0085.女を巡る争い
アウェッラーナには何が起こったかわからず、暴漢たちを呆然と見た。怒りに燃える目が、南に向けられる。
パン屋の青年と年配のテロリストだ。
手頃な瓦礫を拾っては、暴漢たちに投げつける。暴漢は罵声を浴びせながら、二人に向かって行った。
押さえる男が一人になった。
アウェッラーナは身を捻り、足の甲を力いっぱい踏みつけた。
「じっとしてろよ、お嬢ちゃん。そんな慌てなくっても、後でちゃんと可愛がってやるから」
鼻で笑いながら言う男の生臭い吐息が、アウェッラーナの耳と首筋に掛かった。湖の民の白いうなじに、鳥肌が立つ。
力の差があり過ぎた。
四人の暴漢は、片手で頭を庇いながら、二人に駆け寄る。
多勢に無勢。
二人は距離を取りながら、瓦礫を投げ続ける。暴漢たちも、立ち止まって瓦礫を投げて応戦し始めた。
パン屋の青年と年配のテロリストは、瓦礫を避けながら車道へ出た。
テロリストが前に出て、手にした看板の残骸で青年を庇う。青年は、エプロンのポケットに入れた石や瓦礫を次々に投げた。瓦礫が当たる度に、看板の残骸がイヤな音を立てる。
アウェッラーナには二人の勝利を祈りながら、見守ることしかできない。
彼我の距離がじわじわ縮まる。
ポケットの石が尽きた瞬間、青年が弾かれたように駆け出した。テロリストも看板を放り出し、少し遅れてこちらへ走る。
暴漢たちも慌てて投石を止め、アウェッラーナに駆け寄る。
「離せッ! このッ!」
パン屋の青年が、アウェッラーナを捕える暴漢の腕を掴んだ。体重を掛けて、その腕を押し下げる。アウェッラーナも身を捩り、逃れようともがいた。
暴漢は、獲物を奪われまいと更に強く締め付け、青年を蹴りつけて引き離そうとする。
テロリストが追い付き、勢いのままアウェッラーナ諸共体当たりを喰らわせた。
二人の身体が吹き飛び、アスファルトに叩きつけられる。暴漢が下敷きになり、アウェッラーナは幸い、負傷せずに済んだ。
「大丈夫ですかッ?」
パン屋の青年が、アウェッラーナを助け起こした。駆け寄った暴漢がその頭に蹴りを入れ、強引に引き剥がす。他の暴漢たちが、更に青年を蹴り、踏みつけた。
倒れた暴漢が跳ね起き、テロリストに襲いかかる。
テロリストは寸前で拳を躱し、暴漢の足を払う。
勢いよく転倒した暴漢に構わず、青年を襲う暴漢の一人を体当たりで排除し、もう一人の暴漢に上段蹴りを喰らわせた。
青年が、三人目の足にしがみついて引き倒す。
アウェッラーナを巡って乱闘が繰り広げられた。
別の暴漢が、アウェッラーナの緑の髪を引き掴んで無理矢理立ち上がらせ、じりじりと乱闘から距離を取る。
先に倒れた少年は、意識を失ったのか全く動かなかった。
テロリストは、男たちの攻撃をあっさり躱し、的確に蹴りを当てる。元々腕っ節が強いのか、相当な訓練を積んだのか。
それでも、多勢に無勢であることに変わりはない。
パン屋の青年を庇う余裕はなく、アウェッラーナの救出にも手が回らない。
青年は何とか自力で起き上ったが、顔面を蹴られ、血飛沫を上げながら倒れた。暴漢の一人が馬乗りになり、顔に追い打ちをかける。
アウェッラーナは、暴漢を振り解こうともがいた。
「モテるオンナはツラいねぇ。私の為に争わないでぇ~ってか?」
暴漢はせせら笑うだけで、離さない。
テロリストが青年に駆け寄り、馬乗りになった暴漢の茶髪を掴んだ。引き上げた顔面に膝蹴りを見舞う。怯んだ暴漢を強引に立たせ、青年を解放した。
「……野郎ッ!」
暴漢たちがテロリストを囲み、一斉に襲いかかる。テロリストは倒れた青年を庇い、攻撃を避けずに受け止めた。
流石に無傷では済まない。
唇が切れ、夕空に血飛沫が舞った。
二人が野営地を出たのは、四時過ぎだ。
竈の周囲を片付ける時に、ここにも風除けが欲しいと言う話が出た。
テロリストの隊長と少年兵、パン屋の青年と年配のテロリストが、二手に分かれて風除けになりそうな物を探しに行き、アウェッラーナと陸の民の少年は、水と食糧の調達に行くことになった。
冬の日暮れは早い。
すぐ戻るつもりで来た。
もう日が沈む。
人家と街灯を失った街は、いつもの夕方より暗かった。
ニェフリート運河からは、早くも雑妖が這い上がる。明らかに、この争いに魅かれたのだ。夜になる前に、いや、魔物が現れる前にこの場を離れなければ、全滅してしまう。
……この人たち、どこでどうやって夜を過ごしたの? まさか、運河の魔物を知らないの?
アウェッラーナの身体は恐怖に強張るが、頭は妙に冷静で、そんなことを考えた。
暴漢を振り解くどころか、悲鳴を上げることもできない。腕を後ろ手に捻じられ、猿轡を外せなかった。
東の空が濃紺に染まる。
日の輝きが薄らぐに従い、運河から這い上がる雑妖が増える。不定形の穢れた存在は、じわじわと存在の密度を上げた。
☆竈の周囲を片付ける時に、ここにも風除けが欲しいと言う話……「0077.寒さをしのぐ」参照




