832.進まない捜査
ネミュス解放軍の二人が苦り切った顔で頷く。
「そうだ。呪符泥棒だ。仮設住宅の……それも、力なき民ばかりが被害に遭ってる」
「えっ……その手口、西グラナートとヴィナグラートでも流行ってましたよ」
クルィーロが思わず言うと、解放軍の兵士が食い付いた。
「その話、詳しく聞かせてくれないか?」
「立ち話もアレだ。仮設の集会所で話そう」
……しまった!
クルィーロは後悔したが、DJレーフは軽い調子で応じてついて行く。不安はあるが、言った手前、断れず、クルィーロも続いた。
集会所も他と変わりないプレハブで、長机とパイプ椅子が並ぶ。石油ストーブの上で薬罐が湯気を立てていた。中央のストーブを囲んで、ボランティアが老人の話を聞き、長机では数人が編み物を教え合う。
「こんにちは」
「こんにちはー」
「どう? 犯人捕まった?」
「いや、全然。この人たちが他所でも似た事件があったって言うから、詳しく教えてもらうんだ」
仮設の住民とボランティアは、ネミュス解放軍の兵士と打ち解けた様子で言葉を交わし、和やかな空気は変わらなかった。仮設住民らしき老婆たちが、いそいそとお茶の用意を始める。
「まぁ、座ってくんな」
「あ、どうも」
解放軍の兵士とDJレーフが当たり前のような顔で座る。クルィーロは膝が少し震えるのを気付かれないよう、マントで誤魔化しながら腰を降ろした。
老婆が愛想よくお茶を出したところで、兵士が切り出す。
「さっきの続き、よろしく」
「そっちで持ってる情報も出してくれませんか?」
DJレーフが言うと、兵士たちは訝る目を向けた。
「FMクレーヴェルの移動放送車で避難してるんですよ。それで、行く先々のニュースやお店の情報とか取材して放送して、広告費に食べ物とか分けてもらって、まぁ何とか、暮らしてるんです」
「ここに来るまでも、呪符泥棒の事件、警察や地元の人から話を聞いて、気を付けるようにって放送しました」
兵士たちが顔を見合わせ、他の者たちはお喋りをやめて注目した。
ネミュス解放軍の二人は、視線で何事か遣り取りし、微かに顎を引く。一人が向き直って言った。
「ちょっと上と相談して来る。ちょっと待っててくれないか?」
「えっ? えぇ、まぁ……」
「じゃ!」
「お茶飲んで、世間話でもして待ってよう」
一人が慌ただしく出て行き、もう一人にお茶を勧められた。
……この人、見張りか。
クルィーロはどうしたものかと思ったが、DJレーフは平気な顔でお茶を飲み、話を振る。
「ここって、部屋、空いてます?」
「ん? ……空き部屋あるか?」
兵士がエプロン姿の青年に聞くと、緑髪のボランティアは首を横に振った。
「三世帯入ってぎゅうぎゅうの部屋もあるし、テントで暮らしてる人も居るのに、空きなんてありませんよ」
「あー……」
「じゃあ、また他所へ行かなきゃいけないんだな」
クルィーロの言葉にならない落胆をDJレーフが簡潔に代弁してくれた。居合わせた者たちが、気の毒そうな目を向ける。
「あんたたち、どこから逃げて来たんだい?」
「クレーヴェルです。留まってたら、命が幾つあっても足りないんで」
「俺も、星の標のテロで危うく死に掛けましたから……」
「まあぁあ……」
お茶を淹れてくれた老婆が、顔の皺を一層深くして気の毒がる。仮設住民らしき陸の民の男性が、編みかけの手袋を膝に置いて頷く。
「クレーヴェルの様子は、国営放送でやってるから、ちょっと知ってるよ」
「解放軍の人が、首都のニュースを?」
DJレーフが知らないフリをする。
「いやいや、今はレーチカ支局を本局にして、首都の放送は来てない」
「あ、そうなんですか。俺たちがクレーヴェルに居た頃は、解放軍の女の人が、戦闘区域を教えてくれてたんですよ」
「首都を出たら関係ないから、長いコト聞いてなくって……今、そうなってるんですか」
クルィーロが感心してみせると、解放軍の兵士は顔の前で手を振った。
「首都からの放送を遮断して、クリペウス政権にとって都合のいい情報ばっかり流してるんだ」
「民放はどうなんですか?」
レーフが聞くと、兵士は首を振った。
「似たようなモンだ」
「あー……」
「だから、首都のニュースも眉唾モンだ」
「でも、地元のFM局だったら……」
レーフの質問に兵士とボランティアの青年が渋い顔をした。
