826.あれからの道
香草茶の香気を胸いっぱい吸い込んで、どうにか気持ちを落ち着ける。
ジョールチが、星の道義勇軍の三人と葬儀屋アゴーニと共に雑木林から戻ってきた。四人は、我がことのように兄妹の再会を喜んでくれた。
「ねーちゃん、よかったな」
「ありがとう」
アウェッラーナは、少年兵モーフが湖の民にこんな屈託のない笑顔を向けるのを意外に思ったが、嬉しかった。
みんなにお茶が行き渡ったところで、兄が居住いを正して自己紹介する。
「時間がないので手短に。俺は、ゼルノー漁協所属、光福三号の船長だったアビエースです。妹が大変お世話になりまして、ありがとうございました」
……船長「だった」? どう言うこと? 船は?
アウェッラーナは引っ掛かったが、話の腰を折る時間はないので黙っていた。
「俺の方こそ、折れた腕、治してもらって助かったんで、お互い様だ」
「私の足も一生懸命治してくれたよ」
「みんな、アウェッラーナさんが居なかったら、ホントにどうなってたか……」
メドヴェージとエランティスに続いて、ピナティフィダにも改めて礼を言われ、薬師アウェッラーナはハンカチで顔を覆った。
「船は……みんなは……」
「父さんと兄さんは……」
「知ってる」
「そうか。他のみんなは、話せば長くなるんだが……」
兄が頭を掻くと、ソルニャーク隊長が促した。
「ゼルノー市がどうなったか、どうしてここまで来られたのか、差し障りなければ、お聞かせ願えませんか?」
「あんまり陸に上がらなかったんで、大した話はできませんけど……」
兄はそう前置きして、この一年のことを話し始めた。
光福三号は、あの日もいつも通り、昼網に出ていた。
沖に出たのは、船長のアビエースと息子のアルンドー、従兄のヘロディウスとその息子ナウタ、叔父のファウトールの五人だ。姉のイレックスは父の看病で市民病院、妻プルーヴィアと従兄の妻イリスは水産加工場で仕事をしていた。
「何だありゃ?」
従兄のヘロディウスが指差す方を見ると、陸から猛然と黒煙が上がっていた。
「工場が火事んなったのか?」
言った途端、漁協から無線が入った。
「グリャージ区で火災発生。スカラー区にも延焼中。現在、両地区の消防団が消火作業に当たっています。操業を中止し、スカラー区の湖岸で、避難した住民を救助して下さい」
「了解」
商店街の近くに接岸した時には、火の手がすぐそこまで迫っていた。
「消防団の連中、何やってんだよ!」
「それより今は救助だ」
この辺りの湖岸は、店の倉庫や住居兼店舗の裏手にあたる。小さな建物の隙間からは、国道を北へ逃げる人の群が見えた。
湖岸に出てくる者は居ない。
ずっと南のグリャージ区方面で、消防団が湖水を起ち上げる。
「何で、みんなあっち……」
連続する軽い破裂音で、ナウタの表情が凍った。
半世紀の内乱中、イヤと言う程、耳にした音だ。
「機関銃? 何で……」
無線に僚船の叫びが入る。
「どうなってんだ、これ? 船が動かねぇッ!」
「何なんだよ、この火事ッ!」
「先程、警察から連絡がありました。所属不明の武装集団による攻撃だそうです。国道を北上しています。無理に上陸せず、速やかに湖上へ避難して下さい」
僚船の悲鳴に構わず、漁協の女性は落ち着いた声で一方的に状況を並べた。
「水雲丸、助けに行くか?」
「いや、水産加工場へ急ごう。今ならまだ間に合う」
船長のアビエースは叔父の発言を一蹴し、僚船を見捨てて妻たちの救助へ向かった。途中、路地から出てきた住民を五人拾った。
その後は岸を離れ、母港があるジェレーゾ区の水産加工場へ急いだ。
「その……五人の中にパン屋は居ませんでしたか? 椿屋のファリナって言うんですけど……」
レノ店長が、居ても立っても居られない様子で口を挟んだ。彼の妹たちも息を詰めて、アウェッラーナの兄に視線を注ぐ。
「パン屋のおかみさん、居ましたよ。後、時計屋さんと乾物屋さんも……」
「あ、あのっそれッ! 母なんですッ!」
「今、どこに居るんですかッ?」
パン屋の兄妹がマグカップを放り出し、老いた漁師に縋りつく。
「トポリで分かれて、今はどうしてるか……ごめんな」
「トポリ? トポリに居るんですね?」
「まぁ、落ちつけよ」
葬儀屋アゴーニが水を起ち上げ、香草の束を挿し込んだ。香気が広がり、レノ店長が「すみません」と呟いて老漁師の肩から手を離す。ジョールチが【操水】でマグカップを洗い、アゴーニが香草茶を淹れて三人に手渡した。
パン屋の兄姉妹は、項垂れたまま小声で礼を言い、元の場所に座り直した。
元テロリストのメドヴェージが明るく言う。
「すっ飛ばすとわかんなくなっから、順番に、なっ」
アウェッラーナは、他の身内がどうなったか早く知りたくて仕方ないが、黙って兄の話に耳を傾けた。
入院中の父は動かせない。
水産加工場に着いた時には、漁協からの無線は沈黙し、隣の倉庫まで火が回っていた。人々は【操水】で消そうとしていたが、何故か、起ち上げた水が力を失い、火元へ届く前に落ちてしまう。真っ黒な煙が空を塞ぎ、人々は咳込みながら呪文を唱え続けた。
岸に近づけば、煙に巻かれて危険だ。
「プルーヴィアーッ!」
「母さーんッ!」
「イリス! イリース! どこだッ! イリスッ!」
