834.敵意を煽る者
焚火の外は闇だ。
防壁に囲まれた灯の群がペルシーク市の範囲を示し、そのずっと北に漁村や農村の小さな光の塊が点在する。
小さな魔物の群が、魔法使い六人掛かりで作った【簡易結界】の外を横切る。雪の上に足跡は残らなかった。
……ぷらいばしーって何なんだよ。クソッ!
何だかわからないもののせいで、少年兵モーフは一人だけ、ロークが何者なのか教えてもらえなかった。
……ローク兄ちゃんが、隠れキルクルス教徒だったなんて!
魔法の護符を持っていて、ドーシチ市の薬師見習いから魔法の手袋を受け取り、道中のトラックやランテルナ島の拠点では、魔法の訓練までしていた。
高校式の鍛錬を教えてくれたあのやさしさは、嘘だったのか。
……湖の神殿なんか行ってた癖に!
みんなにロークが何者か教えられて以来、モーフはずっと、仲間に隠しごとをされた苛立ちと疎外感に囚われていた。だが、それも、ついさっき聞いたDJレーフとクルィーロの報告で吹っ飛んだ。
「ネミュス解放軍の支部だって? 星の標じゃなくって?」
驚きと疑問が口を突いて出る。
支部で珈琲を飲んだと言う二人は、同時に頷いた。
DJレーフがソルニャーク隊長を見て報告を続ける。
「ペルシークにも星の標の支部があることまでは、伝えてません。彼らがどう出るかわからなかったんで」
「下手を打てば、市街戦になるな。賢明な判断だ」
「明日の朝イチにここを発ちましょう」
怯えた声を出したのは、この間加わったばかりの老漁師だ。この臆病な老人は、薬師のねーちゃんの兄貴だと言う。
……このじーさん、やっぱあの街に置いて来た方がよかったんじゃねぇか?
焼魚につられて反対しなかったのをうっすら後悔する。
DJレーフが首を横に振った。
「ネミュス解放軍の支部で、臨時放送するって言っちゃいましたし、いつも通りやった方がいいんですよ。住民の為にも」
「ここの支部は魔物や魔獣の駆除が主な任務で、地元の警察と協定を結んで防犯パトロールもしてるって言ってましたよ」
クルィーロが、老人を宥めようと、自分の妹に言い聞かせるのと同じやさしい声音で言う。漁師の顔から、不安の色は消えなかった。
薬師のねーちゃんが、一緒に行ったモーフを見詰めて報告する。
「私たちは今日、南地区の公民館と商店街に行って来たんですけど、そこでも気になる話を聞いて……今のを聞いて、解放軍の人たちに教えた方がいいかどうか、迷ってます。もう知ってるかも知れませんけど」
「どんな話ですか?」
ラジオのおっちゃんが身を乗り出す。
「モーフ君が気付いたことなんですけど……」
「やけに自治区に詳しい奴が、湖の民を煽ってたんスよ」
「自治区に詳しい? 何者だ?」
ソルニャーク隊長がマグカップを持ち直して聞く。
ピナが、不安がる妹を抱き寄せた。
「一人じゃなくて、何人も居たッス。商店街のあちこちで、立ち話してる地元の奴に一人ずつ混じって、『自治区の奴らはバルバツムの寄付でぬくぬくと暮らしてて、ゼルノー市を差し置いてどんどん復興してる』って」
「人種は?」
「陸の民ッス。魔法使いかどうかわかんねぇッスけど」
「服に呪文が入ってなかったので、多分、力なき民だと思います」
薬師のねーちゃんは、あいつらの服までじっくり見ていたらしい。何となく負けた気がして悔しかったが、今はそれどころではない。
「自治区の奴はアーテルと手を組んで、空襲の前からゼルノー市を焼き打ちしたとか、アーテルは宣戦布告で自治区民の救済をするって言ってたから、自治区を叩き潰してキルクルス教徒を追い出さなきゃ、戦争が終わんねぇとか何とか」
「他にも色々……自治区の様子を詳しく話してて、地元の人にどうしてそんなに詳しいのか聞かれたら、クーデター前に帰国したけど、それまではラクリマリスに居て、あっちのニュースで知ったって言ってたんですけど……」
「ファーキル兄ちゃんがアレで見せてくれたニュースより、ずっと詳しかったんス」
クルィーロが、父に「あれって何だ?」と聞かれ、小声でタブレット端末とインターネットの説明をする。
「そいつら、戦闘服着た奴らにもそれ言ってて……あの軍人っぽいのがネミュス解放軍なんスか?」
「戦闘服の人たち、白い腕章巻いてた?」
父への説明を終えたクルィーロが、マントの左肩を指差して聞く。
そこまでは見ていない。
薬師のねーちゃんを見ると、はっきり頷いた。
「えぇ。ひとつの花の御紋の下に水滴が描いてある腕章ですよね?」
「それが、ネミュス解放軍の旗印です」
みんなに動揺が広がり、ピナが妹をぎゅっと抱きしめた。
クルィーロが、父にしがみつく妹から目を逸らして焚火を睨む。
「解放軍の人たちは、今年に入ってからペルシーク支部を作って、今月、警察と協定を結んだって言ってました」
「あっちで聞いた限り、星の標の支部の方が先だな」
葬儀屋アゴーニが言うと、つい先日までヴィナグラートで働いていた老漁師が青くなった。
「じゃあ、ヴィナグラートの爆弾テロもキルクルス教徒が?」
少年兵モーフが知る限り、あいつらが流した話は全部、本当のことだ。
星の道義勇軍の一員として、ゼルノー市で戦ったのを今更後悔する気はないが、こんな遠くで、全然知らない奴らからネタにされるのは癪に障った。
ソルニャーク隊長が、穏やかな声で老漁師に聞く。
「その爆弾テロは、星の標が犯行声明を出したのですか?」
「い、いえ……私が知らないだけかもしれませんが……ただ、まぁ、爆弾積んだ車で市場や神殿に突っ込むのは、彼らの常套手段ですから」
隊長は、自信なさそうな答えに力強く頷いてみせた。
「これまでの様子から、恐らく、犯行声明は星の標のラニスタ本部が、インターネット上で……」
「ラニスタ? ヴィナグラートから、キルクルス教徒がどうやって知らせるんです?」
老漁師が、隊長の話の腰を折った。
咎める者は居ない。
時が止まったように静まり返った野営地に、遠くから何かの吼え声が届いた。
☆少年兵モーフは一人だけ、ロークが何者なのか教えてもらえなかった……「808.散らばる拠点」参照
☆魔法の護符を持っていて……「070.宵闇に一悶着」参照
☆ドーシチ市の薬師見習いから魔法の手袋を受け取り……「283.トラック出発」「288.どの道を選ぶ」参照
☆道中のトラックやランテルナ島の拠点では、魔法の訓練までしていた……「293.テロの実行者」「321.初夏から夏へ」「354.盾の実践訓練」参照
☆高校式の鍛錬を教えてくれた……「329.高校式筋トレ」参照
☆湖の神殿なんか行ってた……「541.女神への祈り」「542.ふたつの宗教」参照
☆ペルシークにも星の標の支部がある/あっちで聞いた限り、星の標の支部の方が先……「808.散らばる拠点」参照
☆この間加わったばかりの老漁師……「824.魚製品の工場」~「829.二人の行く道」参照




