827.分かたれた道
光福三号はどうしたのか。
他の身内はどうしたのか。
何故、船長である兄のアビエース一人が、ヴィナグラート市の水産加工場で雇われたのか。
ギアツィント市で何があったのか。
わからないことだらけだ。
兄は腕時計に目をやって話を続けた。
「空襲は、シェラタン様たちが何とかして下さったけど、みんなで話し合ってギアツィントに渡ったんです」
船と無線の免許以外、何もかも家にある。
ゼルノー市は立入制限で、取りに帰れなくなっていた。
ギアツィント市で、市民証や通帳の再発行の手続きをした際、【明かし水鏡】でアウェッラーナの生存、父とイレックスの死亡を知った。
避難民があまりにも多く、手続きの順番待ちだけで一カ月余りの時を要し、身分証や通帳が手に入るのは数カ月先になる。
アビエース一家、ヘロディウス一家はそれぞれ別の漁師の家で居候させてもらい、その家の仕事を手伝ったり、光福三号で一族揃って漁に出て過ごした。
「同族の好だ。これも水の縁。自分ちだと思ってゆっくりしてってくれ」
アビエースたちを泊めてくれた家の主人は、同情することなく歓迎してくれた。
開戦から時間が経つにつれ、状況が悪化しているように思える。
少しでもアウェッラーナの手掛かりを得ようと、ピオンの福葉二号に倣って中古のラジオを手に入れ、光福三号に積んだ。
クーデターの発生は、世話になっている家のラジオで知った。
「ウヌク・エルハイア将軍なら、きっとアーテルをやっつけて下さるさ」
アビエースは、その家の主人が喜び、みんながそれに賛同するのが怖かったが、世話になっている身で水を差すのは憚られ、何も言わないでおいた。
妻のプルーヴィアは、「義姉さんの仇を討ってもらえるのね」と喜び、息子のアルンドーも「何か将軍様のお手伝いできないかな?」などと言う。
二人とも分別ある大人だ。その場は、地元の漁師に世話になっているから気を遣って、話を合わせたのだろうと思った。
「俺たちが行ったって、【急降下する鷲】や【飛翔する鷹】の術が使えるワケじゃなし、足手纏いになるだけだぞ」
アルンドーを窘めて、その話はそれで終わったつもりでいた。
「でも、明くる朝、港に出たらその話でもちきりで……」
兄は額に掌を当てて俯いた。
アウェッラーナは、他の身内がここに居ない理由に思い至ったが、口を挟まず耳を傾ける。
葬儀屋アゴーニが確認した。
「兄ちゃん、その、世話んなった家ってのは、湖の民か?」
「はい。ネモラリス島は湖の民が多いですからね」
「そうだな」
同族のアゴーニは納得顔で促した。
港に行くと、従兄一家が先に来ていた。漁へ出るにしては、荷物が多い。
従兄の息子ナウタが、聞くより先に言った。
「将軍様を手伝いに行くんだ」
「何言ってんだ。俺たち、【漁る伽藍鳥】だぞ?」
アビエースは一笑に付したが、従兄夫婦と叔父の険しい視線に気付き、空笑いが引っ込んだ。
叔父のファウトールが、湖上で鍛えられたよく通る声で言った。
「だからこそ、首都へ行くんだ。腹が減っては軍はできぬ。ウヌク・エルハイア将軍の兵隊さんに食糧を届けるぞ!」
昨夜のクーデターの話をしながら出漁の準備をする人々が、手を止めて耳をそばだてる。
アルンドーが光福三号に飛び乗った。船の動揺をものともせずに振り返り、甲板から父のアビエースを見下ろす。
「父さんは、祖父ちゃんと伯母さんの仇を討つ気がないのかよ」
「あなた……私たちにだって、できることはいっぱいあるのよ」
妻のプルーヴィアも船に乗り込む。
「内乱中、伯父さんたちは【操水】で戦ってたろ。その気になれば、俺たちだって戦えるんだよ」
