831.解放軍の兵士
ペルシーク市は、ヴィナグラート湾東部最大の都市だ。
最奥のヴィナグラート市からここまでの村々には、隠れキルクルス教徒の影は見えなかった。
ネモラリス島北西部では、住人の多くが湖の民で、フラクシヌス教の湖の女神パニセア・ユニ・フローラ派だ。
隠れキルクルス教徒が秘かに広める教義の代わりに、レーチカの臨時政府……魔哮砲を推進した秦皮の枝党のクリペウス政権への批難を堂々と口にし、ウヌク・エルハイア将軍を支持する声が多かった。
ヴィナグラート市は、ネモラリス島内の都市としては比較的、陸の民が多い……と薬師アウェッラーナの兄アビエースが教えてくれた。
貿易関連業者などを中心に、人の出入りが多いからだと言う。同様の理由で、首都クレーヴェル、ギアツィント市やレーチカ市、かつて鉱山で栄えたネモラリス島北東部にも陸の民が集まっている。
その分、隠れキルクルス教徒も紛れ込みやすかった。
クルィーロは放送用の情報収集で、DJレーフと共にヴィナグラート市内の神殿と避難所を回ったが、葬儀屋アゴーニが持ち帰った情報通り、キルクルス教は地方都市にも広まっていた。
それなりに大きな街には、複数の人種が混在している。
だからこそ、密かにキルクルス教の信仰を広めやすいのだ。
……確か、ペルシークにも、星の標の支部があるって言ってたよな。
ネミュス解放軍のクーデターを支持する村々とは別の緊張感で、クルィーロは肌が粟立った。
この街での情報収集は、DJレーフとクルィーロ、ソルニャーク隊長と葬儀屋アゴーニ、薬師アウェッラーナと少年兵モーフ、それにレノと漁師アビエースの四組が行くことに決まった。
「モーフ君は強いから、大丈夫よ。何かあっても守ってくれるから」
「こんな小さい子が?」
「格闘技とか習ってたから強いのよ。心配しないで」
薬師アウェッラーナが、組分けに懸念を示す兄のアビエースを説得する。
「実際、助けてもらったコト、あるし」
「……そうか」
メドヴェージが何か言いたそうにしたが、アビエースの顔を見てニヤけた笑いを引っ込める。
少年兵モーフは、小さい子呼ばわりされてむくれていたが、老いた漁師が見せた複雑な表情に怪訝な顔をして、何も言わなかった。
「お兄ちゃん、いってらっしゃい」
「気を付けてな」
「アマナと父さんも、危ないコトしないで待っててくれよな」
クルィーロたちは、留守番組に見送られ、野営地を後にした。
ヴィナグラートからペルシークまで何度か雪が降り、葬儀屋アゴーニがトラックの助手席で【操水】を唱えて、国道を除雪しながら来た。
道中で聞いた村人の話によると、昨冬までは役所が除雪していたが、今冬は一度もないらしい。仕方なく、通る時だけ、【操水】でお湯を這わせていると言う。
移動販売店見落とされた者は、ペルシーク市南西の丘陵地を野営地に選んだ。国道を逸れ、トラックの車幅分だけ除雪して、緩やかな斜面を上った。
丘の麓の小さな漁村で、屋根の除雪をするのが見える。遠くて人の姿まではわからないが、屋根がするりと白い衣を脱いで、元の色が現れるのは面白かった。
ペルシーク市内に入る。
通行人が自ら、通り道を術で除雪していた。大通りには雪がないが、路地には大人の背丈くらい積もっている。ここも除雪に回せる予算がないらしい。
案内板を見て、それぞれの行き先を決める。
クルィーロとレーフの組は、仮設住宅があるだろうと目星を付け、大きな公園に向かった。
乾いた大通りを着膨れて歩く人々の中に、緑色の髪の者は一人も居ない。首を竦めて背を丸め、マフラーを鼻まで上げているのは、金髪や茶髪、赤毛や黒髪の力なき陸の民だ。
……ここも、意外と多いな。
「国内の大きい街は、避難してきた人が多いからね」
心を覗いたような言葉にギョッとする。
DJレーフは道行く人を眺め、クルィーロの驚きに気付かない。
「国内難民と、ラクリマリスに親戚とか頼りに行った人、船の順番を待つ一時避難者、アミトスチグマに逃れた国外難民……全部で何人になるんだろうね? 何で政府が公式発表しないのか、わかんないけど……」
「数える余裕がないとか? ネーニア島って今、何人くらい残ってるんでしょうね」