「スポンサーが減って、予算がなくなったみたいで、番組がかなり減りました。ひとつの番組の時間は延びて、放送自体はずっとしてますけどね」
「どこも一緒ですかー……」
レーフは肩を落としてお茶を啜った。クルィーロもマグカップを手に取る。
淡い金髪のおばさんが、編み物の手を止めて聞いた。
「物価の方はどう? どこか安いとこあった?」
「ここの物価は、まだ調べてないんでわかりませんけど、レーチカやギアツィントは、小麦価格が元の五十倍くらいになっててびっくりしましたよ」
「五十倍ッ?」
「何でまたそんな……」
集会所のあちこちから、驚きの声が上がる。
レーフはマグカップを置いて答えた。
「人が一気に増えましたからね。それに、ネーニア島との連絡船がなくなりましたし、【無尽袋】は高騰してますし……値上げの理由はいっぱいありますけど、下げる理由がないんじゃないんですか?」
「早いこと戦争が終わってくれないと……」
「兵隊さん、頼んだよ」
仮設住民たちが、ネミュス解放軍の兵士に縋るような目を向け、老婆が手を合わせて祈る。
「あぁ、その時が来たらな」
「いっつもそればっかじゃないか」
黒髪の男性が、横を向いて呟く。
クルィーロはひやりとしたが、解放軍の一兵卒は聞き流した。
「ウーガリ山脈の南の方も、大変そうだな。こっちはこっちで正規兵が減ったもんだから、警察が魔獣駆除に手を取られて、捜査や取締りの手が足りないんだよ」
「それであっちこっちで泥棒が流行ってるんですね」
DJレーフがタイミングよく相槌を打つ。
「だろうな。解放軍の支部ができた街から順番に、魔獣駆除はこっちでやるようにハナシつけてんだ」
クルィーロは薄いお茶を飲みながら、レーフと兵士の話を一言一句聞き逃さないように耳を傾ける。
「ここに支部ができたのって、割と最近なんですか?」
「あぁ、年が明けてすぐだ。警察と協定を結んだのは今月頭で、今は魔物や何かの目撃情報や、被害の聞き取りをしてるんだが……」
「泥棒の相談が多いんですね?」
「そうなんだよ! 一応、警察に情報提供はしてるんだがなぁ」
「大変ですよねぇ。いつ頃から呪符泥棒が?」
DJレーフが労いつつ、質問する。
クルィーロは、「本部で判断する」と、半ば口止めされた件をここで話し始めたことに驚いた。
兵士は少し首を捻って黙ったが、他所者にここで答えることの可否を考えていたのではなく、単に記憶を辿っただけらしい。
「俺が直に聞いたんじゃないんだが、警察は秋頃……ウヌク・エルハイア将軍が起ち上がって少ししてからって言ってたらしいぞ」
「それで、まだ捕まらないんですか?」
「あぁ、全くだ。何せ、警官が魔物共の駆除に手を取られてるからな」
「じゃあ、これからはちゃんと捜査できるようになるんですね」
DJレーフが、解決したも同然だと言いたげに一同を見回す。
住民とボランティアも表情を緩めたが、兵士の一言で萎んだ。
「そうでもないと思うぞ」
「どうしてです?」
クルィーロが聞くと、解放軍の兵士は仮設の住民をチラリと見て、他所者に視線を戻した。
「何でって……そりゃ、身分証の再発行でだな……」
「あッ……!」
一斉に息を呑む。
……捜査で使う【鵠しき燭台】を貸し出してるからか。
遺留品がなくても、被害者宅のドアに対して使えば、鍵をこじ開けた者を特定できると思ったが、甘かった。集会所に落胆の声が広がる。
「それを見越して盗んでんだろうな」
「性質の悪い……」
「まぁ、だから、俺らが巡回も引き受けるようになったんだ。何か気付いたことがあったら、支部か警察に言ってくれよな」
「う~ん……夜明けに一条の光がさぁっと闇を拓くみたいには行かないか」
クルィーロはギョッとして発言者を見た。緑髪の青年だ。
……何で、湖の民が? ボランティアの間で流行ってるから?
先程の兵士が戻ってきた。
☆FMクレーヴェルの移動放送車で避難してる……「662.首都の被害は」「663.ない智恵絞る」参照
☆今はレーチカ支局を本局にして、首都の放送は来てない……「828.みんなの紹介」参照
☆解放軍の女の人が、戦闘区域を教えてくれてた……「610.FM局を包囲」「642.夕方のラジオ」参照
☆クリペウス政権にとって都合のいい情報ばっかり流してる……「661.伝えたいこと」参照
☆捜査で使う【鵠しき燭台】を貸し出してる……「564.行き先別分配」「577.別の詞で歌う」参照