従兄のヘロディウスが言うと、彼の父と妻子だけでなく、地元の漁師たちも頷いた。アビエースは驚いて、ヘロディウスの袖を掴んだ。
「父さんは、それを後悔してたじゃないか!」
「伯父さんとイレックスが殺されたってのに、悔しくないのかよッ! この腰抜けッ!」
力いっぱい突き飛ばされたが、どうにか倒れず踏み留まる。
アビエースは、復讐に駆られる身内を何とか思い留まらせようと、言葉を尽くした。
「今はアーテルと戦争してるんだぞ? クーデターなんて、余計な諍いを増やしてるだけじゃないか。それに、ウヌク・エルハイア将軍はラジオで一言も喋ってない。将軍の名を騙る反政府組織かも知れないんだぞ! そんな奴らを手伝っても、父さんと姉さんは帰って来ない! それよりラーナを捜そう。あいつはまだ生きてるんだ!」
「アウェッラーナが小娘なのは、見た目だけだ。歳はお前と変わらんだろう」
叔父が呆れた声で言い、ナウタの手を借りて船に乗る。
従兄の妻イリスは、忌々しげに吐き捨てた。
「それにあのコ、薬師じゃない。今頃は政府軍に徴用されて、魔哮砲とか言う魔法生物を使う兵隊の為に、薬を作ってるかもしれないのに」
「そんな、決めつけんなよ。どっかの避難所で人助けしてるかもしれないだろ」
「何よ! アビエースだって、ネミュス解放軍を将軍様の名を騙る悪者呼ばわりしたじゃない!」
「シスコンは黙ってろよ」
ナウタが母イリスに加勢すると、いつの間にかできた緑の人垣がどっと沸いた。
従兄のヘロディウスが舫い綱を解く。
「そんなにイヤなら来なくていい。腰抜けは足手纏いだからな」
「なッ……! 言わせておけば……!」
プルーヴィアの声が【操水】を唱えた。
アビエースはずぶ濡れにされ、呆然と自分の船を見上げる。
妻は甲板からアビエースを見下ろし、湖水よりも冷たい声で言い放った。
「あなたが親きょうだいの仇を討たない薄情者だったなんて、見損なったわ。離婚よ。もう好きにするといいわ、意気地無しさん」
人垣から「姐さんよく言った」などと無責任な声と拍手が飛ぶ。
最後に従兄が乗り込み、ギアツィント漁協の漁師たちに宣言した。
「今から、このヘロディウスが光福三号の船長です。みなさんにご恩返しできなくてすみませんが、クレーヴェルでウヌク・エルハイア将軍の為に働きます!」
熱狂した湖の民の激励に送られ、光福三号はアビエースを置き去りにして出港した。
言葉も涙も出ない。
肩を叩かれて振り向くと、世話になっている家の主人が居た。
「あんた、妹さんを捜しに行くんなら、急いだ方がいい。クーデターでどうなるか、わかったもんじゃないからな」
アビエースは、再発行されたばかりの通帳と身分証、新たに得た僅かな荷物だけを持って、ギアツィント市から追い出された。
「ゼルノー市に跳べる状況じゃないし、クレーヴェルの方へ行くのは危ない。それで【跳躍】を繰り返して北へ向かったんだが、陸は避難民がいっぱいで、人手が余ってる。どんどん北へ追いやられて貯金が底をついて、ラーナを捜すどころじゃなくなって……やっとここで雇ってもらえたんだ」
アウェッラーナは言葉もなく、一人で苦労した兄の皺深い手を握った。
☆空襲は、シェラタン様たちが何とかして下さった……「309.生贄と無人機」参照
☆ゼルノー市は立入制限……「168.図書館で勉強」参照
☆クーデターの発生……「599.政権奪取勃発」~「602.国外に届く声」参照
☆内乱中、伯父さんたちは【操水】で戦ってた……「001.半世紀の内乱」参照




