833.支部長と交渉
クルィーロとDJレーフが案内されたのは、タイル張りの雑居ビルだ。
ランテルナ島のカルダフストヴォー市で見た様式で、タイルに描かれた【巣懸ける懸巣】学派の呪文や呪印で、様々な防護の術が巡らせてある。
一階の通りに面した扉に「ネミュス解放軍ペルシーク支部」と大書した木製の看板を堂々と掲げていた。
元は喫茶店だったらしい。
年季の入ったカウンターは磨きこまれ、飴色の光沢にうっすら落ち着いた店内を映す。上等のテーブルと椅子、壁の腰板、柱なども古びているが、手入れが行き届いていた。
かつては食器が収まっていたカウンター奥の棚には、銃や剣などの武器、書類を閉じたファイル、ラベルの貼られた箱などが整然と収まる。
十数席のテーブルは半分くらいが埋まり、案内の男たちと似た民生品の【鎧】を纏った男女が、数名ずつ分かれて座っていた。入口に近い席では、地図を前に打合せをしている。
見える範囲に居るのは全部で二十九人。湖の民だけでなく、陸の民も居た。
クルィーロはざっと見て、ネミュス解放軍ペルシーク支部の様子を頭に叩き込んだ。
「支部長、情報屋、連れて来ました」
一番奥の席の男性が書類から顔を上げ、無言で手招きした。
レーフとクルィーロが木製の重厚な椅子に腰掛けると、二人の背後に案内の兵士が立った。
どこからか香ばしい香りが漂う。
書類を脇に寄せたテーブルに、三人分の珈琲が運ばれてきた。
「えっ? いいんですか?」
輸入が滞り、今となっては贅沢品だ。
初老の湖の民は、口許に淋しげな笑みを浮かべた。
「構わんよ。ここは元々俺の店で、出し惜しんだところで劣化するだけだ。……もう古いから、味の方は保証できんがね」
「いえ、そんな……珈琲なんて何カ月振りか……」
「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」
二人は、久し振りの豊かな風味を素直に喜んだ。
支部長が目尻を下げ、自分も一口啜る。
「さぁ、あんたたちも忙しいだろうから、飲みながら話してくれんか。西グラナートとヴィナグラートの呪符泥棒の件」
「この珈琲の分だけ話せばいいですか?」
DJレーフが、見るからに高価なカップを掲げると、支部長は苦笑した。
「もっと情報があるなら、その分も出そう」
「報酬、物じゃなくてもいいですか?」
「何だ?」
「安全に放送する権利です」
クルィーロは、DJレーフの大胆な提案にひやりとした。
……喧嘩売ってると思われたら、どうしよう。
彼にどんな策と計算があるのか。カップに唇をつけたまま、香り高い湯気の向こうの支部長を窺うことしかできない。余計なことを言ってご破算にするのだけは避けたかった。
「犯人の報復が怖いのか?」
「それもありますけど、捜査の邪魔だって、警察に放送を中止させられるのは、もっとイヤですね。街の人に注意喚起したいんで」
「あぁ、放送で用心して、河岸を変えるかも知れんのだな」
……国営放送のジョールチさんが居るってわかったら、この人たちに敵認定されそうで怖いんだけどな。
流石にそれは口が裂けても言えない。
DJレーフはその件に触れず、話を進めた。
「FMのイベント放送車なんで電波伝搬範囲が狭くて、市内全域に届けるには、場所を変えて何回か再放送しなきゃいけないんですよ。雪が降らなければ、大体、十日から二週間程度で次の街へ移動します」
「その間の護衛か……こっちも人手が余ってるワケじゃないんだが、まぁ、内容次第だな」
支部長はカップを置き、ソファに身を沈めた。
「呪符泥棒は、西グラナート市より東の大きい街でも、連続発生しています。共通点は、被害者が仮設住宅に身を寄せる力なき民で、盗品が役所やボランティアが無料配布した【耐寒符】であることです」
「それは、こちらの警察署も把握している」
支部長が頷いて先を促す。
DJレーフは、アナウンサーのジョールチのような口調で続けた。
「盗まれた街や周辺の村で【耐寒符】を売りに出したり、交換品として渡した人は居ません」
「カップ三分の一」
「ドアの鍵は、術の【解錠】ではなく、工具のような物で物理的にこじ開けられていました。力なき民なのか、【解錠】の呪文を知らない力ある民の犯行なのか、犯人像は絞り込めていません」
「カップ半分」
支部長の採点は辛口だ。
クルィーロは唇をつけただけのカップをそっとソーサーに乗せた。
「単独犯か、組織的な犯行か、現時点では不明ですが、少なくとも、西グラナート市の犯人の目的は、転売や自分で使うことではなさそうです」
「何でそう思うんだ?」
「今の、幾らですか?」
支部長はぐっと詰まり、クルィーロを見て言った。
「理由も言えば、もう一杯の半分くらいは行くだろう。マントの兄ちゃん、冷めない内に飲んでくれ」
「はい」
クルィーロがカップを両手で包んで唇に寄せると、DJレーフは理由を口にした。
「西グラナート市内で【耐寒符】の欠片が発見されました。焼け焦げていましたが、発見場所には灰など、何かを燃やした痕跡はなく、どこかで焼いた時に風で飛ばされたのだろうとのことです。単なるイヤがらせか、自宅で使用しようとしたものの発動の呪文がわからず、証拠隠滅したのか……焼却の理由は不明です」
「遺留品が出たのか。それ、全部飲んでいいぞ」
クルィーロは一口飲み、舌の上で久し振りの苦味と微かな酸味を転がした。後味の遠くにうっすら果実の名残を感じる。ドーシチ市の屋敷で出された高級品と同じだと気付いた。支部長の言う通り、劣化したから果実感が薄いのだろう。
「それだけか?」
「呪符泥棒については、それだけです」
「護衛代になるネタがあるんだな?」
支部長がソファから身を起こし、カップを取る。DJレーフも一口飲んで質問した。
「ここに居るみなさんは、力ある民ですね?」
「あぁ、それがどうかしたか?」
「旧王国時代生まれの長命人種の方は?」
「今ここに居る中じゃ、俺だけだ」
ネミュス解放軍ペルシーク支部長は、葬儀屋アゴーニと同年代らしい。
DJレーフは、淡々とした口調で、これまであちこちの避難所や仮設住宅で耳にしたボランティアのスローガンを全て並べた。
……暗記してんのか! スゲー……!