「母さん、こっちー!」
二人が気付き、岸壁に駆け寄った。
何か呪文を唱えたようだが、何も起こらない。妻たちの表情が凍った。
爆発音と機関銃の発砲音が迫る。
「いいから飛び込め! 【操水】で拾ってやる!」
叔父が叫び、二人は迷わず、真冬の塩湖に身を躍らせた。
服に【魔除け】と【耐寒】がなければ、躊躇しただろう。
風向きが変わり、消火班が煙に巻かれて見えなくなった。
アビエースたちは一斉に【操水】を唱えた。
「何だこれ?」
「水が重い?」
異様な手応えに驚いたが、五人掛かりでどうにか二人を甲板に掬い上げられた。全力でジェレーゾ港を脱出する。
父を諦め、イレックスとアウェッラーナを見捨てた罪悪感に苛まれながら、北隣のマスリーナ港へ逃れた。
港は既にいっぱいで、船を舫える場所がない。
湾内に犇めく漁船と衝突せぬよう、距離をとるのに神経を擦り減らした。
岸に近付くこともできず、獲った魚を分け合って数日を過ごした。
マスリーナ漁協の者が、堅パンと情報を差し入れてくれた。
「陸の避難所はもういっぱいだから、キパリース……いや、思い切ってトポリにでも行った方がいいぞ」
「ありがとうございます」
混雑する湾内から出た時、アーテル・ラニスタ連合軍の空襲が始まり、沖へ出てやり過ごした。
湖上で僚船と出会い、情報交換した。
ピオンの福葉二号は、ラジオを積んでいた。
ニュースで、リストヴァー自治区の「星の道義勇軍」を名乗る集団が武装蜂起したこと、湖岸のグリャージ区、スカラー区、ジェレーゾ区が壊滅したこと、アーテル共和国が自治区民の救済を掲げて宣戦布告し、ネーニア島の都市を空襲したことを知った。
数日後、ネモラリス軍が新兵器【魔哮砲】を投入して、アーテル軍の爆撃機を迎撃し始めた。
空襲が鳴りを潜めてから、力なき陸の民の五人をトポリ港に降ろした。
「市街地は、港と空港を中心に随分やられてたけど、防壁に近い辺りはそうでもなかったんです。俺らは船に住んで、魚獲って、自分らで食べて、余りは避難所に配って……」
「あの……母は……」
レノ店長が遠慮がちに聞く。
ソルニャーク隊長はいつもの静かな目で見守り、メドヴェージは何度も頷きながら聞き入り、少年兵モーフはアウェッラーナの兄とピナティフィダの間で目を泳がせた。
「パン屋さんは、おカネ持ってて、お礼にってドライフルーツ買ってきてくれましたよ。いいですよって断ったんですけど、仕事が決まったからって……」
「えっ? 仕事?」
「市街地はやられたけど、郊外の基地は無傷で、トポリ市民が大勢、避難してたそうなんです」
「あぁ、トポリ基地は、旧王国時代の砦を改装したものだそうですね」
ジョールチが言うと、アウェッラーナの兄は頷いて続けた。
「空襲が止んで、みんなが街に戻ってから、食堂の求人が出たそうで……」
「じゃあ、母さんは基地に居るの?」
エランティスに期待の籠もった眼差しを向けられ、アウェッラーナの兄は俯いた。
「多分……ピオンさんたちは、マスリーナ沖から親戚が居るレーチカに渡って、俺たちは、また空襲が始まったから、ギアツィントに移動したんで……」
「でも、基地は頑丈だから、大丈夫ですよね?」
ピナティフィダが祈るような声で聞いた。
帰還難民センターで安否を確認してから、数カ月が過ぎている。
ガルデーニヤ市など、ネーニア島西部が酷い空襲を受けたニュースを見たが、トポリなど東部の都市がどうなったのか、殆ど情報がない。
「ごめんな。俺たち、ずっと船で過ごしてたから、トポリの陸のこと、よく覚えてなくて、【跳躍】できないんだ」
「い、いえ、とんでもない! 教えて下さってありがとうございます!」
「居場所がわかってホントに……」
レノ店長が慌てて礼を言い、姉妹は嬉し泣きで顔をくしゃくしゃにした。
……でも、ネーニア島に渡る手段がないのよね。
薬師アウェッラーナは、パン屋の兄姉妹を気の毒に思ったが、それより自分の身内がどうなったのか、気が気でなかった。
☆俺の方こそ、折れた腕、治してもらって助かった……「087.今夜の見張り」参照
☆私の足も一生懸命治してくれた……「712.半狂乱の薬師」「716.保存と保護は」参照
☆姉のイレックスは父の看病で市民病院……「002.老父を見舞う」「008.いつもの病室」参照
☆船が動かねぇ……「025.軍の初動対応」「043.ただ夢もなく」参照
☆リストヴァー自治区の「星の道義勇軍」を名乗る集団が武装蜂起した……第一章 二月一日~第二章 二月二日参照
☆市街地はやられたけど、郊外の基地は無傷/トポリ基地は、旧王国時代の砦を改装したもの……「750.魔装兵の休日」「756.軍内の不協和」参照
☆ピオンさんたちはマスリーナ沖から、親戚が居るレーチカに渡って……「698.手掛かりの人」参照
☆また空襲が始まった……「307.聖なる星の旗」「309.生贄と無人機」参照
☆帰還難民センターで安否を確認……「596.安否を確める」参照
☆ガルデーニヤ市など、ネーニア島西部が酷い空襲を受けたニュース……「759.外からの報道」参照
☆トポリなど東部の都市がどうなったのか、殆ど情報がない……「634.銀行の手続き」参照