「腥風樹の件で、南部のラクリマリス領も人が減ってそうだよな」
「……神殿の管理とかどうなるんですか? 半世紀の内乱で壊滅して、復興を諦めた街もあるのに」
クルィーロは王都ラクリマリスの宿で、支配人から聞いた話を思い出して身震いした。
「街が減っても、他所の神殿で祈るなら、ラキュスの水位は変わらない筈だよ」
「あぁ、そう言われてみれば、神殿に避難してる人も居るし、今はお祈りする人、多そうですよね」
クルィーロは少し不安が減ったが、心は晴れなかった。
理不尽に命を奪われた人々の魂の平安。
生き別れになった大切な人々との再会。
この戦争の終結と恒久の平和への渇望。
きっと、他の人たちの祈りも、クルィーロと同じだろう。
そんなことを考えながら歩いて、大きな公園に着いた。
ここも予想通り、プレハブの仮設住宅が立ち並び、子供の遊び場ではなくなっていた。
屋根には雪がない代わりに、扉と窓だけ残して外壁にぴったりくっつけてある。遠目には白く分厚い壁に見えるが、触ってみると冷たい雪だ。
「何で融かさないんでしょうね?」
「さぁ? こんなの初めて見たよ」
二人で首を傾げていると、背後から答えがあった。
「断熱材にしてるんだ」
「仮設は壁が薄いからな」
「あ、そうなんですか。ありがとうございます」
緑髪の逞しい男性二人組だ。
濃い茶と深い緑の刺繍が目を引く。防禦の呪文と呪印が、分厚い生地にびっしり刺してある。魔獣駆除業者がよく着る魔法の【鎧】で、二人とも白い腕章を巻いていた。
「ん? これか? ネミュス解放軍の旗印だ」
「あんたら、どっから来たんだ?」
クルィーロの視線に気付いた一人が、横を向いて腕章を見せた。
白地に青いヒナギク……湖の女神パニセア・ユニ・フローラを表すひとつの花の御紋の下に、水が一滴添えてある。
クルィーロが迷っていると、DJが先に答えた。
「FMクレーヴェルで働いてたんですけど、政府軍が雪崩込んできたんで、局の車で命からがら……」
「そうか。家族は?」
レーフが首を横に振ると、二人は目を伏せて祈りの詞を囁いた。
緑の視線に促され、クルィーロも正直に答える。
「クレーヴェルの社宅に居ました。ラジオで言ってた戦闘区域を避けてレーチカに行こうとしたんですけど、門の手前で爆弾テロに巻き込まれて、父と妹が……」
「お、おいッ!」
「あ、あの、大怪我しましたけど、近所のお店の人と、薬師さんが助けて下さって、今はピンピンしてますよ」
「そいつぁよかった」
解放軍の二人は安堵の表情を浮かべ、会ったこともない他所者の無事を喜ぶ。
本心なのか、クルィーロたちを安心させて情報を引き出すつもりなのか、これだけでは判断できない。
慎重に言葉を選んで、情報を絞った。
「何とか、レーチカまで行けたんですけど、仮設住宅はいっぱいだし、難民輸送船は順番待ちが何カ月も先だし、その間の居場所もないのに星の標のテロがあったし……」
「あぁ、そうらしいな」
解放軍の一人が相槌を打つ。もう一人は無言で頷き、クルィーロとレーフに素早く視線を巡らせた。
……やっぱ、探られてるんだ。
「それで、ギアツィントに行ったんですけど、そっちも同じで、トポリに渡る船はないし……どこにも居場所がなくて、どんどん北に……」
言いながら、惨めさに声が小さくなり、消えてしまった。
解放軍の兵士がやさしい声音で、目を伏せたクルィーロに「ペルシークも同じだ」と告げる。
「……まぁ、この街は俺たちが目ぇ光らせてるから、今んとこ、星の標のテロはない。それは安心してくれていい」
「ただ、最近、呪符泥棒が流行ってるんでな。気を付けてくれ」
「呪符泥棒?」
他所者二人の声が重なった。
☆ペルシークにも、星の標の支部があるって言ってた……「808.散らばる拠点」参照
☆腥風樹の件……「490.避難の呼掛け」「498.災厄の種蒔き」~「500.過去を映す鏡」「504.術者への問い」「505.三十年の隔絶」「534.女神のご加護」「651.避難民の一家」参照
☆王都ラクリマリスの宿で、支配人から聞いた話……「535.元神官の事情」参照