クルィーロは、聞けばわかる程度にしか覚えていない。自分の記憶力が情けなくなった。
「ボランティアの連中がしょっちゅう言ってるな。腹の足しにもならん……気休めだ」
「支部長さん、聞き覚えありませんか?」
DJレーフが緑の瞳を覗き込む。
「ん? ……どっかで聞いたような言い回しだが、励ましの言葉なんざ、どれも似たようなもんだろ」
「それじゃあ、これはどうですか?」
DJレーフは、ソルニャーク隊長から教わったキルクルス教本来の祈りの詞を諳んじてみせた。
幸いへ至る道は遠くとも、日輪が明るく照らし、道を外れぬ者を厄より守る。
道がひととき闇にあろうとも、月と星々の導きを見失わずば、夜明けに至る。
聖者キルクルス・ラクテウス様。
闇に呑まれ塞がれた目に知の灯点し、一条の光により闇を拓き、我らと彼らを聖き星の道へお導き下さい。
支部長の顔色が変わり、テーブルに身を乗り出す。兵士たちの警戒で空気が張り詰め、クルィーロの肌に刺さった。
「どこで、それを……?」
「ご存知でしたか。幾ら出します?」
「この街に居る間、ずっと護衛しよう。それも、放送するのか?」
「まさか。そんなことをすれば、クレーヴェルみたいに力なき民への私刑が横行しますよ。誰が流行らせてるのか、こっそり調べるくらいしか……」
「そうか……そうだな」
支部長はソファに身を預け、腰を浮かせた部下たちに手振りで座るよう促した。
「ギアツィントで、長命人種の葬儀屋さんたちに教えてもらいました。俺たちも、どこで流行ってるか調べる為に手帳に控えて……今じゃすっかり暗記しちゃいましたよ」
「俺はまだ空覚えで……でも、聞けばわかるんで、さっき、湖の民のボランティアの人が言ってて、凄くびっくりしたんですけど……」
「まさか、あいつが……?」
支部長が蒼白になる。
「流行ってるし、イイ感じのコトバだから、何となく言ってるだけの人が大半ですよ。だから、迂闊な行動は起こせないんですけど」
「そうだな。じゃあ、ボランティアセンターにも調査を頼……むのはダメだな。既に入り込まれてるかもしれん。クソッ!」
支部長はソファに拳を叩きつけた。
DJレーフの背後に立つ兵士が、恐る恐る聞く。
「ボランティアに盗人が居るんですか?」
「もっと性質が悪い。……今から言うことは、他言無用だ。絶対に勝手な真似するんじゃないぞ」
支部長は立ち上がり、店内を見回して言った。
「さっき、情報屋が並べたスローガンは、全部キルクルス教のお祈りの文句を改変したものだ」
部下たちに動揺が走り、店内に殺気が満ちる。
「今、言ったように流行ってるから、ワケもわからず言ってる奴が大半だ。あれを口走ってる奴が居ても、そいつに手出しするんじゃない」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
武器の手入れをしていた女兵士から、鋭い声が飛んだ。
「そいつには一切、何もすんな。いつ、どこで、誰が、何て言ってたかだけ、俺に教えてくれ。ある程度、情報が集まってから、次の指示を出すからな。絶対に独断で先走った真似するんじゃないぞ」
支部長が、繰り返し念を押す。
DJレーフは、兵士の一人が寄越した紙にボランティアのスローガンと、キルクルス教の祈りの詞を並べて書いた。
☆FMのイベント放送車なんで電波伝搬範囲が狭く……「781.電波伝搬範囲」参照
☆西グラナート市内で【耐寒符】の欠片が発見されました……「820.連続窃盗事件」参照
※ 葬儀屋アゴーニの年齢……「648.地図の読み方」参照
☆あちこちの避難所や仮設住宅で耳にしたボランティアのスローガン……「773.活動の合言葉」「791.密やかな布教」「817.浮かばない案」参照
☆クレーヴェルみたいに力なき民への私刑が横行……「793.信仰を明かす」参照




