憎んでいるかもしれない。
「起きろ」
力ある言葉に魔力を籠める。その呟きで、闇の塊が震えた。
ローテーブルの脚の間から古ぼけ色褪せた絨緞の上にとろりと広がる。
……やっぱり、窮屈だったんだ。
「その上に乗れ。起きていたければ起きていろ。眠くなれば、寝ろ」
ルベルは向かいのソファを指差して、力ある言葉で命じた。魔哮砲自身の眠気を基準に条件付けしてみたが、命令の後半を理解できたかどうかはわからない。
ぬるりとソファに這い上がり、不定形の身がこぼれ落ちないように丸まって落ち着いた。
……そうか。作りかけのパン生地に似てるんだ。
肘掛が気になるのか、収まりに納得いかないのか、両端がむにょむにょ落ち着きなく波打つ。
ルベルは立ち上がり、トレンチコートの内ポケットを探った。薄く硬い感触。タブレット端末を取り出し、ウェストポーチの充電器に繋ぐ。日当たりのいい窓辺に置いて、ソファに戻った。
太陽の光を電気に変換すると教えられたが、どう言う仕組みなのか想像もつかない。漠然と、途轍もなく高度な科学技術なのだろうと思う。
ネモラリス共和国の街や村を焼いた爆撃機は、大半が無人機だった。
……心を与えられなかった……科学が作ったゴーレム。
ルベルがどんなに頑張って【索敵】を使っても、ネモラリス領内からはアーテルが見えない。術の効果範囲の限界があるからだ。個人の能力によってある程度は伸ばせるが、それにも限度があった。
ルベルたちが危険を冒してアーテル領に潜入したのは、【索敵】による視認範囲の限界のせいだ。
アーテル兵は、ネモラリスの攻撃目標から遠く離れた自国領の基地から、無人機を遠隔操作する。どうやって攻撃目標を把握し、爆撃機の位置を確認して衝突を防いでいるのかわからなかった。
ラズートチク少尉には、未知の単語を並べられた。
「衛星写真と、GPS誘導、無人機本体に搭載したカメラだ。気になるなら調べても構わんが、我々の任務にはほぼ無関係だ。無人機本体のカメラ以外は、魔哮砲の届かないところにある」
タブレット端末の扱いには慣れてきたが、まさかそんな軍事機密までインターネット上に公開する筈がないと思い、調べなかった。
この作戦で、アーテル軍の基地をじっくり観察して、わかったことがある。
アーテルでは、兵舎に住む者は少数派で、多くは基地周辺の集合住宅や一戸建てに家族と共に住む者が大半だ。
科学文明国のアーテルには、魔法の眼や耳を遮る術が施された建物はない。
ルベルは、数人の兵士を自宅まで【索敵】の眼で追跡した。
飛行機のゴーレムを扱う操手たちは、出撃命令がない今もほぼ毎日、基地に通勤し、操作の訓練をして我が家に帰る。【索敵】では会話の内容はわからないが、家族揃って食卓を囲み、談笑する姿にルベルの心はささくれた。
自宅でもタブレット端末をいじる者が多い。
五勤二休で、休日には子供と遊ぶ者もいた。
ルベルには、彼らが会社勤めと同じ感覚で任務に着いているように思えてならない。
彼らは、ネモラリスの街や村を焼き払い、多くの陸の民と湖の民、力ある民と力なき民、戦う意思と力を持つ者と持たない者、すべてまとめて殺戮した。
飛行機のゴーレムを使役して無差別大量虐殺を行った日にも、今と同じように家族が待つ家に帰り、あたたかな食卓を囲んだのかと思うと、惨めで情けなくなった。
……魔哮砲を使役する俺と、飛行機のゴーレムを使役するあいつら。何がどう違うんだ?
魔哮砲は、魔法生物であることを理由に国際社会から批難を浴びせられた。
同じ人殺しであるにも関わらず……いや、ルベルは少なくとも、非戦闘員は殺していない。民間人の財産も奪っていない。それどころか、アーテル本土の街から雑妖を祓い、アーテル人に安全を与えてさえいた。
魔哮砲は、雑妖をその身に取り込み、魔力に変換する。
アーテル共和国の穢れが生み出した雑妖、アーテル人の心の闇が生み出し、或いは呼び寄せた雑妖。その力をそのままアーテル人に返しただけだ。
アーテルの街が霊的な穢れを帯びていなければ、魔哮砲はここまでの威力を発揮できなかった。
確かに、ムラークの言う通り、魔哮砲は危険な存在だ。だが、人々を殺す為だけに作られた飛行機のゴーレムより、遙かにマシだと思えた。
ソファの傍らに膝をつき、やわらかな闇に半身を預ける。
魔術によって創り出されたとは言え、魔哮砲は生き物だ。ぬくもりに頬を寄せ、抱きかかえる。鼓動は感じないが、確かに生きていた。
「この部屋の中で、好きな場所に居ろ」
力ある言葉で命じたが、魔哮砲は移動しなかった。
とろりと垂れた端がルベルの足を伝い、絨緞に落ちる。
……俺に捕まってると思って動かないのか?
上半身を起こして手を離す。トリモチのようについてきた。
ソファの端が空く。ルベルが腰を降ろすと、膝の上にするりと乗った。
闇の塊は、殆ど重さを感じさせない。密度の低い綿の塊を抱いているようだ。肘掛に置いた腕に魔哮砲が寄り掛かり、闇の端をルベルの肩に乗せる。
……俺から雑妖が……? いや、涌いてない。
空いた手で何となく闇の塊を撫でてみる。
「何をしとるんだ、お前は……」
ラズートチク少尉の呆れた声に全身が硬直し、汗がどっと噴き出した。
☆【使い魔の契約】を交わしたルベル……「776.使い魔の契約」参照
☆魔哮砲は、ツマーンの森でアーテル兵に撃たれた……「488.敵軍との交戦」参照
☆魔法のインク【見鬼の色】を掛けようとしたら、嫌がってツマーンの森を逃げ回った……「486.急造の捕獲隊」「487.森の作戦会議」、「523.夜の森の捕物」参照
☆魔法の眼や耳を遮る術……「253.中庭の独奏会」参照




